尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2020年東京五輪問題④

2013年09月16日 01時14分33秒 | 社会(世の中の出来事)
 さて、東京五輪問題もいったん今回で終わりたい。僕はもともと2016年の招致(前回)に反対で、その後も同じ人々が招致を主張していたのであまり賛成できなかった。特に震災以後は「辞退」するべきだったと思っている。そのことはもう書いたけど、そういうことにはならず、IOCの内部事情もあり東京が開催都市に選ばれたわけである。だから、まあ「なんだか迷惑だなあ」と言うのが正直な感想である。

 高度に発達した経済先進国では五輪開催が経済発展に及ぼす影響は、それほど大きいものになるとは考えられない。一方、五輪開催に伴い市民生活はかなりの影響を受けざるを得ないから、ただバンザイと喜ぶばかりの人は(本当は)少ないだろう。それが東京の開催支持率がなかなか上がらなかった理由だし、成熟した大都市にあってはむしろ当然だ。ロンドンなんかもそうだったけど、五輪が始まってしまえば盛り上がるけど、それまではなかなか盛り上がらなかったものである。東京も「招致成功フィーバー」がいったん終われば、あとは難しい問題もいろいろ見えてきて、ただ喜ぶだけのニュースではないという人も多くなるだろう。

 宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というフレーズがある。そう言ってはどこでも五輪ができないし、古代ギリシャでオリンピックが始まったのは、平和だからではなく「その間だけは戦争をやめる」という取り決めだった。でも、「フクシマ」や三陸沿岸、あるいは「沖縄」などを思い浮かべる時、「「日本がぜんたい幸福にならないうちは東京の幸福はあり得ない」と言いたい気持ちが湧いてくる。それほどの大きな災害が起こったのではないか。今もなお続いているのではないか。倫理的な問題として、東京バンザイなどと言ってはいけないのではないか。

 倫理はともかくとして、今後どれだけの「ヒトとカネ」が「東北復興」「原発事故対応」に必要なんだろう。そして次の震災に向けた全国の橋や道路などの補修にも、どれだけかかるんだろう。カネはなんとかなるとしても(するとしても)、建設業の人材は限られている。もう東北では入札が不調に終わることが多いという話を聞く。ここに東京五輪に向けた大規模公共事業が入ってくれば、東北の復興が遅れるのは間違いないことではないのか。それは判っていてやっているんだろうから、多分対応は決まってるんだと思う。「外国資本」と「外国人労働者」である。僕はそう考えている。

 五輪準備そのものは思ったよりたんたんと進んで行くだろう。一度開催している都市だし、いまどきいつまで五輪に熱狂しているわけもない。人が住んでるところをどかして大規模再開発をするわけではなく、もともと歴史の浅い湾岸エリアを主会場にするんだから、大きな問題は起こらないと思う。だから、たんたんと進んで、近づいて多少迷惑なことが出てきても「まあ、やむを得ないか」となる。(「テロ対策」とか「交通確保」とか「環境美化」とかで迷惑な出来事がいっぱい起こるはずだが。)、始まれば、やはり面白いのでみんな応援したりして、一応盛り上がる。そういうことになるだろう。だから、僕も五輪自体をやってはいけないとか、東京で開くべきではないとまでは思っていない。2002年ワールドカップのように、大会そのものは盛り上がり、日本の評判もいいけど、まあ「何となく成功」して終わっていくんだろう。

 このような肥大化した夏季五輪を開催できる都市は限られてしまっている。経済的に発展した温帯の経済大国の首都レベルの都市しか難しい。(海洋競技があるので、内陸都市より沿岸都市の方が有利だという点もある。)最近を見ても、アトランタ、バルセロナ以後は首都か首都レベルである。(バルセロナも、まあカタルーニャの首都とも言える。)リオは以前の首都だし、シドニーも最大都市である。ブラジリア、キャンベラ、オタワ、ワシントンDCなど政治都市は別にして、やる気のないらしいニューヨークを別にして、中小国ではもう開催は無理である。それでいいんだろうか。五輪は都市が開催するということになっている。しかし、表彰では国旗掲揚、国歌演奏がある。招致では政治家や王室が演説している。この「五輪の国家化」はもう防ぎようがないだろう。「簡素な五輪」と言っても限度がある。じゃあ、どうすればいいのか。去年五輪をやったばかりなのに、もう陸上や水泳や柔道や…なんかの世界大会があった。毎年あるわけではない競技が多いはずだ。どうせ2年おきに世界大会をやるんなら、オリンピックの方を2年に1回にしたらどうか。夏季、冬季あるから毎年あることになる。やりたい都市がいっぱいあるらしいから、その方が早く回る。やりたいとこがなくなったら、やめればいい。都市ではなく、国が共同で開いてもいいようにする。そうすれば、オランダとベルギーなども可能になるだろう。今年のサッカーのヨーロッパ選手権がポーランドとウクライナが共催したようなことも可能になるだろう。そうでもしないと、巨大都市しかできない。アフリカが開催できる時が来ない。五輪そのものをなくすよりも、まずは世界の多くに一度回す方策を考えたほうがいい。
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