毎日猛暑が続いている。東京の「猛暑日」は今日で15日となり新記録更新中。これからも続くらしいので、史上最暑の夏である。最近映画の話を書いてなかったけど、見てはいる。たまたま旧作を見ることが多かったのと、新作も駅直結の映画館しか行く気にならず、書きたい映画がなかった。まあバズ・ラーマン監督『エルヴィス』は書いても良かったんだけど、参院選や安倍元首相暗殺事件があったから書くチャンスを逃してしまった。残念だったのは『戦争と女の顔』と『PLAN75』で、前半はホームラン性の当たりだと思って期待したのだが、結局外野フライに終わったような感じでスルーしてしまった。
ここで紹介するのはフランス映画『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』で、なかなか面白かった。もともと単打だろう程度の気持ちで見ていたら、案外二塁打か三塁打になった感じ。期待感を良い方に上回ると嬉しくなるのである。ストーリーは簡単に言ってしまえる。囚人たちの更生プログラムの一つに演劇があり、落ち目の俳優が講師になってベケットの『ゴドーを待ちながら』を上演するという話である。よりによって「不条理劇」の代表と言われる『ゴドーを待ちながら』である。ただでさえ難解と言われるのに囚人たちが上演するなんて可能なのか。
フランスじゃないけど、実話にインスパイアされた物語だそうである。いろいろやって上演出来なかったら映画にならない。上演まではこぎ着けるだろうと思って見ていたんだけど、そこまでもドラマがある。ところがそこからさらにドラマが進行していくので、目が離せない。どうなるんだとラストまで引っ張っていかれる。このスラスラ見られる感覚が楽しかった。もちろんドキュメンタリーではない。まるで本物の囚人っぽいけど、もちろん俳優が演じているのである。だけど、フランスの刑務所は実際にそうなっているんだろうけど、世界のあちこちにルーツがある多様な囚人が集まる。これで協力して演劇を完成させられるのかと見ていて本当に心配になる。
(集まった囚人たち、一番右は指導者)
中部の都市リヨンの設定で、主人公エチエンヌ(カド・メラッド)は売れない俳優。妻も俳優だが離婚している。大学院生の娘がいるが、母親の舞台を一緒に見に行こうと言われても、何かと理屈を付けて行かない。もう3年も役がついてないそうで、多忙な劇場監督の代わりに囚人プログラムを引き受ける。動機はそっちは引き受けるから、ロパーヒン(チェーホフの『桜の園』)の役が欲しいのである。もともと刑務所ではベケットなんてやってなかった。ラ・フォンテーヌ『寓話』を舞台に掛けるという稽古をしている。イソップ童話だから、大体皆も知っている。学校の文化祭みたいな催しを刑務所でもやるイメージである。
『寓話』が終わって、次に『ゴドーを待ちながら』と言い出したのは、エチエンヌがかつて演じた経験があったからだけではない。こういう文化プログラムが可能なんだから、粗暴犯もいるけど重罪犯ではない。だから「ひたすら出所の日を待ちながら」生きているのである。つまり刑務所そのものが『ゴドーを待ちながら』の世界なのである。個々のセリフの意味は判らないながら、それが「不条理」だという一点で「自分の物語」だと了解されていく。そこが見どころになっている。チェーホフとベケット。これはもう一つの『ドライブ・マイ・カー』であって、演劇が出来上がるプロセスに立ち会う面白さが描かれていく。
(上演中の『ゴドーを待ちながら』)
上演はリヨンの劇場を貸して貰えることになった。上演日は決まったけど、時間が足りない。もっと練習したいし、いろいろと用意するものもある。責任者の刑務所長(女性)に掛け合って、一つ一つ特例を求める。最終的には判事の許可がいると言いながら所長は協力的だ。所長は元弁護士で、離婚訴訟ばかりで飽きてしまって刑務所長に転じたという。フランスの実話じゃないけど、日本に比べて刑務所長に自由裁量の権限がはるかに大きいんだろう。そうじゃないと、このような映画は作りようがない。しかし、囚人たちを外部の劇場に連れて行っても大丈夫なのか。公然たる脱走のチャンスではないのか。
(パリのオデオン劇場で)
この大問題を抱えながら、リヨン公演が何とか成功する。でも、何だか時間がまだ残っている感じが…。実はここからがホントの見どころだったのである。「囚人たちのゴドー」が評判を呼んであちこちの演劇祭から声が掛かって、全仏各地を回るのである。そして、見えてくる囚人たち一人一人の事情と思い。そのことをじっくり考えさせられるラストだった。監督のエマニュエル・クールコルは長編2作目で、今までは脚本で活躍してきたらしい。何と言っても、素晴らしいのは主演のカド・メラット。有名なコメディアンだというが、実に感動的。それに囚人役の一人一人、アフリカ系、アラブ系、ロシア人など、それぞれの造形が興味深い。本物の刑務所でロケされているのも興味深かった。
ここで紹介するのはフランス映画『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』で、なかなか面白かった。もともと単打だろう程度の気持ちで見ていたら、案外二塁打か三塁打になった感じ。期待感を良い方に上回ると嬉しくなるのである。ストーリーは簡単に言ってしまえる。囚人たちの更生プログラムの一つに演劇があり、落ち目の俳優が講師になってベケットの『ゴドーを待ちながら』を上演するという話である。よりによって「不条理劇」の代表と言われる『ゴドーを待ちながら』である。ただでさえ難解と言われるのに囚人たちが上演するなんて可能なのか。
フランスじゃないけど、実話にインスパイアされた物語だそうである。いろいろやって上演出来なかったら映画にならない。上演まではこぎ着けるだろうと思って見ていたんだけど、そこまでもドラマがある。ところがそこからさらにドラマが進行していくので、目が離せない。どうなるんだとラストまで引っ張っていかれる。このスラスラ見られる感覚が楽しかった。もちろんドキュメンタリーではない。まるで本物の囚人っぽいけど、もちろん俳優が演じているのである。だけど、フランスの刑務所は実際にそうなっているんだろうけど、世界のあちこちにルーツがある多様な囚人が集まる。これで協力して演劇を完成させられるのかと見ていて本当に心配になる。
(集まった囚人たち、一番右は指導者)
中部の都市リヨンの設定で、主人公エチエンヌ(カド・メラッド)は売れない俳優。妻も俳優だが離婚している。大学院生の娘がいるが、母親の舞台を一緒に見に行こうと言われても、何かと理屈を付けて行かない。もう3年も役がついてないそうで、多忙な劇場監督の代わりに囚人プログラムを引き受ける。動機はそっちは引き受けるから、ロパーヒン(チェーホフの『桜の園』)の役が欲しいのである。もともと刑務所ではベケットなんてやってなかった。ラ・フォンテーヌ『寓話』を舞台に掛けるという稽古をしている。イソップ童話だから、大体皆も知っている。学校の文化祭みたいな催しを刑務所でもやるイメージである。
『寓話』が終わって、次に『ゴドーを待ちながら』と言い出したのは、エチエンヌがかつて演じた経験があったからだけではない。こういう文化プログラムが可能なんだから、粗暴犯もいるけど重罪犯ではない。だから「ひたすら出所の日を待ちながら」生きているのである。つまり刑務所そのものが『ゴドーを待ちながら』の世界なのである。個々のセリフの意味は判らないながら、それが「不条理」だという一点で「自分の物語」だと了解されていく。そこが見どころになっている。チェーホフとベケット。これはもう一つの『ドライブ・マイ・カー』であって、演劇が出来上がるプロセスに立ち会う面白さが描かれていく。
(上演中の『ゴドーを待ちながら』)
上演はリヨンの劇場を貸して貰えることになった。上演日は決まったけど、時間が足りない。もっと練習したいし、いろいろと用意するものもある。責任者の刑務所長(女性)に掛け合って、一つ一つ特例を求める。最終的には判事の許可がいると言いながら所長は協力的だ。所長は元弁護士で、離婚訴訟ばかりで飽きてしまって刑務所長に転じたという。フランスの実話じゃないけど、日本に比べて刑務所長に自由裁量の権限がはるかに大きいんだろう。そうじゃないと、このような映画は作りようがない。しかし、囚人たちを外部の劇場に連れて行っても大丈夫なのか。公然たる脱走のチャンスではないのか。
(パリのオデオン劇場で)
この大問題を抱えながら、リヨン公演が何とか成功する。でも、何だか時間がまだ残っている感じが…。実はここからがホントの見どころだったのである。「囚人たちのゴドー」が評判を呼んであちこちの演劇祭から声が掛かって、全仏各地を回るのである。そして、見えてくる囚人たち一人一人の事情と思い。そのことをじっくり考えさせられるラストだった。監督のエマニュエル・クールコルは長編2作目で、今までは脚本で活躍してきたらしい。何と言っても、素晴らしいのは主演のカド・メラット。有名なコメディアンだというが、実に感動的。それに囚人役の一人一人、アフリカ系、アラブ系、ロシア人など、それぞれの造形が興味深い。本物の刑務所でロケされているのも興味深かった。
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