実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

その後 実戦教師塾通信八百七十八号

2023-09-15 11:47:45 | 子ども/学校

その後

 ~様々な変化~

 

 ☆初めに☆

この夏、いろいろな場所から入って来ていた話をまとめます。例えば、休日の活動を地域に移行する部活動。千葉県の柏市では、従来の日当に匹敵する額が「時給」となります。ふたを開けてみると、これが顧問に対するものでなく、個々の部活への報酬だったようです。顧問がふたりいる部活は、報酬が半分になる算段です。多分に混乱はありますが、休日の指導を「断る」のが可能になった新しいシステムは、好意的に受け止められています。依然として、いやでも行かねばならないと考える職員もいるし、中には休日の部活に行ったら、翌日の月曜は休むと決めている職員もいたりで、当分、様々な問題も覚悟しないといけないと思います。みんな、それぞれの場所から声をあげて欲しいです。

 

 1 コロナと学校

 ブールのことを前に書いたが、今はもう中学校でも上半身を覆う水着を装着する(もちろん男子の話)傾向が強い。紫外線や猛暑を原因としたがるが、恥じらいに加え、裸というファッションはフィルターを一枚羽織ることでより引き立つ、という無意識のフォーマル意識構築に分がある、と信じて疑わない。いずれにせよ、胸を張って欲しい。

 マスクはどうか。どの学校を見ても聞いても、職員の率先した「マスクなし」行動の効果がはかばかしくない。コロナがもたらした「ソーシャルディスタンス」的世界、つまり「相手と距離を取らないといけない」世界は、相手を遠くからor後ろから見る日常を作った。この残暑厳しき折、校庭で!マスクを外さず、体育祭の練習をしている生徒を見ていてそう思った。驚くことは、女子に顕著なのだが、体操服の上にジャージを着ている生徒がいることだった。相手や現実への手ごたえの希薄感は、同時に自分を包み込んで守る思いへとつながっているように見える。身体に良くないぞ、という注意はしているのだろうが、そこは昔と違って強い指導はしていないのだろう。いいんだか悪いんだか。というより、やはりコロナは世界を大きく変えたのだ。面白いのは、昔ながら変わろうとしない指導のこと。

 体操シャツのことだ。短パンの下に入れること。多かれ少なかれ、このことは毎年と言わずとも必ず議論になる。学校にいる者/出入りする者は知ってるが、生徒は大体がシャツをパンツに入れている。今もだ。どうでもいい、コトではないんだ、学校では。「今までそうして来た」「決まりだ」「だらしがない」というのが理由だ。たかがシャツ入れ、普通は「決まり」として明文化しない。今どきあったら、どっかのバラエティー番組から血祭りにされる。仮に生徒手帳にあったとしても「生徒として恥ずかしくない服装云々」というムニャムニャ表記があるだけだ。しかし、積極的にシャツ入れを主張する方々は、確立している習慣=決まりと思っている。「決まり」は、要するに「今までそうして来た」と、さして変わりはない。では、これが繰り返し議論になるのは何故か。生徒が、うっとうしい/暑い/みっともない等々の理由で、繰り返し「違反する」からだ。そこに「指導」を入れる先生・入れない先生の違いが発生するからだ。「はっきりさせようじゃないか」というのは、大体シャツ入れ派。「このままでは真面目に指導した我々が損をする」なんて付け足しもする(損するならやめればいいのだが)。シャツ入れを「学校の根幹」として大真面目な顔する「学校的体質」の方が、本当の根幹なのだ。良識と熱情をあわせ持つ先生! 頑張って✊

 

 2 父親稼業

 私はその日の夕方、校庭に面した一階の特別教室にいた。テニスコートの向こう側から現れた黒い影は、ゆっくり校舎に向かってきた。近づいてくると、それが地面を引きずるような長い上着と袴のようなズボンを身に着け、ギラギラのパツキンにした集団だと分かった。集団がさらに近づくと、ここのところ学校で目にしていなかった2年生だというのも分かった。その時、特別教室にいた3年生の連中が、ゲ、逃げようぜ、と言ったのを覚えている。あとで分かったことだが、超ド級学ランで登場する理由は、学校と直接つながらないものだった。しかし、拠り所を失ったものの絶望がそこにはあった。自分たちがそうすることで自分たちが傷つくことはあっても、決して得にならないことも分かっていた。つまり、痛々しい決意があった。そこには、3年生に「逃げようぜ」と言わせる凄味があった。世界の全てが、自分たちを罵ると分かっている。にも関わらずする行為、これを自傷行為というのだ。30年以上前のことだ。

 引き継いだのは、これらを自虐的にした「なめ猫」か。次の代は素顔をさらすのを拒絶した「ガングロ」へ。でも、今の「スナチャ(スナップチャット)」は、仲間内or仲間づくりのコミュニケーションだ。拒絶する世界とは縁がないようだ。その後、ドカンや短ランで、学校を街を昼も夜も風のように吹いて回った男は、ふたりの子を持つ父親となった。上の子が夏休みに髪を染めた。高校生だ。お父さんのようにはならないよ、と常々言っていた子の「変身」である。夏休みが明ける前に黒くなおそうとする息子へ、そのまま学校へ行けよと父親は笑う。息子は最近、コンクールで賞金をもらうと言ってラップを始めた。うるさくてさ、と言いながら、息子の生活が少しまぶしいのだろう。高校ぐらい行っとけば良かったかな、とつぶやくのだ。

 

 ☆後記☆

楢葉の渡部さん家で、農協による子牛の認定を見て来ました。「鼻紋」というらしく、人間の「指紋」にあたります。それくらいに「鼻紋」は個別に牛を特徴づけるものです。その「鼻紋」をとる作業です。

牛の相場は、特に酪農(乳牛)関係ばかりではなく、やはり厳しいものがあるようです。高額で競り落とした雌牛が生んだ子牛の卸値は、その額の3分の1だったそうです。いや、親牛はまだ子どもを生むから、相場をどうこう言える段階じゃねえよ、という渡部さんの言葉をどう受け止めたらいいのか、分からないでいます。

元気な庭の畑。10月に収穫のものを植えたんだけどよ、と手前の大きくなったトウモロコシに困惑した様子。猛暑にやられたらしいです。写真では分かりませんが、キュウリのように大きくなった「白オクラ」もありました。

さて、明日はこども食堂「うさぎとカメ」ですよ。柏市内は多くの中学校が体育祭です。フレーフレー紅組🌞 フレーフレー白組🌈 明日発行チラシの裏側をお送りしま~す。

 


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