実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

表現の自由 実戦教師塾通信六百六十四号

2019-08-09 11:39:24 | 戦後/昭和
 表現の自由
     ~ヘイトで大きくずれ出した~


 ☆初めに☆
「愛知トリエンナーレ2019」が大変なことになってしまいました。最初に火をつけたのはどうも某小説家で、そのあとに名古屋市長が引き継いだらしい。「日本人の心を踏みにじる」という批判は、市長の立場を鮮明にしたということでしょう。
イベントの監督津田大介のネット社会への視点を、私は以前から積極的に見ていました。今回の事態に対する津田氏自身のコメント「劇薬だった」に、正直なものを感じた次第です。
 ☆☆
今回は「愛知……」に触れますが、「表現の自由」を考える内容です。でもこの理念を、私は余り積極的に採用する気になれない、という内容です。

 1 「表現の自由」ではなく
 極めて危ない状況にある。おそらくは展示会そのものの意義や正当性は飛び越えて、事態は進んだ。分かりやすく言うと、抗議の基調は「オマエは反日か否か」という査問だった。議論の不要な状況が露出している。これが「平和」というカテゴリーにも及ぼうとしている現状ではないか。たとえば、先だっての長崎!佐世保市教委が「原爆写真展」に対して、「政治的中立性を保てない」と。このイチャモンはなんだ?
 「表現の不自由」展示は様々なもので構成されていたはずだが、映像でたびたび出る「慰安婦少女像」で考える。
 私たちの記憶にしっかり刻まれた、吉田清二という「文筆家」がいる。吉田が出版や講演で「暴露(ばくろ)」した慰安婦問題は、日韓史に大きく影を落とした。吉田は労務報国会動員部長として、済州島で205人の婦女子を慰安婦として強制連行したと証言。これらは、多くが「創作」だった。次々と暴かれる経歴や事実の前に、吉田本人も創作を交えたものであることを認める。吉田証言に一大キャンペーンを張ってきた朝日新聞の購読者は激減。社長は記者会見で謝罪する。
 この事態の最大の功罪は「慰安婦問題はなかった」とする仮説を導き出し、世論を構成したことだ。そんなはずはない。議論された項目をいくつか上げてみよう。 
①慰安婦として志願したのは、売春婦である。
②慰安婦は、民間業者が斡旋(あっせん)した。
③女性の募集にあたって、業者は軍や憲兵と連絡を取り合った。
④自分の意思に反して「動員」された女子もいた。
すべて本当だ。「規律の厳しかった日本の軍隊に、そんなことは許されなかった」とは、冒頭で「愛知トリエンナーレ」を叩いた某小説家の言ったことだ。中には優しかった上官や、節度を持った部隊もあったようだ。しかし、大体は「上官の命令は天皇の命令」が相場で、みんな横暴だったという証言だらけだ。そのせいか「(学歴関係なしでいい)希望は戦争」なんていう若者が、少し前に注目を浴びた。
 まじめな研究者の地道な仕事は、当時の警察の公文書の中に、
・「軍の名をかたり……女性を海外に売り飛ばそう」としている業者の取り締まり
・警察の慰安婦斡旋取り締まりを知った内務省が、慰安婦を……容認するよう通達
等の文書を見つけている。
 さて以上のことを踏まえても、今回の「愛知トリエンナーレ」に関して、やはり積極的評価を下せない。「慰安婦問題」を「表現の(不)自由」で取り組もうというのは無理がある。まだ終わっていない歴史的議論を避けては通れないからだ。
 詭弁(きべん)を弄(ろう)して広まったのが「ヘイト運動」だったことを思い出す。

 2 「ワイセツの何が悪い!」
 歴史上様々な「検閲(けんえつ)」、あるいは「発禁(発行禁止)」があった。非合法活動はもとより、芸術活動もだ。表現の自由を語る上でおあつらえ向きと言えるのは、「猥褻(わいせつ)」論争だ。

「猥褻」で発禁となった本を私が持ってることを思い出した。あちこちシミが出てしまっているが、これはナニか深い理由があるからではない。もう少しで発行から50年を過ぎる雑誌なのだ。
 この「fork report うたうたうた」なる音楽雑誌。私は大学の寮にいてその難を免れたが、警察は出版社や本屋をガサ入れするばかりでなく、購入者を割り出しかなり没収したらしい。次の号はその特集だった。
 では、オールヌードの少年少女の扉が指弾の対象となったのか。違う。紙面は、当時有名を欲しいままにしていた岡林信康や高石ともや、あるいは現在も活躍中の漫画家・東海林さだおが楽譜の合間をぬって、卑猥(ひわい)な会話や漫画で満載である。例をあげれば、『悩みの相談室』コーナーには避妊や早漏(そうろう)などの相談が寄せられている。音楽と全く関係なし。そして「露出狂」に悩む若者の訴えには、
「あなたは決して異常ではなく、間違っていません。なにしろ、ストリップ劇場と言えば、踊り子は女で、見る方は男と相場が決まっていて、そのうえなによりも間違っていることは、踊り子の大部分が陰部は露出はするけれど、決して露出狂ではないということなのです。くれぐれも頑張ってください」
という、今でも十分使用に堪える回答だ。しかしすべては外れていた。短編小説が「猥褻文書」となったのである。
 長々と書いてきたが、この「ワイセツか否か」論争は果てし無かった。江戸時代にはなかったのに。70年代は、いわゆる「ヘア」論争がかしましい。下支えするように「表現の自由」の議論があった。
 この議論にさっさと終止符を打ったのは、大島渚である。大島は1960年、制作した『日本の夜と霧』が公開からわずか4日後、配給会社松竹に打ち切られる過去を持つ。その大島は「日本という文化の後進国にいたら映画は撮れない」と『愛のコリーダ』(1976年)を撮るため、パリに渡る。

ヤらしいものをヤらしく撮る。それをしたいんだ、という。「芸術活動」だ「表現の自由」だとかいうお題目を並べなかったことは、今でも潔(いさぎよ)いと思える。「ワイセツか否か」ではなかった。
  「ワイセツの何が悪い!」
日の丸が乱舞する道々、下を向いて歩く(阿倍)定の愛人、吉が切ない。日本での公開はモザイクが入っていた。それでも「本番」が繰り返される映像は、二人のピュアな心を伝えていた。



 ☆後記☆
今年も手賀沼花火大会、行って参りました。結構近くで見ましたよ。そんなわけで水上花火も見れました。

開始直後、鳥たちが驚いて鳴いて、一斉に木から飛び出すのですよ。申し訳ない。
 ☆☆
先月に引き続き、W・I・Uの収録をして来ました。今回のテーマは「学校的(不)平等」です。30分を切ります。良かったら見てください。アップされたら報告します。
暑いですね~

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