実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

なりわい 実戦教師塾通信九百四号

2024-03-15 11:38:19 | 福島からの報告

なりわい

 ~たくましさの場所~

 

 ☆初めに☆

賃上げが物価の値上げに追いついていないというニュースが、頻繁に流れています。確かに買い物をするたび、物価高の実感は紛れもありません。200円を切る牛乳は低脂肪乳や加工乳をのぞいて見られなくなり、安いもので220円あたりでしょうか。楢葉の蛭田牧場も大変な様子で、値上げしたところでエサ代が追い付かないといいます。

農家の人たちの副業の話をするうち、福島の生業(なりわい)が、どう変わって来たのか、改めて知ることとなりました。やっぱり原発が作られる現場を見てきた人は違うのです。渡部さんの語りは、容赦ありませんでした。

 1 「オレは自由人だよ」

 福島と新潟の原発は、ほぼ同時期、建設に向けた調査が始まっている。新潟の柏崎・刈羽原発の建設・稼働は住民の反対運動が激しかったからなのか、福島に比べ大幅に遅れた。東北での原発誘致に関して、女川の漁師を中心とした反対運動は覚えているが、確かに福島の印象は薄い。宝鏡寺・早川住職の苦労を思った。渡部さんは外を指さす。

「ここは新潟と違ってよ、諸手(もろて)を挙げて大歓迎よ」

聞けば、かつて40軒ほどあった楢葉の畜産農家の殆どは、牛が4,5頭ほどを飼う、あくまで副業の酪農だったらしい。渡部さんの家は、20~30頭ほどの牛を抱える、酪農専業農家だった。いつになく渡部さんは熱かった。

みんなやめちまうんだ、副業はあくまで生計の一部だしな、そういうこともあるだろう。でもな、本業までやめちまう。どうしてかって? 東電から仕事のあっせんは、すごいもんだった。仕事の種類ばかりじゃねえ、東電の職員や社員になれば給料が全然違うんだよ、しかも農業と違って安定した収入だ。朝から晩まで働いて、場合によっては夜の夜中まで働くんだオレたちは。それでみんなやめてった。

そこの家も、あそこもやめてったと言って、渡部さんは庭の向こうや空の彼方を指さした。でも、そんな風にどんどん歯が抜けて行くような心細さを、どうやってしのいだのだろうと思う。いつも言っている「ご先祖から受け継いだ生業であり、土地がある」からなのだろう。それもあるんだが、そして、と渡部さんが言った。「自由でいたいってことなんだよ」。それで思い出した。渡部さんが仮設住宅での仕事をやめ、家族よりひと足先に楢葉に戻る2016年の春のことだ。戻れば草刈りや土地の整備、肥料撒きや線量測定など、山ほど仕事が待っている。私が、春からの職種はなんですか?と聞いた時の渡部さんの、嬉しそうな顔で言ったことを思い出したのである。

「4月からもう、オレは自由人だよ」

 2 奇襲攻撃「真珠湾」「ハマス」

 ツグミとシジュウカラ(どっちも鳥に全く無知な私の、無責任&勝手な想像です)の声が、のどかな宝鏡寺にこだましている。墓地の頂上まで、初めて登った。今回こそは、早川住職のお墓にお参りしようと思ったからだ。

結局、見つけられず終わったが、コンクリートで固めた斜面は崖のようで、こんな転げ落ちそうな急斜面を法事や葬儀の際に親族が登っているのかと思いつつ、眼下を見下ろした。下から見れば、おびただしい数のお墓が並んでいる。

伝言館は能登地震・志賀原発の展示だったはず。いつも隣接する「平和館」が、展示場所になっている。違っていた。

ルーズベルト大統領時代の国会議員、ジャネットランキン。女性で初めて、アメリカの議員として選出。写真にあるように、第一次大戦の参戦に反対する。驚くのは、第二次大戦にも反対することだ。つまり、アメリカの参戦は、真珠湾攻撃を機にしているからだ。連邦議員470名の中でたった一人、反対票を投じた。怒り狂った群衆に囲まれ帰宅の途に付けず、警察に電話するのだ。展示パネルは50枚に及んでいたが、その中の「戦争への準備が戦争そのものへとつながるのです。平和を願うなら平和に備えなければなりません」という彼女の言葉が、心に残った。

また、ジャネットは「真珠湾攻撃の奇襲を、事前に大統領は知っていたのではないか」と、のちに調査を要求している。私はハマスの奇襲をネタニヤフは知っていたのではないか、という疑惑を思い出した。せっかくなので、国連難民救援機関(UNRWA)の職員がハマスに協力していたことについて。この機関はオープンなもので、名簿はイスラエルにも公開されている。イスラエルの高度な偵察・分析を、ハマスに協力したメンバーは免れたということになる。

 さて、私がもたもたしてたもので、能登地震関連の展示が終わったと思った。「一階の展示を見なかった?」とは、安齋先生。一階は常設コーナーとばかり思っていた私がうかつでした。石清水八幡宮に行って、肝心な本殿を見ずに帰って来た吉田兼好のことを思い出しました。

 

 ☆後記☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日です。卒業・卒園・進級・進学、もろもろお祝いのお赤飯です

小豆(ささげ)の処理が面倒なお赤飯です。試しに作ってみました。もちろん炊飯器で、ですが、美味しかった👍 小さい頃は、お赤飯を美味しいとは思えませんでした。子どもの成長で、大人が感じる幸せの味なんですねぇ。

明日発行の通信(チラシ裏)です。下の写真は、手賀沼で満開の河津桜。春です🌸


最新の画像もっと見る

コメントを投稿