妖怪ウォッチ(上)
~「お化け」の場所~
1 初めに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c6/7d9ea6a8a0a22423323a9e0600aa7fc4.jpg)
プレイステーションにすっかりゲーム市場シェアを取られた感のある任天堂だったが、勢いが止まらない。この妖怪ウォッチを私は気になって仕方がない。内容の愉快/不愉快を問わず、ある出来事の原因を「妖怪のせい」とする。なんとも面白く、ノスタルジックに感じるのである。この「妖怪」は、どうも「幽霊」ではなく、「お化け」の領域に所属するようだ。「お化け」をバカにしてはいけない。「お化け」とともにあった私たちのご先祖たち。妖怪ウォッチがなんとなくその世界とつながっている、と感じるのである。そのせいか、実は大人も夢中になっている。妖怪と友だちになるとメダルをもらえて、それを腕時計にセットすれば、いつでも呼び出せるという。これは従来のゲームソフトとは少し違った手触り感があるように思えた。
メダルをたくさん抱えた年長(幼稚園)らしい子どもをつかまえて聞いてみるが、どうも要領を得ない。少しツボを得ない。小中学生の客観性が必要と見て、母親たちや先生たちに「調査」を頼んでいるところだ。
私はこの妖怪ウォッチに、積極的な意味での「理屈を必要としない」ものを感じた。それは、私たちご先祖たちが生きていく時に採用したあり方、と似ている気がしている。そんなわけで、この連載は「理屈抜きの子育て」という話になっていく。「上/下」の二回で書ければと思う次第である。
2 「お化け」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/15/b4e3f59093ef369ce3d7e62b0e7d8191.jpg)
川猿(水木しげる『妖怪お化け絵文庫』より)
「幽霊」と「お化け」のカテゴリーを、いや、この場合はテリトリーとした方がいいかも知れない、その区別を確認しておこう。どちらも一定の条件のもとに現れる。幽霊は深夜を中心に、ところかまわず出てくる。しかし相手を選ぶのがこいつの特徴で、なにかの因果で選ばれた相手はどこに逃げようと、その姿に恐れおののくこととなる。一方、お化けの方は相手を選ばないものの、出没する場所や時間が大体において決まっている。雪女は当然雪国(越後)の夜、と相場が決まっており、のっぺらぼうは、紀伊国坂(今の赤坂付近)に深夜現れるものである。
もうひとつ、読者もご存じかも知れないが、私たちのご先祖たちは、多くの場合「黄昏時(たそがれ)時」、お化けに出会った。「黄昏(タソガレ)」は、「ダガソレ(誰がそれ)」の変化したものである。暗くなった時分に「相手が誰か分からない」ことを指す。薄暗がりの中で、人々は「ダガソレ(そなたは誰)?」と尋(たず)ねた。すると、普通は「オラじゃ」と答えるところを、タヌキの場合は「ウラじゃ」と答えて化けの皮をはがす。もうタヌキは、それ以上旅人(または村人)をだますことをあきらめるそうだ。集落での「こんばんは」「おばんです」のあいさつが、実はこれらの名残であった(ある)ことを、私たちは覚えておいていい。薄暗い、明かりのない集落で、
「おばんです」
「おお、吉平か。おばんです」
「いや、六蔵か」
というやりとりは、相手が村のものか、それとも行きずりのものか、そしてお化けなのかという仕切りをする上で、かっこうの道具だった。
今や時代は、安全灯に照らされる闇、そして行き交う人々はほとんどが他人だ。こんばんはのあいさつをしようものなら、かえって不審者のレッテルを貼られかねない。都市伝説としての幽霊や、お化けの行く末を案じるのである。
3 「お化けの仕業(しわざ)」
私たちの時代はさすがに「神隠し」は衰退し、その代行とも言うべき「人さらい」が山に出没した。あるいは母親たちは「サーカスに連れて行かれる」などと言って、子どもたちの悪さを戒(いまし)めた。この頃、姿を消した子どもが夜遅くに帰ってくるとか、場合によっては翌日現れたということは、町や集落の噂ばかりでなく、ニュースとなった。私の知る範囲では、帰って来た子ども達はみな一様に口をつぐんだので、大体は「きっと恐ろしい目にあったのだろう」という想像で処理した。そして、この世には私たちの知らない人たち(生き物)がいる、と思った。
今では、親に「誰と/どこへ」を伝えてから出かけなさいなどと言う。昔は「山に行くな」であった。きっと「山」は、親の「目の届かない場所」のことだった。我が子のいとおしさ、我が子への戒めが、
「山へ行くな」
なのだ。そう思えば、道の傍(はた)で泣いている子どものお化けは、「見過ごしてはいけない」ことの忠告にも思えてくる。
黄昏(たそがれ)時に、江戸は本所の「おいてけ堀」で、働き者の釣った獲物を誰かが後ろから「おいてけ」と言う。言われるままに置いて家に着くと、籠には宝物が入っていた。それを聞いた別な横着者が同じように獲物を置いていったが、籠には汚いゴミばかりが入っていたという話。これらのいわゆる「長者」のお話は、
○人の運や不運は、生まれついたものだ
または、
○真面目なものを不真面目なものがまねようとしても無理だ
ということを教えている。
さて、教室や家庭でアクシデントが発生する。すると子どもたちが、
「それ、ジバニャンがやったんだ」
と言うんだとか。
私は妙なくらい幸福感に包まれてしまう。
☆☆
母親や先生たちの「調査」後、私はきっとまた書きたいと思うのです。「下」のあともいつか「続編」として取り上げようと思っています。
ちなみに次回は、福島からの報告をしたいと思っています。久之浜の住宅に引っ越したおばちゃんたちの話をしようと思います。
☆☆
パラオのペリリュー島の全滅/玉砕(ぎょくさい)知ってましたか。沖縄や硫黄島、そしてテニアン島ぐらいまではなんとか知ってましたが、ニュースを見て考えてしまいます。あんなにむくんだ顔をした天皇が、皇后の手を支えにして歩いている。真冬に戻った感の東京から真夏の島に出向く姿は、もう命懸けとも思えました。
方や、機雷除去を「戦時下であっても可能」という政府の方針が、着々と進んでいます。なんということだ、と思ってしまいます。
☆☆
イチロー初ヒット。やった! マー君、開幕試合、なんと黒星!
寒い寒い。春よ来い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a5/4b1a3e43102ff112d0c4cb62b3b68085.jpg)
三日前、すぐ近くの大津が丘公園の桜です。
~「お化け」の場所~
1 初めに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c6/7d9ea6a8a0a22423323a9e0600aa7fc4.jpg)
プレイステーションにすっかりゲーム市場シェアを取られた感のある任天堂だったが、勢いが止まらない。この妖怪ウォッチを私は気になって仕方がない。内容の愉快/不愉快を問わず、ある出来事の原因を「妖怪のせい」とする。なんとも面白く、ノスタルジックに感じるのである。この「妖怪」は、どうも「幽霊」ではなく、「お化け」の領域に所属するようだ。「お化け」をバカにしてはいけない。「お化け」とともにあった私たちのご先祖たち。妖怪ウォッチがなんとなくその世界とつながっている、と感じるのである。そのせいか、実は大人も夢中になっている。妖怪と友だちになるとメダルをもらえて、それを腕時計にセットすれば、いつでも呼び出せるという。これは従来のゲームソフトとは少し違った手触り感があるように思えた。
メダルをたくさん抱えた年長(幼稚園)らしい子どもをつかまえて聞いてみるが、どうも要領を得ない。少しツボを得ない。小中学生の客観性が必要と見て、母親たちや先生たちに「調査」を頼んでいるところだ。
私はこの妖怪ウォッチに、積極的な意味での「理屈を必要としない」ものを感じた。それは、私たちご先祖たちが生きていく時に採用したあり方、と似ている気がしている。そんなわけで、この連載は「理屈抜きの子育て」という話になっていく。「上/下」の二回で書ければと思う次第である。
2 「お化け」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/15/b4e3f59093ef369ce3d7e62b0e7d8191.jpg)
川猿(水木しげる『妖怪お化け絵文庫』より)
「幽霊」と「お化け」のカテゴリーを、いや、この場合はテリトリーとした方がいいかも知れない、その区別を確認しておこう。どちらも一定の条件のもとに現れる。幽霊は深夜を中心に、ところかまわず出てくる。しかし相手を選ぶのがこいつの特徴で、なにかの因果で選ばれた相手はどこに逃げようと、その姿に恐れおののくこととなる。一方、お化けの方は相手を選ばないものの、出没する場所や時間が大体において決まっている。雪女は当然雪国(越後)の夜、と相場が決まっており、のっぺらぼうは、紀伊国坂(今の赤坂付近)に深夜現れるものである。
もうひとつ、読者もご存じかも知れないが、私たちのご先祖たちは、多くの場合「黄昏時(たそがれ)時」、お化けに出会った。「黄昏(タソガレ)」は、「ダガソレ(誰がそれ)」の変化したものである。暗くなった時分に「相手が誰か分からない」ことを指す。薄暗がりの中で、人々は「ダガソレ(そなたは誰)?」と尋(たず)ねた。すると、普通は「オラじゃ」と答えるところを、タヌキの場合は「ウラじゃ」と答えて化けの皮をはがす。もうタヌキは、それ以上旅人(または村人)をだますことをあきらめるそうだ。集落での「こんばんは」「おばんです」のあいさつが、実はこれらの名残であった(ある)ことを、私たちは覚えておいていい。薄暗い、明かりのない集落で、
「おばんです」
「おお、吉平か。おばんです」
「いや、六蔵か」
というやりとりは、相手が村のものか、それとも行きずりのものか、そしてお化けなのかという仕切りをする上で、かっこうの道具だった。
今や時代は、安全灯に照らされる闇、そして行き交う人々はほとんどが他人だ。こんばんはのあいさつをしようものなら、かえって不審者のレッテルを貼られかねない。都市伝説としての幽霊や、お化けの行く末を案じるのである。
3 「お化けの仕業(しわざ)」
私たちの時代はさすがに「神隠し」は衰退し、その代行とも言うべき「人さらい」が山に出没した。あるいは母親たちは「サーカスに連れて行かれる」などと言って、子どもたちの悪さを戒(いまし)めた。この頃、姿を消した子どもが夜遅くに帰ってくるとか、場合によっては翌日現れたということは、町や集落の噂ばかりでなく、ニュースとなった。私の知る範囲では、帰って来た子ども達はみな一様に口をつぐんだので、大体は「きっと恐ろしい目にあったのだろう」という想像で処理した。そして、この世には私たちの知らない人たち(生き物)がいる、と思った。
今では、親に「誰と/どこへ」を伝えてから出かけなさいなどと言う。昔は「山に行くな」であった。きっと「山」は、親の「目の届かない場所」のことだった。我が子のいとおしさ、我が子への戒めが、
「山へ行くな」
なのだ。そう思えば、道の傍(はた)で泣いている子どものお化けは、「見過ごしてはいけない」ことの忠告にも思えてくる。
黄昏(たそがれ)時に、江戸は本所の「おいてけ堀」で、働き者の釣った獲物を誰かが後ろから「おいてけ」と言う。言われるままに置いて家に着くと、籠には宝物が入っていた。それを聞いた別な横着者が同じように獲物を置いていったが、籠には汚いゴミばかりが入っていたという話。これらのいわゆる「長者」のお話は、
○人の運や不運は、生まれついたものだ
または、
○真面目なものを不真面目なものがまねようとしても無理だ
ということを教えている。
さて、教室や家庭でアクシデントが発生する。すると子どもたちが、
「それ、ジバニャンがやったんだ」
と言うんだとか。
私は妙なくらい幸福感に包まれてしまう。
☆☆
母親や先生たちの「調査」後、私はきっとまた書きたいと思うのです。「下」のあともいつか「続編」として取り上げようと思っています。
ちなみに次回は、福島からの報告をしたいと思っています。久之浜の住宅に引っ越したおばちゃんたちの話をしようと思います。
☆☆
パラオのペリリュー島の全滅/玉砕(ぎょくさい)知ってましたか。沖縄や硫黄島、そしてテニアン島ぐらいまではなんとか知ってましたが、ニュースを見て考えてしまいます。あんなにむくんだ顔をした天皇が、皇后の手を支えにして歩いている。真冬に戻った感の東京から真夏の島に出向く姿は、もう命懸けとも思えました。
方や、機雷除去を「戦時下であっても可能」という政府の方針が、着々と進んでいます。なんということだ、と思ってしまいます。
☆☆
イチロー初ヒット。やった! マー君、開幕試合、なんと黒星!
寒い寒い。春よ来い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a5/4b1a3e43102ff112d0c4cb62b3b68085.jpg)
三日前、すぐ近くの大津が丘公園の桜です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます