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アリ逝く  実戦教師塾通信四百九十九号

2016-06-10 11:37:04 | 戦後/昭和
 アリ逝(い)く
     ~またひとつ「戦後」が終わった~


 1 朝日新聞対日刊スポーツ



 初めの写真が、朝日新聞のトップを飾った記事。次が日刊スポーツのぶち抜きの写真である。もう、まったく態度が違う。何が「モハメドアリさん」ですか。知り合いか友人に言ってるような軽さだ。この際に言いたい。コメンテーターや司会が、よく「漱石さん」だの「聖徳太子さん」などと言ってる。相手は「一休さん」や「(吉田)類さん」ではないぞ。双方ともに庶民から愛されたから、というつもりか? 下がれ、無礼者め! 私たちはしかるべき時、その人物を尊敬するため、あえてその人物を「敬称抜き」にしているのだ。
「アリよ さらば」(日刊スポーツ)
だ。当たり前だ。

 2 ベトナム戦争
 ブログのジャンルで、一瞬迷った。もちろん「武道」ではない。「エンターテインメント(興行/娯楽)」とすべきか、と。しかし、同時代に生きた私たちだったではないか、と恥ずかしながら、そして思い入れたっぷりに「戦後/昭和」で書かせてもらう。
 読者もニュースでたくさん目にしただろう。1967年、アリはベトナム戦争に反対し、
「ベトコン(南ベトナム民族解放戦線の蔑称(べっしょう))が、オレをニガー(黒人の蔑称)と差別したことはない」
と言って、徴兵(ちょうへい)を拒否する。その後、それがもとでヘビー級チャンピオンのタイトルを剥奪(はくだつ)される。
 アメリカの1960年代とは、黒人差別(正確には「有色人差別」)がまだまだ顕著だった。たとえば、アランパーカー監督の『ミシシッピーバーニング』(1988年)を見ただろうか。黒人の公民権運動を押し進める若者が殺されるという、実在の事件がもとになった映画だ。手洗い場の「colored(有色人用)」と書かれた蛇口から水を飲む黒人の少年。その冒頭シーンは、見るものの目を引きつけた。そして同時に、ナチス時代の「ユダヤ人専用ベンチ」を思い出したはずだ。
 アリが、当時こんなことをバックに、
「なぜオレが、罪もない有色人の頭上に爆弾を落とす必要があるんだ」
と言った意味の重さと価値はとてつもなかった。

 アリが発言して半年がたって、当時の日本の総理佐藤栄作が、南ベトナムを訪問する。日本が南ベトナムへの支援を約束する、というのだ。総理が訪問する南ベトナムとは、この時、南ベトナム民族解放戦線(以下、「解放戦線」と表記)に「手を焼いていた」南ベトナム政府のことだ。1965年に北ベトナムの爆撃を開始したアメリカが、その南ベトナム政府を支援していたのはもちろんだ。

1967年10月8日、総理佐藤の南ベトナム訪問を「阻止」する、学生中心のデモ隊が羽田に向かう。写真の奥に羽田が見える。ヘルメットと「ゲバ棒」が初めて登場したデモとして注目された。京都大学の山崎博昭が、機動隊の装甲車に轢(ひ)かれて亡くなっている。当時、私たちは「ベトナム戦争の真っ只中」にいたのである。
 そして、この日と同じ日、

ボリビアで捕まったゲバラが、処刑された。

 3 差別撤廃と平和のシンボル
 再び、アリ逝去(せいきょ)を伝える両紙に戻ろう。アリが徴兵を拒否した顛末(てんまつ)のとらえ方である。まずは朝日。アリ入隊拒否直後の世論に視点を置き、
「批判も多かった」
とする。日刊スポーツはこうだ。アリは、
「たった一人で米国に拳(こぶし)を向けた」
アリは戦った、というのだ。この違いは大きい。このあと、その違いがもっと鮮明になる。つまり、ベトナム戦争が長期化する中で、全米/全世界で反対運動が広がる。それで、
「アリさんの姿勢も支持を集めるようになる」(朝日・国際面)
などと間抜けなことを書く。引っ込め。
「アリの闘いは『聖戦』として支持されるようになる」(日刊スポーツ)
のだ。違いをはっきりさせよう。アリをみんなが支持したというよりは、アリが全米/世界のリーダーシップを取った、と言うべきだ。日刊スポーツの表現はそうだ。
 ダラス支局の記者らしいが、この朝日の記事は、
「信念を通した姿勢が米国でも評価されるようになった」
とかいう、ふにゃふにゃ路線で結ぶ。しかし、正確には、
「ついにアリは連邦最高裁で無罪を勝ち取り、差別撤廃と平和のシンボルとなる」(日刊スポーツ)
のだ。繰り返すが、世論がアリを支持して守ったのではない。アリが世論を作り出したのだ。スポーツのことはスポーツ紙にかなわない、などと言い訳を言うなよ。アリは戦後世界をリードしていた。アリのすごいところは、このあとだ。無罪を勝ち取っただけでは「シンボル」にはなれない。それでは「反戦活動家の一人」となる。しかしこのあと、アリのパンチは当時無敗だった最強のフォアマンを倒し、「キンサシャの奇跡」を起こす。1967年のタイトル剥奪から7年が過ぎていた。その姿は、
「オレは正しかったんだ!」
と言っているかのようだ。アリは世界を制覇(せいは)した。

 1996年のアトランタ五輪を忘れない。あの震える身体で、精一杯聖火を支えたアリの姿を。パンチドランカーによるものかと思っていたが、パーキンソン病だった。そのことを、ここでやり玉にあげた朝日新聞で知った。朝日に連載されている、沢木耕太郎の小説『春に散る』に書いてあった。取り上げたついでに言うと、この時のアリの姿を、パンチドランカーだとあざ笑った通りがかりのチンピラを、路上で殴り倒し服役(ふくえき)した元プロボクサーが、この小説に出てくる。多分、この元プロボクサーは、アリがパンチドランカーだとされたことに怒ったのではない。アリをあざ笑うことを許せなかったのだ。アリはこうして語り継がれている。

不可能とは、自分の力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。
不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。
不可能とは、誰かに決めつけられることではない。
不可能とは、可能性だ。
不可能とは、通過点だ。
不可能なんて、ありえない!

アリが死んだ。感謝を込めて。



 ☆☆
この解放戦線(蔑称として「ベトコン」)は、今だったらきっと「テロリスト」と呼ばれるのでしょう。しかし解放戦線は、北ベトナムと手を結んでアメリカと戦い、ベトナムをひとつにしました。そして社会主義政権を樹立します。今、中国と対立している、そしてアメリカと和解したベトナムがそうなんです。
つくづく歴史から学び、歴史を追わないといけないと思うのです。

 ☆☆
北海道の事件がきっかけで、「しつけ」論争がずいぶんと姦(かしま)しいですね。「しつけ」とするから、それが正しいかどうかという不毛な議論になるのです。それでまた、潔(いさぎよ)い態度をとれない、みっともない大人が増えるのです。
「腹が立ってやってしまった」
とは言えない社会になってしまったのですね。こう言える大人は虐待などしない。この言葉を発した時点で反省しています。

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