チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

神様の時間調整

2020年01月15日 10時29分20秒 | 日記

年が明けて何かちぐはぐなことが起きている

なぜ?と検証するが原因のあるものもあればないものもある

そのとき友人が運転する車に乗っていて、斎藤一人さんのテープが流れ彼の一言にハッとした

「つまずいたり何かが起きたときは神様が急ぎすぎだよまだその時期ではないよと時間調整をしている」

という言葉であった

 

そう結果を求めすぎていたのだ。前のめりに暮らしていたのだ。新年早々しっかり生きようと柄にもなく急いでいたのだ

などなど思い当たることは多い。必要必然の時にしっかりと一番必要な言葉を聞くものだと、いまさらながら宇宙法則に感謝

 

遺伝子オンとかサムシンググレートなどの言葉を作った村上先生と何回か取材でお会いし、また親しく食事などもさせていただいた

その折々の言葉も今思い出している

 

「人間は大腸菌一個も作れない、自分の体の中で何一つ自分が作ったものはないよ」

「人の体だけではなく宇宙万物、誰が作ったかは神様としか言いようがないけど、科学者はまだ今の時代は神様といってはいけない。でも比佐子さんは神様と言っていいよいうべきだね。神様喜ばれるわ」

「赤い糸でつながるというのは男女だけではなく、親子、家族、師匠弟子、一緒に仕事をする人、友人同士、会えなくても影響を受ける人たち、電車で隣り合わせになった人たちなどなど、赤い糸は縦横無尽にめぐらされている、人は糸を切ったり切られたりするけど、それは神様に任せるべきなんだよ」

そのとき奥様が「私たちは一瞬一瞬選択の連続ですものね、お任せしたほうが早い、自分で決めると間違った方向に行くこともあるもの、それを自我が勝つというのでしょうけど」

毎朝何を着るか、何を食べるか、どの道を行くか一日選択をしないことはない

「依存になりませんか?任せるということ」

「信じることで自然に自らがいい方向に動くのよね」

「その境地に達するまでどうするんですか?」

「どちらかまず決めてゆだねると、それがいいか悪いかはすぐ結果が出るわ、そのうち流れに乗れるようになる」

 

こういう話の後は「ふんふん」と納得しているのだが、目の前に事が起きるとあわてて自分の我を出す

それでどれだけしないでいい苦しみを味わうことになったか、ばかだねえーーと思う

ちぐはぐなことが起きているときはゆっくり何も考えず神様にお任せしたほうがいいらしい

 

神様がいるなんて絶対信じないという人もいる。チャ子ちゃん先生は幼少のころ三途の川を渡り損ねたので神様の存在は肌身で信じている

この世にとてつもない力を持たれた方が大きく宇宙を

支配している。そして私たちは一人一人神様の分身であるということも。だから生きとし生けるものみんな尊い

 

しかしそういうことを忘れてしまうほど切羽詰まる用事もある。そういう時に失敗をする。

ちぐはぐだったお正月も今日で終わりの女正月

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着物が繋ぐもの 281

2020年01月14日 10時22分11秒 | 日記

着物は暖かい

というより絹の重ね着が温かい

チャ子ちゃん先生洋服で一日を過ごすと風邪をひくことが多い

冬の絹は体温を外に出さないように包んでくれて、夏の絹は熱を放出してくれるだから涼しい

このことを科学的に説明をしようと蚕糸研究家と取り組んでいるがもうすぐその結果が出る

前に

蚕が桑蚕として野生の昆虫であったとき、繭の中で蚕からさなぎに変態しその中で7日間は生き続けている。そして蛾になった蚕は、その繭から自力で出て交尾し次の命を作る。そのためには絶対に繭の中で生きていなければならない。繭の中で蚕から蛹そして蛾に変態する三種類の変態だ。この大事な繭の中でどう生き続けるかが蚕の問題

 

天敵から身を守るため、繭をセリシンというたんぱく質で固める。これは蚕が吐くヒブロインというたんぱく質をさらに強度に固めるのがセリシンである。人の手で繭をつぶそうとしてもなかなかつぶれない、それほど強固にできている

 

外にいるので雨風に強い。水を絶対に通さない。しかし風は通して通風性を保っている。それでいて湿気はない。つまり保湿性がある。カンカン照りの太陽にも臆することなく繭の中で蛹は生き続ける。つまり紫外線をよけている。蛹が腐らないように活性酸素をはねつける

 

繭の中でいき続けるということは、繭そのもが強い。繭から取れる糸を私たちはもっと信頼していくことが賢いのではないか

 

これはあくまで外で育つ桑蚕としての特質で、家の中で育てる蚕に対してはこの遺伝子はなくなるのではないかと懸念したチャ子ちゃん先生は、蚕の研究家である大学の先生に話をしてその遺伝子を調べていただいた。

 

「大丈夫」遺伝子はそのまま生糸に生かされていた!

遺伝子をどんなに組み替えても、本来の遺伝子が全くなくなるわけではないという

桑蚕の遺伝子は絶対にそのままにしてほしいと切に願う

「蚕のクローンを作ろうと思った」という農学博士もいまは「そのままそのまま」とよりいい糸づくりのほうの研究にシフトした

 

絹を恐れずその繭の特徴を信じて信頼し着倒してほしい

日本人の知恵の宝庫絹の着物を今日も着て日本人の知恵に感謝して過ごそうっと

 

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着物が繋ぐもの 280

2020年01月13日 10時27分38秒 | 日記

今日は成人式 どうして毎年成人式の日を動かしているのか暦に対して冒涜だぞ。と毎年思う

一月15日は小正月、女正月としてお正月の最期を惜し事、そしてこの日江戸時代では江戸城で元服の行事、宮中でも祝い事。元服も16才だったり18才であったりと様々。だから今度成人の年齢が18歳になるというのは昔に帰っただけだともいえる。20歳はもう完全な大人。逆に考えると、成人の年齢を20歳にしてから日本人の大人は幼稚になってきたのかもしれない。16歳で子供を産んでる女も大勢いた。

 

さてその成人式に振り袖を着るという習慣ができたのは戦後だ。それまでは紋付姿の正装で祝い事をしていたとおもう。学生は制服だし、軍人は軍服。振り袖を着なければいけないのは呉服屋さんの販売能力が勝ったのだろう。

 

世の中流れが振り袖を着るとなったとき、だれよりも親たちが喜んだ。成人した我が子の晴れ姿は親にとって格別な思いがある。しかも振り袖を着た我が子はかわいい、美しい、いきなり大人の女になり父親のまぶしそうな顔

 

着物生活が続いていた時は紋付というのが正装の定番。振り袖にも五つ紋がついていて、その着物を婚約式の時に着るという流れであった。

 

帯結びは二重太鼓、金銀綾錦の丸帯が主流で袋帯は少なかった。そのため今はやりの華やかな花結びなどは到底できるものではない

大きく結んだ二重太鼓に品があった

ふくら雀の結び方がはやり始めたのも戦後、特に皇室関係の姫君たちの帯結びの定番のようになったことから一気に一般にはやり始めたと思う。ふくら雀の変型は着物の着付け学院ができてさらに量を増やした

 

そして昨今は帯の生地が薄くなり、また布地も化学繊維の物も多くなり、ふくら雀は無論のこと二重太鼓もできない世情となり、こちゃこちゃひだをつけた帯結びが大流行。これをどう思うかは個人差があるが、しわを作りたくないような帯があまりにも少ないということもある。また着付けの方々もいろんな形の帯結びをすることに喜びや楽しさを覚えているのだと感じる

 

というわけで今年も様々な帯結びが成人のお嬢さんの背中で笑っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1,11,11,11

2020年01月12日 09時40分55秒 | 日記

1月11日11時11分

神の数字といわれる一並び

この数字がそろったときチャ子ちゃん先生生まれて初めてというほどの強い叱咤を受けた

しかも

20年来穏やかな関係を保っていて出会うといつもにこやかにお互いお話をするというある神社の祢宜さん

ことは

成人式の前撮りを神社の境内において撮影をするということで、前もってセキドが許可を取っていた。しかも数回ここで撮影をしていていつもにこやかに応対をしてくださっていた

この日もセキドに「許可をいただいているのね」「ハイ、昨日も確認しています」

ということであと一人の着付けを済ませてセキドが来ることになり、振り袖姿のお嬢さんと和服をお召のお母さま、カメかラマンと神社に出かけ、受付の巫女さんに「秋桜舎です撮影に参りました」「どうぞ」と明るい声をいただき撮影を開始した

 

とそこへ神官の正装姿の祢宜さんが現れ「こちら迷惑なんですよ」と真顔でこちらの目を見据えて怒鳴る

「はあー」(いつもにこやかに話している相手の怒り顔に戸惑うチャ子ちゃん先生)

「この前もきちんと書類を出すようにとあれほど言ってるのに書類が出ていない、帰ってください」

「-----」

「まあもう来てしまったのでしょうがないですが、書類を渡すので書き込んでください」

「ハイ申し訳ありません」

書類に書き込むとき一月11日11時11分

アッこれは祢宜さんの言葉ではなく神様が祢宜さんの口を通して「迷惑、書類、決まり」などの言霊を私に諭しているのだなと気が付いた

セキドの弁解は「書類のことなんか聞いていませんよ、そして昨日確認の電話をした時も和やかに話しましたよ。比佐子さんこれって1と1が続くので神様が彼の口を通して何か言ってくれているんですよね」

「あなたもそう思う?お互いに神様の言葉を解いてみましょう。それにしてもあんなに真顔で人に怒鳴られるって生まれて初めてかもしれない、怖かった」

「迷惑」まさしく迷いと惑うわけで、今ある団体から退会をしようかと迷っていてその思いに決着をつけて相手側に連絡をしたばかりだった、それは正解だったのだと知った。また相手に深い遺憾を与えたということは、筋を賭していないことの指摘。つまり「親しき中にも礼儀あり」ということで祢宜さんのお立場をもっと考慮しなかったこともあると思った

 

驚いたのは「迷惑」というのは仏教語であった

迷いにさえ気づかず知らず知らずに自分を傷つけ他人を踏みつける自他を傷つけることが迷惑というのだそうだ

目先に利益にとらわれず、朗らかに明るく軽やかに暮らすことの指摘でもあった

 

真顔で怒鳴った祢宜さんは「大天使」であった 感謝

 

 

 

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着物が繋ぐもの 279

2020年01月11日 08時49分43秒 | 日記

初春の着物の作品展に出かけた

一時期もう買うものもなく見ても仕方がない、それに経営者世代が変わり、お客の層も変化し会場に行っても自分の場所がないような寂しさがあり(自意識過剰)何年か失礼していた

さくねんから「最近の傾向」も見たほうがいいかな、という思いでご案内をいただいたら行くことにした

チャ子ちゃん先生昨年「死ぬまで現場にいる」と肚を決めたので、これはやはり勉学が必要

 

そして昨日しっかり腑に落ちたことがある。「まさしく着物も二元化」したということ

かねて着物は大量生産は向かない、着たい人がいてその人たちに手の届く範囲に生産し値段も常識の範囲で。ということを主張していたがなかなかそうならず、着物をビジネスの対象として考える人たちの手によって大量生産、大量販売という方向に向かい、着物がタンスの中でぐっすり眠ってしまった。それが古着市場に大量に出回り、1000円単位の着物や帯になって消費者には歓迎されているが、手仕事の着物の価値は一気に落ちた

「着る人が多くなってイイじゃん」という人が圧倒的に多いが、「手仕事」という方向から見るとそれはあってはならない

着物を作り上げる「手仕事」の中には先祖の知恵が詰まっていて、その知恵が日常に働き、日々の生活に潤いを与えている

桑の木を育てる、蚕は桑の葉を食べて育つ、そうすると桑の木に化学肥料や農薬は無理、土を肥やすためには堆肥が必要、枯れた葉、毎日の食事から出るあまりの食材などからしてたい肥にする知恵、そうするとごみは出ないし循環する。太陽と雨などの恵みがプラスされ土は育つ。これは一例に過ぎないが人が生活するという基本は自然法則に適っているかどうかにある。「手仕事」はその自然法則と知恵を私たちに示してくれる

 

もはや人間は自然法則だけでは生きていけない状態になっている、機械生産の物のほうが手仕事生産の物よりはるかに多い。だからそちらも生活の中で必要であろう。着物も機械生産と手仕事にしっかり分かれていた

そしてこれからも永遠に残るのは「手仕事の着物」だと確信した。「この仕事は私で七代目、私は五代目、私は三代目、私は十代目」30,40代の若手が静かに家業を継いでいる。尊いことだ。この方たちを応援する方法は「着物を着る」それしかない

この若手たちは楽しんでいる。先祖から伝わってきた知恵をさらに次の世代につなごうとしている

笑ってしまったがチャ子ちゃん先生が取材した相手はみんな彼らのおじいちゃんであった!

「取材が珍しいころ初めて取材を受けた親父が大事に持っていた写真ですよ」彼らの父親の一人が見せてくれた

なんとその親父さんの隣で笑っているのはミニスカートをはき、トンボメガネのサングラスをかけた若きチャ子ちゃん先生

「きゃーいやーだ」

 

 

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宇宙の三原則

2020年01月09日 10時01分51秒 | 日記

今から30年近く前になる

中野裕弓さんに教わった宇宙三原則

1あなたに起きることは必要必然

2それは絶妙なタイミングで起きる

3しかし宇宙はあなたをつぶさない

そしていろんな話をしながら二人で本を出した「私が変わればまわりも変わる」三五館 1997年(平成9年)

 

その後この宇宙法則を日常の軸において生活をしていたが、ややもすると「我」でてこの法則を忘れ七転八倒して苦しむ

簡単なこの三原則を肚に落とすのにチャ子ちゃん先生20年かかっている(バカ)

本を出したあたりはこの三原則を常に頭に置いていたので、たいていのことには動じないで過ごしたけれど、調子よくなると自分の力だと勘違いしてしまいうぬぼれるそうすると、いつの間にかこの三原則は消えていく

 

ここえきて

今大転換の時代に入ってなお一層大事になるのがこの宇宙三原則だと感じる

科学的にも死後の世界のことが退行催眠で明らかになると、私たちはこの世では「魂を磨く」ことだけに集中すればいいと理解できる

魂の進化の度合いによってあちらの世界での居場所が決まる

魂の進化を助けるのがこの宇宙三原則だと最近やっと肚におちた

しかし

昔の人はこの三原則を身に着けていたのだ

自分の身に起きたことであわてず、なぜ今起きたのかを分析し、反省するところはしっかりと反省して人の判断を待つのではなく「神」のおしめしをまつというスタンスであったっと思う

 

「神様は見ている、おてんとうさまは見ている」こう言いう言葉をいやというほど子供のころ聞かされ

「いじわるされた」と告げると「かみさまがちゃんと見てるから大丈夫」何が大丈夫かもわからないまま「ふん」とうなずいて母の胸に飛び込みなくだけ泣いて気持ちが収まる

そしてやおらなぜ意地悪されたのかの分析が始まる。そうすると意地悪される理由が自分にあることがわかりそれが明快になると「ひとつえらくなったね、神様喜んでるよ」で母の尋問は終わりおやつになる

神様を仲立ちすると親への信頼が増すこれは昔の人の知恵だろう

 

このような知恵を今みんな置き忘れている

今年の「ナイトコスモス」この宇宙三原則をみんなで語り合おうと思う

毎月第一金曜日18時30分から20時 軽い食事つき 3500円+税

 

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着物が繋ぐもの 278

2020年01月08日 11時47分02秒 | 日記

草木染について

チャ子ちゃん先生が着物に興味を持ったきっかけは「草木染」の命名者「山崎斌」さんとの出会いから、ということはもう何回も書き言ったりもしているので古い話になってしまうが、やはりこの草木染の色の美しさには何回も見て感動する

 

植物からかくも美しい色が出るかと神様はなんと美しいものを渡したいに与えてくれたのかっと感謝しかない

こういう美しさを身に着ける幸せは着物を着る人にとって最高の楽しみでもある

さらに色だけではなくその色の持つ波動も共有できる

色の波動は虹の波動と同じで、その虹の波動は私たちのチャクラに連動をする。だから色を身に着けることは人にとってとても大切なことと言える

最近は「カラーパンクシャー」と言ってチャクラの色を体に当てることで血液の循環がよくなったり、内臓の働きがよくなったりと体の動きを助成する療法もある。それは色は光と解釈さる科学でもある。

化学染料の色にも色の力はあるが、それよりも植物の色の力のほうがっ強い

私たちの先祖はその力を知っていたのだろう。色に対する思いが強い。植物染料はその季節の漆器や温度で色が変わる。そのため日本の植物染料の色の数はおびただしくある。その一つひとつにきれいな色名をつけている。「色霊」「言霊」その二つを身に着けるのだから体は守られると解釈できる

そういうことを知ってか知らずか昔の人の知恵はさらに進み、草木染の素材が漢方の材料にもなることを発見、おしゃれと健康、それに心の運びまでを一緒にして装いを楽しんだ

 

このような先祖を持っている日本人はなんと幸せであろうか

先祖の知恵が薄れている昨今、岡谷のシルク博物館でおこなっわれている「草木染山崎家三代の軌道」を見直してみるのも一興

一月19日(日曜日))新宿8時のazusaにのって一緒に行きませんか? 博物館では草木染の見学、宮坂製糸工場の見学、縄文博物館の見学おいしいお蕎麦などご一緒にいかがでしょう?
 
申し込みは03-5350-4261 info@kosmos.ciao.jpまで
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着物が繋ぐもの 277

2020年01月07日 16時14分48秒 | 日記

今日はある団体の新年会

お昼をいただきながら一年に一回のご挨拶をする

絹関係だけど毎年人が変わってくる

というのは絹は糸ではなく、工業になりつつあるからだと思う

農学博士から工学博士が多くなった気がする、そして根っからの職人も少なくなった

多分事業の廃業やお年を召したのかもしれない

 

お会いしたい人が欠席だった、このかたは江戸時代からの蚕に詳しくいつも教えを受けている。ああ残念聞きたいこと山とあったのにーー

なじみのお顔もいらっしゃって、農学博士が多いので質問をあれこれできてこの日はちゃこちゃん先生にとっては有意義

それに何といっても食事がおいしい(新しい年になっても食い物に優先の癖は治っていない)

 

絹の未来がこの日にわかる、絹はもう滅びの道をまっしぐら

しかし研究者は黙々と糸の研究に取り組んでいる

今日は伊勢神宮の次の遷宮のための糸づくりがもう始まっているという話を聞いて、その糸の写真も見せていただき感動する

うれしいことに皇居の紅葉山の養蚕業もしずしずと進められているという

「小石丸」なのだろう

青熟も曙、長久もその他在来種はまだまだあるのだが、小石丸という品種に偏っている

「どうして?」

「ナカタニサンたちマスコミの方がもてはやしたからではないですか?」

と逆襲される始末。藪蛇だった

 

そのマスコミ関係も今や着物のページが極端に減っているので二人しかいなかった

しかもその二人とも会社を離れて久しい

記事にするような話が聞けないと思っているのだろうか、そうではないもう絹に興味が薄れているのだ

 

撚糸業の方とも話をする

糸を強くするには撚糸が必要なのだがそれだけでは最近は食べていけないので、ポリエステルの撚糸も始めたそうだ

背に腹は代えられない

 

総じて言えるのは「着る立場に立って絹を考える人がすくなくなっている」のが現状だろう

蚕が吐いた糸や繭は着るためではなく化粧品や健康食品としての道に活路を見出していくということか

 

絹に対するマイナス要因が多いということはもうこれからの世界に絹は必要ない?ととれる

そうではあるまい

絹こそが人類を救う。絹にこれからもきっちりかかわっていこうと決意を新たにした新年会でもあった

 

 

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着物が繋ぐもの 276

2020年01月06日 10時37分24秒 | 日記

きょうは小寒

紅花染はこの小寒から始まる。これが本来の姿。今は一年中染めているがーー

真夏の炎天下の中で紅花を摘み紅花餅を作り保存して寒のりを待って染め始める

寒入り後の水にある微生物が紅花の色につやを出し、色落ちを止める役目をしているのだそうだ

昔の人は自然からの教えの中で自分の我をとおさず、自然の教えに従う。それは神の存在を信じている生活だからだと思う

 

自然に生かされているというのは、自分自身の中の潜在意識を自由に使っていることになっているとチャ子ちゃん先生は思う

村上和雄先生がお米の遺伝子を研究していて、そのお米に遺伝子を書いた人がいる、人間が書いたわけではなくそれは神の仕業だと思うけど、科学者は「神」という言葉をつかえない、だから「サムシンググレート」という名前にした。と直接解説してくださったことがある

そこで「サムシンググレートは人の潜在意識とつながっているのですか?」とお聞きしたら「そうだよ、ユングも言ってるでしょう?人は潜在意識を10%も使っていない。だから潜在意識をスイッチオンすれば、思い通りに出来るようになり、。苦しみや争いから解放される。それは神とつながることになるのだから」「サムシンググレートでしょう?」「そうだね(笑)」

 

昔の人は現代人よりサムシンググレートとつながっていた。だから無理のない美しい文化が出来上がったのだ

さて

紅花の話だけど小寒になると毎年山形の米沢に通った。40年も前になる

あの頃は雪が深く寒かった、夜中の水が特にいいということで12時になると染が始まる。その様子を逐一見て撮影。白い糸が紅色に染まっていく時の感動は今でも忘れられない。染め上がるとしびれるような冷たい小川で水洗し雪の中に糸を干す。白と紅色の対比の美しいこと

何もしないで見ているだけのちゃこちゃん先生は凍り付きそうだ、作業が終わった後こたつに入り、甘酒をいただくその甘酒のなんとおいしいこと。体が温まると眠くなる。跡かたずけをする人たちを感じながらこたつの中で仮眠をする気持ちのよさ。3年続けた。今も時々染場にいくが、全行程のお付き合いはさすがにできない。でも寒染めの紅花染めを続けている人がいることが尊い。その布を身に着ける喜びはまた格別。

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着物が繋ぐもの 275

2020年01月05日 09時53分01秒 | 日記

あけましておめでとうございます

ブログの初日

「お正月は晴れ着」という感覚がなくなったのはいつのころだろうか

コンビニができ、デパートの2日か営業という消費の簡単さからお正月は日常の延長になってしまった

それはそれでいいという考え方もある。しかし日本は「晴れとケ(漢字に転換できない)」という考え方があり、ケは日常、晴れは

非日常という区別をしていて衣食住それぞれ晴れ用、ケ用と分けていた

これが合理的ではないという考え方が多勢を占め晴れの衣食住は影が薄くなっている

日本人が考える「晴れ」にはすべて神様が存在する。人と祝うというより神様に報告する、神様に伝える、神様とともに喜ぶという考え方で、常に人のいる所神様が同席し一緒に考え一緒に楽しみ一緒に喜ぶ

このお正月に感じたことはドライブをしていて、自動車にしめ飾りがついていないということ。各家庭の玄関に門松などない、お節料理もほとんど作る人がいなくなった。おもちも杵で衝くなんてことはまれ

毎年新潟の六日町にある旅館「りゅうごん」から杵つき餅をいただくが本当においしい。今はもうありがたさで胸いっぱいになる

 

勿論晴れ着を着ている人も稀、今や着物を着るということが晴着なのかもしれないと思ってしまう

除夜の鐘が響き渡ると初詣に出かけるのが我が家の習慣で、しかも初もうでの神社は遠くて山の上にあり、幼い私は兄や姉たちの背中を借りてぬくぬくしているが、。姉兄は大変。帰宅すると新しい下着を枕のそばにおいて休み、新年を迎える。

姉たちは訪問着、父と母は紋付、兄は制服を着て朝食を囲み、元旦は家族だけで過ごしていた。

二日もみんな晴れ着、年始客も晴着、子供たちも晴着で百人一首、男の子は凧揚げやコマ回し女の子は羽根つきなどなどお正月の遊びは華やかで、顔に墨がついたりのにぎにぎしい

母たちはずっとご接待、このころの主婦は忙しい。割烹年着をもってくる年始客もいては母たちを手伝う

 

いまから20年くらいまでは我が家でもお正月は大入りで百人一首やマージャンなどで大賑わいだった

お正月の過ごし方が変わってくると晴着もなくなってくる

戻す必要があるのかこのまま晴れ着のお正月はなくなっていくのか時代の流れはどういう道を作るのだろうか

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