今日は大寒
これからが本当の冬なのだがそこかしこに春が見える希望の15日間でもある
小寒から大寒立春までが「雪持柄」のお出まし
この「雪持柄」こそ日本人の感性の真骨頂だといつも思う
雪の降り始め枯れ木を白く咲かせ、椿や梅の花に立ち寄る雪 また常緑樹の松や竹にまるで添い寝するような形で積もる雪の姿
先へ先へと急ぐ若いころ、そういう風景には目も止めず、西洋の文化にかぶれ、日本の絵画、日本の映画、日本の歌舞音曲、日本の小説などなど日本人でありながら日本の文化を否定して生きていたとき、今考えると神仕組みとしか思えない山崎斌さんとの出会い、そしてそれにつながる着物を愛してやまない人々との出会い、日本文化を着物を通してみるという作業をさせられ、一気に日本を知るようになった。こんな面白い国はない
着物の柄の多様さとその意味付けに感動、特に江戸や室町、安土桃山時代のやんごとなき方々の衣装にその美しさを見た
昭和40年代はまだその衣装を触ることもできたし、羽織ることも許されてその絹の味わい色の多様さが室内と外でどう違うかも見せてくれる。どこで着るかで地色が決まる。誰が着るかで地紋から色、柄のつけ方その技術が決まる。その中で最も印象に残っているのが皇女和宮の数々の衣装。恐れ多いことだが、多分自分の好みと一番あっていたのだと思う
さて本論(前振り長かったね)
和宮様衣装の中に「雪持笹」の打掛があり、その高貴な模様にすっかり魅せられた。繻子地萌黄色、金、朱、紫三色の笹に白い雪が乗っていて、裾に御所車。雪見の行幸か。腰から上は無地で葵の紋の金駒刺繍五つ紋。珍しく総模様の衣装ではなく、腰から上が無地なのはどうして?とすぐ目についたのだが、雪は重いので裾だけにしたのでしょうね、と当時の係の人と話し合ったものだった。仕立てはふき綿がたっぷり入っていて、裏は総紅絹。振りが開いていないのでひょっとしたら細帯を締めていたのかも。とその細帯を探したがぴったりとしたのは見つからず、白綸子に葵と梅、竹模様の3寸5分の細帯があり「これかなあ」とあててみたりした。長閑な時代だった
それでですね
すぐパクったわけですよ。写真を撮り竺仙の当時の社長のところに持って行って「これ作りたい」「ほおーいいね」
御所車を外し、もちろん家紋は葵ではなく自分の家紋を雪餅笹で囲む、裏は紫にしてなんと素敵な衣装が出来上がった。その他梅持雪、雪持椿と次々に味を占めて作ったのはいいが、着る期間が短く出番が少ない間に、こちらが年を重ね、ついに人の手に行ってしまうという運命。その教訓で、季節ものは帯にするということを学んだ
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