チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

戦争体験 11 (戦後)

2021年08月28日 09時14分48秒 | 日記
長屋に音楽家が引っ越してきた
ピアノが運ばれ家族の引っ越しが終わると早速ピアノの音が響き始めた
吹っ飛んだ家にもピアノがあり下の姉がポロリポロリと練習をしていた。姉が喜んでそこの内を覗いたらなんとレッスンに行っていた先生家族だった!

早速姉は私を引き連れ弟子志願、ピアノの音が響き始めると軍医のお嬢さんも、またほかの家の子たちもレッスンをはじめ、瞬く間に10人のお弟子が誕生
(その音楽家の長男はのちに大分大学の教授、次男は(私と同級生)東京芸術大学の名誉教授になり、三男はジャズピアニストとして名をなし、長女はオペラ歌手という一流音楽家家族)

戦後の人心が落ち着かない中で、長屋に素晴らしい音の響き、私はすっかり虜になり、熱心にレッスンに通いはじめ、めきめき腕を上げた。特に同じ年の男の子との競争に負けん気を出していたのだ。
父母は私が初めて人と競争する姿を見て、「もう大丈夫やっと健康になった」と胸を撫ぜ下していたという

学校で遊び暮らしていたのに学校が終わると一目散に帰り、レッスンを受けていた。その成果が上がりなんと6年の時音楽家の男の子を差し置いて、学芸会で私がピアノソロ仰せつかり、張り切った上の姉は、真っ赤なタフタの生地を買ってきて、可愛いワンピースを作ってくれた。

しかしその姉は日々崩れていった
アメリカ兵が街にもあふれ、その男たちにぶら下がって歩く女達、また年頃の姉はそういうアメリカ兵に目を付けられる。誇り高き県立女学校の生徒であった同級生たちの中にも、アメリか将校の囲い者になって、裕福な生活をし家族を助けている人も出てくる。人生をともに歩く日本の男たちは戦地で亡くなっていて、結婚のお相手はいない

女は家庭に入って家族を支えるという教育で育った姉は、男女平等が叫ばれ、アメリカ文化が最上と教える風潮について行けず、どこに自分の軸を置いていいのか戸惑っていた。その戸惑いがマージャンを覚えたり、たばこや酒をたしなんだりとするようになり、お化粧も濃くなって、そばに行くのがこっわいなあと思っていたある晩

ちょっと足をふらつかせて帰ってきた姉を、父がさっと首根っこを捕まえいきなり両頬をパンパンと殴った!しかも家族全員の前で。生まれて初めて見た父の怒りにうろたえた私は大声で泣き出した。母はその私をしっかり抱きしめ、耳元「で目をつむてて大丈夫だから」とささやく

姉はその場に倒れて静かに泣いていた、父は姉の手を取って外に出て二人で話し合ったらしい。父が子供に手を挙げたのは後にも先にあの一回

次の日から姉は落ち着き、其れからは茶道のお稽古に身を入れ、父が毎日曜日行っている「聖書集会」に父のお手伝いとして顔を出し、93歳で死ぬその日まで茶道と聖書から離れなかった

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