養蚕農家が急激に減っていったのは日本政府の方針が大きく作用している
後継者不足?
高齢化?
きものを着る人が少なくなった?
違う
2000年のことだった、生糸の輸入に一気に舵を切った日本政府
それも基本的に中国の糸を輸入する方針になった
木綿もしかり、麻はもうすでに輸入品がほとんど
その時チャ子ちゃん先生は政府の動きの真っただ中にいた
しかし凡庸の頭の持ち主故、政府の行おうとする目的が見えていなかった
消費者の側として安い絹を支給されるのはありがたいではないかとすら思った
自分の國ということにとらわれず世界中の國と仲良くなるには、そちらの産業の発展に力を貸すのもいいのではと思っていた、めでたい
しかし違った
わが先人たちの蚕の飼育は他の國には全くない「愛の深さ」があった
早朝から桑の葉を積みその葉っぱだけを与え、蚕の糞の始末もして蚕の住居は常に清潔を保っていた
人と同じ屋根の下に住み、温度調節をしながら10万頭以上の蚕を丁寧に育て上げていた、だから蚕はその人間へのお返しにいい糸を吐き、世界で最も美しい糸を人に与えた、先人たちはその美しい糸を一本たりとも無駄にしないように、平面截ちの着物の形を編み出し、一ミリも布を捨てない裁断法を編み出した
しかし国の方針は「効率」を尊び、「愛」は必要なかった
蚕はビニール部屋で育てる農家には助成金を配り、桑も蚕に枝ごと与える方法を教育した、蚕の糞もそのままで上に上がる習性がある蚕は重ねられた桑の枝を伝わって上に上に上り、しまいにはくわのざんがいが1メートルにもなった
愛されて糸を吐いた蚕ではなく、お金のために吐く糸を強制されたわけだ
この時代少年だった人と話した
「そのころから人間が変わったと思う、祖父や祖母のような温かい人間がいなくなったと感じる」と70歳の農夫が話してくれた
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