チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 299

2020年03月05日 13時17分06秒 | 日記
明治維新の近代化は生糸の輸出からはじまり、戦後の復興も繊維から始まった
日本は安い木綿のブラウス(ワンダラーブラウスと呼ばれた、当時の一ドルは360円)や絹の靴下、スカーフなどをアメリカや西欧に輸出、外資を稼ぎ戦後の復興に当てた。
 
しかし日本の木綿のブラウスは安価で質がよくデザインも縫製の技術もいいので売れに売れて、アメリカの繊維業界を脅かしていた。特に大統領選に出馬するリチャード・ニクソンは、南部の綿農業の票が欲しいのと、繊維業界の票を固めたいので、日本の繊維に対して輸入制限を公約の一つに挙げた
 
そのかいあってめでたく第37代アメリカ大統領に当選、公約通り、日米繊維交渉が本格的になり、日本はアメリカへの繊維の自主規制に応じる代わりに、沖縄返還を手に入れた。外交面では「糸で縄を買った」と揶揄された
 
繊維の輸出が規制されたために国内での需要だけでは繊維業界の経済は成り立たず、生産の縮小を政府が機織り機を買い上げるという策にでた、当時のお金で2000億円を投下して織機を買い上げ壊した。昭和46年(1971年)前後の話
木綿の産業は一気に落ちて、和綿を作る人たちが皆無になった。それと同時に養蚕業も痛手を受け、養蚕農家はリンゴ農家に転身したり、土地を売ったり、製糸業も次々閉鎖、機織りも規模が小さくなり、繊維業界は冷え込んだ
 
着物はこういう歴史の中でめげもせず営々と日本の文化を伝え続けている。
ただ黙って着る人の幸せだけを考えて
政治の道具にされるより、ほんとうに着物を愛する、また必要とする人たちによりそって生きていこうとしているように見える。着物を着るのは日本人の魂をつないでいこうとすることだと。ただ着飾るための物ではなく、着物が持つたくさんの扉や引き出しを着る人に開けてもらいたいのだと思う。私たちはそういう努力をしているだろうか?着物を理解するために繊維のことや色や柄のなりたち、仕立てのこと、着方のこと、取り扱いの作法のこと、着物に学ぶ日本人の知恵などに目を向けているだろうか?
 
コロナで大騒ぎしてうろうろしている政治家の姿を見て、繊維がたどった日本の歴史を思い出した。繊維は常に国を救っていた
いつの時代も本物が輝くときは汚れが清められたとき
 
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