チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 511

2023年02月14日 09時23分56秒 | 日記

太物屋と高級呉服屋

丁度チャ子ちゃん先生が着物の仕事を始めた昭和30年後半は、まだ「太物屋」と「高級呉服屋」という店があった

太物屋は木綿、ウール八端などの布団布、モスリンなどの広幅の布が売られていて、一反単位でなく、自分が必要とする量を計って購入する。そこには当然真綿などもお家あった。小物も別珍の足袋やモスリンの紐、ネルの下着、綿入れちゃんちゃんこなど日寿に必要なものが売られていた。そして店は大きく店内は広く、近所の日tが在っ詰まっておしゃべりしながら買い物をしていて姿があった

 

高級呉服店は誂えが主、または店主のセンスで染められた着物が美しいたとうしに包まれタンスに収っていて、高級住宅地の客が相手で、着物を届けたりしていたので店は小さく、美術的な佇まい。行けば高級菓子にお薄という接待で在った

 

悉皆屋という職業の店もあり、染織工房や洗いはり屋さんや仕立て屋さんを束ねていて、きものの「見本長」を置いて、染め替えや、新しく刺繍を加えるなどの着物のお手当てを解消をしてくれていた

 

かつぎ屋さんもあり、産地と直接契約して、反物をかっつぎ、又は車でその日緒然も手にあ反物を個人の家や、グループの奥様方のところに持って行って商売する、こういう方は白生地屋さんとも懇意で何かと細かい注文に応じてくれていた

 

着物の販売もこの様に細分化されていて、自分の懐にあった相手、または今回の着物はこの店というような付き合い方が出来ていたのだ

 

昭和40年の後半に入ると太物屋がまず高級着物を売るようになり、店の規模も大きいので「問屋」さんたちが力を入れて商品を「貸す」つまり「浮き伝で」品物が行ったり来たり、お店はとにかく客を集めればあとは問屋さんたちが売り方を考えてくれるというシステムになっていく

 

悉皆屋さんもかつぎやさんもなぜか問屋に吸収されてしまった形になったところが多くなり、大きい店屋やデパートが着物を売る実権を持ってしまった

それがいいとか悪いとかではなく、時代の推移というものを考えさせられているチャ子ちゃん先生

本来の高級呉服屋さんは昭和の終わりにはひっそりと店をたたむところも多くなって、着物に詳しい染矢織に造詣の深いお店が少なくなってしまった

 


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