チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 328

2020年05月15日 15時05分03秒 | 日記

薫風(くんぷー)とはよく言ったもので五月の風は本当にさわやか

窓をすべて開けて風を迎えると何となく眠りを誘う

お昼寝という習慣がチャ子ちゃん先生にはない。お昼寝をするとそのまま病気になってしまうケースが多く、お昼横になるのが怖かった。それがお昼寝のトラウマになり、眠くなると瞑想をして眠気を飛ばす

幼いころ(小学校に上がる前だった)我が家の裏手に奇麗なおばさまが瀟洒なおうちに一人住んでいて、「ヒサチャ子ちゃんいらっしゃい」とよく手招きして家に呼び入れ、朱塗りの桶のような美しい入れ物から珍しいビスケットを取り出してご馳走してくれていた

 

その方はいつも着物を着ていて今思うと常に垂れ物の着物、真夏も浴衣ではなく染の薄手の着物で思い浮かぶのは白地に藍色の模様の着物の時が多かった、あまり赤や、黄色、オレンジなどの色の着物ではなく、藍色、水色、若葉色、藤色、菖蒲色寒色系が多かった

 

どういいうわけか冬はあまりお呼びがなくちょうど今頃の季節に庭に出てきて私を探し手招きする。何を話すでもなく、私はビスケットをいただきながら、我が家では貴重な紅茶をふんだんに飲んで、彼女の弾くお琴を聴いたり、教えてもらったり、本を読んでもらったりしていた

 

お琴を教えてくれる時、体を寄せてくるとかすかないい香りが漂ってきてうっとりとしていた

ある時一人遊びに退屈した私は、裏庭から彼女の家の庭にこっそり入っていくと、雪見障子のガラスの部分から見えた風景は、手枕をして体を「くの字」に曲げて寝入っている妖艶な姿。ドキドキしてあわてて家に戻った

 

またある夏の夕方、五つ違いの兄が夕飯時間に戻ってこなくって外に出てみたら、きれいなおばさまの家の庭から出てきて、私の顔を見ると黙って指さすので、その方向に歩いていくと、窓から見えたものはおばさまがもろ肌脱いでお肌の手入れをしていた。真っ白い背中がとてもまぶしかった。その時も白地に藍色の柔らかい着物が腰のあたりでゆったりとたまっていた

 

兄がわざわざおばさまのところに行くのはけしからんとばかり、母に告げ口をしてしまった、多分私だけのおばさまなのだという思いが強かったのだろう「お前は口が軽い」と散々兄に叱られ、兄は二度と裏の家に行ってはならないと親に禁足命令が出され、私もあの生々しいもろ肌を見てすっかりおびえてしまい、できるだけおばさまに見つからないように裏庭に出るのをやめてしまった

そのうち我が家もその家も爆弾で吹っ飛んでしまい、そのきれいなおばさまの消息は気にも留めていなかったが、取材で竺仙のおやっさんに「昔お妾さんがよく着ていた縮緬浴衣というのがあってね」という言葉にハッとおばさまを思い出し、姉に電話をしてその女性の素性を聞いたら

「ああ節子さんねお妾さんだったのよ、旦那は伊予銀行のえらいさんだったようね、戦争の後は山口でお琴の先生をしてらした」

「詳しいのね」

「お茶を教えていたのよ」

「縮緬浴衣ってしってる?」

「お妾さんが着る浴衣ね、素人は真岡木綿の浴衣だと母親に言われていたわ」

節子さんは縮緬浴衣を着ていたので色っぽかったのだと納得

この縮緬は「絽縮緬」のことだった

 


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