チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

山岸幸一さん

2021年09月24日 09時23分54秒 | 日記
本日NHKの「美の壺」に出演
一昨日「見てね」と電話をもらった。大いに嬉しい出演だ

幸一さんと出会ったのは夏の暑い盛り50年も前の8月だった

その時チャ子ちゃん先生は「パピリオ化粧研究会」で高橋雅夫先生の指導の下、紅花の勉強で米沢に滞在していた
八月の早朝まだ日が昇る前に紅花の花を摘み、其の花を臼で衝いて紅花餅を作るところまでを実習する

紅一斤、金一斤と言われるほど高価な紅。その紅を口に付けることで毒けしが出来る、歴代のやんごとなき方々や公家はみなこの紅を口に付けていた。目尻にもつけて、目の予防にもしていた(眼鏡などない時代)、更には関節炎や難聴にもこの紅がつかわれていた。
最上川沿いの紅花は日本でも最高級品が生産され、「紅花御殿」などもあった(今も何軒か残っている)
紅花は最上川を下って日本海に出、若狭から京の都に運ばれた。その通路にいま線路が通っている
紅花餅は京都で加工され口紅になり、また麻の布に染められてのち、その麻のエキスから染料を取り、絹に染めて目病み用にも使われた
紅花のもとのもとは口紅や食色、そして殺菌力が強いので民間療法の治療用にも用いられていた

「ナカタニサンは着物着てらっしゃるから紅花染めの職人をご紹介しましょうか?」
「着物を染めている方がいらっしゃるのですか?ぜひ」
ということで町のはずれの工房赤崩という村を訪れた

紅花で染めた紬が衣桁にかかっていてその美しさに心奪われた
化粧用の紅花という頭しかところは見たことがなかった。その時山岸幸一さんは25歳という若さ
幸一さんの実家も米沢の織屋で米沢織物を動力機で生産していた。その家の次男なので跡は継がず、自分は従来の日本の染織の道で身を立てたいと独立したのだという。紅花以外にも「草木染」の反物を見ているうち、何か懐かしく見慣れた色合いだなあと思って、目を上げると「この本が草木染の教科書です」となんと山崎青樹著
「うワッ!私が着物の道に入ったきっかけは、お父さんの斌さんの草木染を拝見してからです!」
紹介者を差し置いて一気に二人の会話が弾み、年が明けたらすぐ「紅花の寒染め」を見学するという約束をして帰った

次の大寒の日から3泊、丑三つ時に始まる寒の水での紅花染めを見学した。寒の水で染めるのはその時期水の中には不純物がなく、その自然の温度も最も紅花にふさわしい。寒の水で染めた紅花は布に強くしみ込み色があせたりもしない、そして幸一さんは、草木染だけではなく、蚕の飼育、糸取り、機織り、更には染の材料の植え付け、すべての工程をこの赤崩で行い、その尊い姿を見て育った子供たちがきちんと跡を継いで、日本の本当の染織を行っている

今夜19時30分NHK「美の壺」ぜひご覧いただきたい
コメント
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