チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 450

2021年09月18日 11時11分07秒 | 日記
「骨格着付け」を目指しているチャ子ちゃん先生
骨を美しくすることがたおやかな着物姿になる
しかし明治の文明開化でやってきた「パンテイ」という西洋の下着の普及で、すっかり骨の存在を忘れて着物を着ることになってしまった
ところがこの下着に対しては西洋でも近代の流行。つまりココ・シャネルのスカートやズボンの流行からこの下着の普及が始まっている
西洋の女もこのパンテイをはくよになりこの下着にふさわしいフアッションが出来上がったため、大いに活動的になった

日本の場合鹿鳴館華やかな頃ハイソサエテイ―のご婦人たちはじめて履くパンテイに戸惑いを見せ、それを履くぐらいなら舞踏会に出席しないとまで言い出す夫人もいたらしい。
古い婦人雑誌を見ると、パンテイのはき方というイラストがあるまず腰をかがめて、左足からまたの中に足を入れ、そのあと右足を入れ腰まで(ウエスト)まで胴体の部分を引き上げ、紐を結ぶ(当初はゴムではなかったようだ)
ストッキングの履き方もある、当初はパンテイストッキングなどなく、ガーターベルトを腰につけ、靴下は丸めてつま先からをその中に入れて履いていく、その場合も左足から(理由があるね)

こういうイラストに沿って洋服を着ることにうんざりした人、おもしろがった人、得意になった人ということで、その時代の生き方が変わってくる
多くの女性は「パンテイ」になじめなかった。個人的な話で恐縮だが多分母は一生履かなかったのではないかと思う。姉たちは自分で縫っていた。しかし着物を着るときは履いていなかった

多くの女性が日常的にパンテイ―を履くようになったのは大正時代に入ってからだという。日本橋の白木屋百貨店が火事になったとき、まだほとんどの人が着物で作業をしていた、救援活動隊が窓から飛び降りる人を受け取っていたのだが、着物を着ている女性はパンテイを履いていなかったので、恥ずかしくて飛び降りず焼け死んだ人が多かったという話が流れた。それ以来女性はいかなる時もパンテイ―を履くようになったのだそうだ(よくできた話だと思うけど)


それ以来着物を着る人の姿勢が悪くなってきている
というのは下半身が安心になったので、神経が下半身に届かず背筋が伸びなくなったし、腰に肉が付き始め、腰が弱くなるとポッコリお腹になり、そのポッコリを隠そうとして寸胴に補正をする。そうして段々自分自身でない補正という肉に頼り、本来の自分の骨のありかが分からなくなって、ますます姿勢が悪くなりそのうち面倒で着物と縁を切る

自分の骨を信じると着物の着方も違ってくるし、着付けの時間も短縮できる。次回はそれを解説
コメント
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