千の天使がバスケットボールする

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「さよなら、サイレント・ネイビー」伊東乾著

2007-02-09 00:06:38 | Book
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻、素粒子理論研究室時代の実験のパートナであり親友だった豊田享は、あの日地下鉄に乗った。
本書は、現在東大助教授の作家がオウム地下鉄サリン事件の実行犯で死刑を求刑されている獄中の友人と接見を重ねて、あの事件をくりかえしてはならないためにはなにを理解すべきか、自身の生い立ちを重ねてオクム事件を考える異色の作品である。
作家の作品は作家自身の思想を反映するものではあるが、どんなにりっぱな経歴であってもそれに興味をもって本を手にとることはまずない。ところが新聞の書評の片隅にのったハイレベルな学歴と経歴にそえられた次の受賞には目をひかれた。
第1回出光音楽賞受賞。
クラシック音楽好きな方だったらこの音楽賞をご存知だろうが、そんなに簡単に受賞できるものではない。

伊東乾(けん)氏は、1965年東京生まれ。作曲家・指揮者。松村禎三、近藤 譲、松平頼則、高橋悠治、レナード・バーンスタイン、ジェルジ・リゲティ、ピエール・ブーレーズなど各氏に学ぶ。東京大学理学部物理学科、同大学院修士、博士課程及び総合文化研究科超域文化科学表象文化論博士課程修了。Ph.D。NTTコミュニケーション科学基礎研究所を中心に身体と時空間の動力学的基礎研究を推進、それらに基づく独自の作曲・演奏活動を内外で展開、マース・カニングハム舞踊団とのジョン・ケージ遺作「オーシャン」コラボレーションなど、その成果は高く評価されている。慶應義塾大学、西武文理大学などで後進の指導にも当たる。(mho’s whoより)

この異能である著者の伊東氏の同級生だった豊田も、やはり異能の人物だった。当時の物理学科は最難関で、過酷な成績競争で上位5%に入らないと進振りで進学できない。しかし豊田は体育会系に所属しながら、ポイントを明確にした几帳面できれいな字で書かれた完璧な通称「豊田ノート」を作成して、同級生に重宝されるくらい優秀だった。ところが大きな夢と希望、そして野心をもって一番点の高い素粒子研究室まできたのに、研究室では先行業績のレビュー程度で学位がとれるのが現実だった。仮に1セクションだけでも豊田のオリジナルのモデルの取組みを指導してやれる体制があったら、オウムには行かなかったと著者は確信している。この厳しい独断には、著者がコンクールで1位をとりながらも選考委員でもあったジェルジ・リゲティから、「あなたが物理学まで修めた優等生であることはわかったが、優等生は歴史に何も寄与しない。本質的にオリジナルな仕事をしないのは芸術的な怠慢」と批判された体験に基づくと思われる。
そしてオウム事件でもっとも理解に苦しむのが、理系の高学歴者がカルト宗教にとりこまれて犯罪を犯したことだ。
賛否はあるだろうが、学生時代から音楽ギョーカイデビューしていた著者自身は、当時ちやほやされたマスメディアにマインド・コントロールされて出家したようなもので、堕落を許せなかった潔癖な人間の行き場がオウムだったと記している。また現在の専門である情報詩学の研究の観点から、音声メディア、特に情動を喚起するような情報が人間の論理的判断より先立って感情や意思、行動を変化させることを利用してオウム真理教は巧みに信者をマインド・コントロールさせたと分析している。オウム教の信者に対する囲み方を考えると、説得力がある。そんな手法によって豊田の肩書きが欲しかったオウム教が、彼を拉致して無理やり出家させたという点で彼自身も被害者であり、処刑するだけでは何も解決できない。
さらに第二次世界大戦の敗戦時に日本の社会が体験した”個別の要素に還元できない全体の劇的な変化”を複雑系の概念からくる”創発”から、再発防止を真剣に訴えているのも、本書の特徴でもある。

本書を読んでいて思い出したのが、三田誠広氏の1967年三菱重工本社ビル爆破事件の犯人であるかっての友人をモデルにした「愛の行方」である。この本を書いた動機のひとつが、自身学生運動家だった三田氏自身とテロリストになった同級生との大きく分かれた分岐点だった。どこで自分と友はわかれていったのか。テロリストになったのは自分だったかもしれないと三田氏はあとがきで述懐していた。サリン事件の実行犯、豊田の犯した罪はあまりにも大きい。罪は償わなければならない。しかし小さな分岐点がポイントを逆にきりかえていたら、ふたりの立場は逆だっただろう。豊田はわたしで、わたしは豊田だ。なぜならば、いまも、そしていつも、その小さな分岐点がわたしたちの社会に根深く残っている。
「さよなら、サイレント・ネイビー」は、多分に感情的な作品である。それがノン・フィクションというジャンルでは疑問に感じる部分もある。
けれどもそれらをすべて受け入れたく本書の価値を認めたいのが、実は定職のなかった著者が東大に助教授として招聘された時、豊田のお母さんがYシャツの生地と仕立券を送ってくれたというエピソードだ。
伊東氏は、7年たった今も、その生地をYシャツに仕立てることができないという。


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2 コメント

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Unknown (小作)
2007-02-10 00:48:57
樹衣子さま        オウム、三菱重工、桜田門外の変などのテロリズムを行なうのは、ほとんど少数派の反体制に属する人たち。           東大のエリートを反体制へと追いやった正体を解明できない、しない今日、この問題は神話となる運命。 名誉会長に聞ければ謎は解けるかも・・      個人的には、彼らの問題には踏み込まないことにして、ただ、映画を観る視点で観察はしていますよ・・
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オウム事件を見る視点 (樹衣子)
2007-02-10 13:07:44
>オウム、三菱重工、桜田門外の変などのテロリズムを行なうのは、ほとんど少数派の反体制に属する人たち。           

三菱重工本社ビル爆破事件と桜田門外の変は、反体制派の事件だったかもしれませんが、オウム真理教事件は宗教の事件だと思います。国家転覆を本気で考えた教祖に繰られたことが、小作さまのおっしゃる東大のエリートを事件に追いやった正体です。

>追いやった正体を解明できない、しない今日、この問題は神話となる運命。 

まさにおっしゃるとおりです。現在のオウム審理では、この問題はなんら解明できないことが危惧されます。

>彼らの問題には踏み込まないことにして、ただ、映画を観る視点で観察はしていますよ

・・・私もそうです。ただマスコミの一方的な解釈だけは信じないようにしています。
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