千の天使がバスケットボールする

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「フェルメール 光の王国」福岡伸一著

2011-11-19 15:52:00 | Book
私はフェルメールの絵に会いたかったのか、福岡伸一さんの名文に会いたかったのか。
どちらも大満足させてくれたのが、ANA機内誌「翼の王国」に掲載された文章をまとめた本書。掲載紙がANAらしく、4年の歳月をかけて寡黙の画家フェルメールの現存する作品37点を所蔵する美術館に就いて鑑賞するという、生物学者にして白衣の詩人の福岡さんのフェルメールをめぐる旅である。何と素敵な企画なのか!もっともフェルメールのファンだったら誰もが願う一生の夢だろうし、すでに全作品を踏破した著作もある。しかし、福岡さんの感性のフィルターを通すと、グルメ旅番組のような単なる美術紀行にはならない。

福岡さんの著作物を読んでいると、彼が須賀敦子を好きなように、ファルメールに心がひかれるのが僭越な言い方だが、”わかる”ものである。福岡さんらしく、独特の静謐な世界でフェルメールは本書の中で輝いている。それは、「光のつぶだち」だ。

「自分で上手に描くことはできないので、熟達の画家に依頼したのです。」
            ―アントニ・ファン・レーウェンフック

と冒頭に掲載されているのは、顕微鏡の父、微生物の発見者として教科書にも名前が載っているレーウェンフックと、彼の書簡に書かれた昆虫の脚のスケッチ。奇妙だけれど昆虫の丸みや質感、細かくびっしり生えた細い毛まで描いた見事な図。私でも思わずすいよせられる一枚の美術品としては何の価値もない図から、旅ははじまった。ヨハネス・フェルメールは1632年、オランダに生まれる。この年の同じ国に、ベネディクトゥス・デ・スピノザも生まれ、またレーウェンフックの名前は教会の洗礼名簿にフェルメールと並んで記されている。この3人の共通点は、ファルメール作品の細部に秩序ある調和として輝いている「光のつぶだち」。この光のつぶだちを求めて、読書も架空の旅を続ける。未知の先にあるのは、まさに光の王国。

野口英世、エッシャー、数学者のエヴァリスト・ガロア、マウリッツ・コルネリス・エッシャーと予想外な人物と生涯が登場して、科学者らしい空想と仮説が透明な哀しみの抒情をたたえてフェルメールの絵に重なり、ゆれて、展かれていく。その時代の空気感のなか、登場人物に寄り添うように。
かっての高校教師が語ったそうだ。

「《微分》というものは、実は何も難しいものではありません。 《微分》というのは、動いているもの、移ろいゆくものを、その一瞬だけ、とどめてみたいという 願いなのです。カメラのシャッターが切る取る瞬間。絵筆のひと刷きが描く光沢。 あなたのあのつややかな記憶。すべてが《微分》です。人間のはかない"祈り"のようなものですね。微分によって、そこにとどめられたものは、凍結された時間ではなく、それがふたたび動き出そうとする、その効果なのです。」

昔の高校教師は傑出していた。この文章で、魔法のように私は数学の微分が観念的ではあるが、とてもわかった気がする?。福岡さんによると、フェルメールの絵筆は、遊ぶように、踊るように、あるいははかない祈りのように、さりげない光点を載せるだけで、動きの効果をそこにとどめ、それは奇跡のような《微分》となる。その動きの効果は、生物学者としてのキーワード、生物が絶え間のない流れの中にある元素の淀みの集合体であるという生命感、”動的平衡”につながっていく。本書を読み、フェルメールの絵画の魅力は、登場人物の静かに流れる心の動きを、一瞬つかまえた光の中にあると私は思う。それは四角いキャンバスに封じ込められた絵画ではなく、後世に残すための記録でもなく、常に動いている”時間”という観念すらも、生きている人間の感情の流れにとりこまれて、いつまでも観る者の心をとらえる。そして、永遠に発見される謎として、フェルメールは存在し続ける。

本書は、いつものとおり図書館にリクエストして借りたのだが、蔵書にしたいくらいのとても美しい本である。美しいものを美しく感じる心をもった方たちによる作品のような一冊。それには小林廉宜氏による美しい写真も大きく貢献していることは、言うまでもない。そして、欧米の美術館の美しさは、また私を旅人へとかきたててくる。
最後に福岡さんは、実に大胆な仮説をうちたてる。それは、私ですら興奮するような想像であるが、不図、映画『クリムト』を思い出したのだが、科学者と芸術家が出会うことは、むしろ自然な流れではないだろうか。科学的な美しさと芸術の美しさは共通項である。

*福岡さんは、盗難されて行方不明の「合奏」、個人蔵の「聖女プラクセデス」「ヴァージナルの前に座る女」にあう夢は叶わなかった。
私がこれまで観たきたのは、ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館で「窓辺で手紙を読む女」「取り持ち女」、ベルリン国立絵画館「真珠の首飾り」「紳士とワインを飲む女」、ウィーンの美術史美術館で「絵画芸術」。今秋、訪問したフランクフルトのシュテーデル美術館は改修工事中で、「地理学者」を見られなかったことだけが、唯一の心残りだった。

■アーカイヴ
「動的平衡」福岡伸一
「ノーベル賞よりも億万長者」
「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著
「ダークレディとよばれて」ブレンダ・マックス著
美の巨人たち フェルメール「絵画芸術」