千の天使がバスケットボールする

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『宮廷画家ゴヤは見た』

2008-10-21 23:13:13 | Movie
18世紀末のスペイン、マドリード。スペイン最高の宮廷画家として名声を築いた画家、フランシスコ・デ・ゴヤ(ステラン・スカルスガルド)のアトリエには2枚の肖像画が完成を待っている。1枚は、天使のように美しい富豪の商人の娘、イネス(ナタリー・ポートマン)。そして、もう1枚の絵には、神父ロレンソ(ハビエル・バルデム)が、威厳を誇示するかのように立っていた。神父ロレンソは、高名な画家に描かせた自分の”威厳”にふさわしいように、カトリック教会の権力強化のための異端審問を復活するよう提案して自ら陣頭指揮をとるようになった。その異端審問所から、ユダヤ教徒を疑われたイネスは出頭命令を受けるのだったが。。。

映画のはじまりは、次々とゴヤが描いた版画が浮かんでは消えていく映像。そこで暴かれている人間の怒り、欲望、残酷さ、矮小さ、裏切り、、、ゴヤの”目”に映る人間像、ゴヤの心が見た人間の本質を、観客はいやでもある固定観念としてまずすりこまれる。とにかく、これでもかっというくらいにつきだされるゴヤの絵に、まず私は圧倒された。ゴヤの絵筆は、彼の類まれなる芸術的な才能の力で、対象の権力と地位にある者の裏の真実や不正を容赦なく暴き出す。神父を描けば、聖職の服装の中の傲慢さといかがわしさが匂い、王妃を描けば、どんなに豪奢な衣装で身を飾っても、内面の醜さが表情に表れる。

しかし、本作品のテーマはスペインの最高の画家としてのゴヤ自身ではなく、またその作品の芸術性でもなく、次々と変わる”権力”と社会、権力を手にした人々の愚かな振舞いと欲望を、政治的にも精神でも自由な立場の芸術家、ゴヤから見た移ろう時代と権力の物語そのものにある。1807年、スペインにナポレオンが率いるフランス軍が侵攻すると、当時のスペイン王室は凋落し、教会は一気に権力を失った。昨日の聖職者としてあがめられ絶対的に権力をもっていた者が、裸になり血に落ちる。しかし、ナポレオンが後退すると今後は高らかなバグパイプの音楽とともに英国軍が攻めてきて、再び権力の構図が激変する。スペインにとって激動の時代だったのだろうが、昨日まで栄華を極め権力を誇示していた者が、今日は裁判で死刑を宣告される。しかも、その位置関係も時代と運命の波に流されると、明日はひっくり返る。年々、少しずつ老いていき難聴から完全に耳が聞こえなくなるゴヤだったが、彼の目は誰が権力をもとうとも、戦いで町が荒廃しようとも、いつでも変わらぬ真実を見つめようとする。
何が、変わらないものなのか、人々は何を失ってはいけないものなのか。そこにゴヤの目を通して、現代にも映画が訴えかけてくるものがある。

ゴヤが描いた2枚の肖像画は対極にある。
権力を誇示するための異端審問の実行者と彼らの犠牲になって拷問を受けるイネス。愛情と欲望、打算と信念を体現するロレンソと信仰をもち一途にかわらぬ愛情を抱えるイネス。穢れた聖職者と天使のような市井の少女。身分と地位に一致しない人間に翻弄されるのは、いつの時代にもありうる。
さて、やはりこの映画を評価するには、この対極にある肖像画の主人公を演じた、ハビエル・バルデムとナタリー・ポートマンの演技に関する話題ははずせない。ハビエル・バルデムは、とらえどころのない自己中心的な神父としての存在感におされまくり、不快感を感じながらもその表情にどんどんひきこまれて目をそらすことができない。一方、ナタリー・ポートマンが演じた美少女が長い歳月の風化による変遷の姿は、あまりにも痛々しくて思わず顔をそむけてしまった。ニコール・キッドマンが、スーザン・サランドンから自分も若い頃はいつも顔立ちのことばかりが話題だった声をかけられたという対談を読んで、美しい顔だちの人は容姿よりも肝心の”演技”に人々が注目してくれないというある意味贅沢な悩ましさもあるものだと納得した。おまけにイェール大学ご卒業の優秀な頭脳もかねそなえているショディ・フォスターが、『告発の行方』でその美しさと名声、学力の誉れを裏切るかのようなレイプの被害者という役どころを、ショッキングな文字通り体当たりの演技で、演技の実力を証明したように、本作品ではハーバード大学出身のナタリー・ポートマンがぼろぼろの服をまとい、あの可憐で知性的な美しい顔立ちを大丈夫かと心配になるくらい歪めて”演技力”のパフォーマンスを見せてくれる。その他大勢の女優とは私は違うのよ、という差別化の意気込みが感じられるではないか。

ユーモラスな音楽もさえ、唯一、ゴヤ役ステラン・スカルスガルドの不自然なくらいホワイトニングしている歯を除いて、時代の雰囲気が史実を交えて忠実に再現されている。まるでそれ自体名画のような映像は、コンビニのおでん以上に、芸術ものが旬の季節の到来を感じさせてくれる。しかし、監督があの『カッコーの巣の上で』のミロス・フォアマンだから、表層的に鑑賞しただけではゴヤの目も曇る。ここで描かれている人間の顔を決して見逃さないように。。。

監督・脚本/ミロス・フォアマン
原題: GOYA'S GHOSTS
製作年: 2006年 アメリカ/スペイン 製作

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