千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『サラエボ,希望の街角』

2011-11-28 21:44:25 | Movie
ネマニャ・ラドゥロヴィチという凄いヴァイオリニストがいるのだが、彼のプロフィールには「ユーゴスラヴィア生まれ」と「セルビア生まれ」とふたつある。セルビアはセルビア共和国として存在しているが、ユーゴスラヴィアは事実上解体してなくなっている。祖国を失うということは、なんと哀しいのだろうか。

旧ユーゴスラヴィア連邦が解体する途上ではじまったボスニア紛争は、1992年にはじまり3年後に一応の終息するまでに、死者20万人、難民や避難民が200万人も発生したと言われている。そのボスニア紛争から15年。美しいルナ(ズリンカ・ツヴィテシッチ)は航空会社の華やかな客室乗務員として充実した日々を送っている。私生活では、管制官でもある恋人のアマル(レオン・ルチェフ)と一緒に暮らしている。目下の目標は、1日も早く愛するアマルとのこどもが授かること。
しかし、そんなふたりの愛情生活も、アマルのアルコール中毒が職場で露見して謹慎処分を受けた頃から暗転していく。旧友と再会したアマルは、彼に誘われてイスラム原理主義に傾倒していくようになったのだった。アマルは、もう恋をした彼ではなく別の人格に豹変していくのだった。。。

ルナは溌剌として、客室乗務員の制服も似合うがお洒落でもある。仕事で海外にも行き、友人とクラブで思いっきり遊んだりもする。現代の日本女性とそれほど変わらないようにみえるのだが、過酷な戦禍をくぐってきた経験を抱えている。また、アマルも戦場を経験し、弟を失っている。弟のお墓参りをしたアマルの背後には、延々と膨大な新しく白い墓標がひろがっている。ボスニア紛争から15年。新しい街、サラエボには新しい光が満ちていて、人々は満ち足りた表情をしているようだが、紛争の痛みはそう簡単に癒されるものでもない。

しかし、それとは別にアマルがイスラム原理主義に傾倒していき、法律で禁じられている多重婚や結婚が認められない年齢の少女との結婚を法律の上に神があると認め、正式な結婚をしていないからと性交渉を拒んでいく姿を見ていて、私が思い出したのはオウム真理教である。映画では、過酷な紛争体験がひとりの青年をイスラム原理主義に向かう姿を映していたのだが、私たちは、戦争など経験しなくても、格別な体験などなくても、真面目で優秀な青年が新興宗教に傾倒して不寛容どころか犯罪すら犯す姿を見てきた。信仰は尊いと理解しているが、もし夫なり、恋人や或いは友人が新興宗教にのめりこんでいき、これまでの習慣や考え方が激変し、しかも人の意見に耳を貸さなくなったら関係を続けるのは難しいだろう。ルナとアナルはあんなに愛し合っていたのに。空港で抱き合い、夢中でキスをするふたりの姿は誰も入り込めない信頼と愛情で結ばれていると思えたのに。

イスラム原理主義の女性が、顔まですっぽり覆った黒いニカブをつけながら「西洋の女は女性らしさを失った。仕事ばかりでこどもを産まなくなった」と言っていたが、近代国家の歴史のひとつは女性の自立と自由の獲得にある。最近観た映画『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』で女性であるということだけで作曲を禁じられ、ヴァイオリンをとりあげられたモーツァルトの姉ナンネルのことを考えると、女性が男性に服従するイスラム原理主義には不安を感じる。やはり、その理由として他の宗教や考え方を寛容しない姿勢にあるからだ。

かってのサラエボは、イスラム教を中心に、セルビア正教、カトリックなど、異なる民族と宗教が共存する自由な街だったそうだ。

■あわせて読みたい本
「戦争広告代理店」高木徹著
「さよなら、サイレント・ネイビー」伊東乾著