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「ドイツ語とドイツ人気質」小塩節著

2011-11-03 22:43:54 | Book
今年の第68回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得したのは、アレクサンドル・ソクーロフ監督「ファウスト」だった。映画祭が「難解」と批評される同作品を満場一致で栄誉を与えたことは、映画が商品というよりも芸術作品であることを改めて思い知らされた。ところで、ソクーロフ監督が新作のテーマに悲劇「ファウスト」を選択した動機には旧作『人生の祭典』のラストでつぶやいていた「さよなら、ヨーロッパ。こんにちは、あたらしいヨーロッパ。おまえはどうなるのか」というモノローグから流れていると感じている。ファウストは、16世紀のマルティン・ルターの時代に、ドイツに実在した人文学者である。学問追求と真理探究の情熱のため、悪魔メフィスト・フェレスに魂を売った男は、多くの文学、絵画、音楽の主題となり、ヨーロッパ人の心をゆさぶり続けたのは、いったい何故なのだろうか。それが、ヨーロッパという"du”だ。

多くの「ファウスト」のなかでもゲーテの作品を、最も優れていると絶賛するのがドイツ文学者の小塩節氏である。本書は、その小塩氏による「ドイツ語とドイツ人気質」というサブカルチャー的なタイトルを装いつつ、実は、そこはやっぱりドイツもの、ドイツの深き森を遠く少々近寄りがたく見るようなドイツ人精神にふれている。単なる”気質”以上の精神生活の領域にまでせまろうとしている。

さて、タイトルにもあるドイツ語と聞くと、一般的に犬猿の仲のフランス語に比較してごつくて汚いと言われている。そんな評価はいかにもドイツ人のイメージに近いのだが、何度かドイツを旅し、ドイツ語を聞いているとそんな先入観はいつのまにか消えていく。私にとっては、少なくとも青い空のような英語ほど明瞭であかるくはないが、くぐもった内省的な言霊のような陰影のある響きはそれはそれで心地よく残る。小塩氏によると、たとえば、ドイツ語の詩はそもそも読むものではなく、朗読を聞いて味わうものになるそうだ。韻律とリズムを分析した土台のうえに朗読された詩は、自由に、弾力的に深々とした音の構築の中に、形象イメージがひろがるという。

Wie herrlich leuchtet
Mir die Natur!
Wie glanzt die Sonne
wie lacht die Flur!

なんと晴れやかな
自然の光り。
なんと太陽は輝き、
なんと野は笑うのだろう!

ベートーベンの歌曲 「8つの歌 Op.52より 」にも歌われた中学生でも書けそうな単純な詩ではないかと思われる若きゲーテの「5月の歌」も、優れた朗読者の声にのればそれは音楽的な芸術品となっていく。彼らにとって言語は読むよりも、語り、聞くもの。ゲーテの時代からあった朗読会は現代でも継承されていて、作家の多和田葉子さんもご自分の作品の朗読をされていた。いったいにドイツ人は朗読のために声を鍛えているわけではないが、おしゃべりである。カフェでは、延々と熱心な会話が続いている。ゲーテ生家の近くのGoethes Leibspeise in Italienというメニューがある「cafe Walden」では、平日の昼間から、仕事はどうしたのかと心配になるくらい、いつ果てるとも知れないおしゃべりの花が咲いていた。静かに食事をして、ランチタイムの習慣がすっかり身についてしまった私など、ぴったり小1時間で退散してしまった。そんなおしゃべりは自己主張の強さの表れであり、分析、批判精神といった鋼のような精神世界をつくっている。しかし、要するに、彼らの魂はEinsamkeit孤独なのである。それゆえに神の前に屹立した個を確立せざるをえないのである。

小塩氏はドイツ語だけでなく文章の達人でもある。また、氏の教養とドイツ人とは違った日本的な倫理観のベースは読んでいても気持ちが豊かになりつつもいつしか胸が静まるものがある。余談だが、今年は日本とドイツが交流して150年目の記念の年にあたる。10月23日有栖川宮記念公園で開催されたドイツフェスティバルには2万人もの人が訪問してドイツを経験されたそうだ。海外旅行で訪問してみて、予想外に行ってよかったという感想がかえってくるのもドイツ。本書が書かれたのは昭和57年だが、4半世紀経った今日でもお薦め。 Tschüs!

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「ドイツの都市と生活文化」小塩節著