宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

トランスフォーミング(変容) ~ ペトル・ホボット×浅川嘉富

2011年11月18日 | 注目のスピリチュアリスト

ペトル・ホボット氏によれば、南米ナスカなどのパワースポットは、パラレルワールドへの入り口だ。現地のシャーマンたちは、そこからフリーパスで異世界に出入りしている。ついでに、アメリカのカリフォルニア州も一種の巨大なパワースポットなのだという。宇宙人との交信が起きやすくて、チャネリングが盛んなのは、そのためだったのか?

パワースポットには2種類あるという。銀河系コアから生命エネルギーが流れ込んでくる「上からのパワースポット」と、地球コアから生命エネルギーが流れてくる「地球のパワースポット」があって、この2つが全体のバランスを取っている。

人間にも動脈と静脈があって血液が循環しているように、地球にもエネルギーのラインがあって、そこに生命エネルギーが流れている。地球も、ひとつの生き物だ。

今は、銀河系コアから地球に流れ込むエネルギーが増大している。これが今後数年間に、人類に巨大なトランスフォーミング(変容)をもたらすのだという。それは全地球で起きる、波動上昇のプロセス。

でも、ペルーのナスカや、メキシコのテオティワカンなどのパワースポットには、もともと銀河系コアからのエネルギーが大量に集まっている。ホボット氏によれば、これから起きるトランスフォーミングも、こうしたパワースポットでは、昔から実現できたらしい。古代のシャーマンたちも、パワースポットでトランスフォーミングしてた。銀河系コアからのエネルギーが流れ込み、ビリビリしびれて気持ちよくなっていたのだ。なんとも、うらやましい話だ。しかも、超感覚的な認識力が開発され、知覚が拡大するのだという。

ここからがホボット氏らしい奇想天外な話なのだが、なんと、あのペルーのフジモリ元大統領も、ペルーとエクアドルの国境近くにあるシンベ湖のパワースポットで、シャーマンの儀式を受けていたという。フジモリ元大統領は、ペルーで暴れまわっていた凶悪なテロリスト集団の「センデロ・ルミノソ」を、宇宙パワーを借りて壊滅することができた。そこまでは良かったのだが、残念ながらフジモリ氏は、だんだん権力におぼれて、心が汚れてきてしまった。結局、シャーマンたちが予言したとおり、失脚して日本にまで亡命旅行を重ねたあげく、強制送還されてペルーの刑務所に入る羽目になった・・・。

ホボット氏によれば、これからは、こうしたパワースポットだけでなく、全地球にトランスフォーミングが起きるという。人類の知覚の拡大をはじめとする、大きな変化が起きるのだが、どう変わるかは決まっていないらしい。
 
(つづく)
 

真実への完全ガイド ~ ペトル・ホボット × 浅川嘉富

2011年11月18日 | 注目のスピリチュアリスト
 
ペトル・ホボット氏は、いま最も注目される霊能者のひとりだろう。日本に対する思い入れが強く、日本での活動を強化していたが、残念ながらプロモーターと意見が合わなかったらしく、サイトが閉鎖されてしまった。

ホボット氏は、2010年に出版された浅川嘉富氏との対談本、「真実への完全ガイド」で有名になった。浅川嘉富氏は、船井会長やJ.C.ガブリエル氏(元エハン・デラヴィ)たちと並んで、早くから日本でアセンションを提唱してきた代表格の一人だ。ホボット氏も浅川氏も、世界中を飛び回って各地のパワースポットをフィールドワークする、並外れた行動力が羨ましい限り。
 
ペトル・ホボット氏は、チェコスロバキアに生まれ育ったチェコ人だ。この、かつての社会主義国がチェコとスロバキアに東西分裂してから、もうだいぶ経った。ホボット氏いわく、(精神世界の中心地である)米国カリフォルニア州に生まれるという選択肢もあったそうなのだが、今は「チェコに生まれて良かった」と思っているらしい。というのも、アメリカは、見た目は民主主義国なのだが、実はそうではなく、見えない影のグループによって強権支配されており、言いたいことを自由に言ったら殺される危険があるからだそうな。アメリカも、ずいぶん物騒な国になったものだ。いや、元からそうなのか・・・?
 
そんなチェコ人のホボット氏なのだが、若くしてソビエト連邦(今で言うロシア)に無理やり連れて行かれ、大学で生物学の研究者になった。チェコでは超能力者として有名になったので、ソ連政府に目を付けられたのだ。当時のソ連は、アメリカと並ぶ超大国として、世界で覇を競っていた時代。超能力者を軍事や諜報に活用すべく、真剣に研究していたソ連は、ホボット氏をお抱え超能力者のリストに加えた。そんな理由で始まったロシア暮らしとはいうものの、ここで生物学を学んだことが、後の科学的思考につながっていく。

ホボット氏と浅川氏には、共通点がある。中南米のペルーやメキシコが大好きだということだ。当然のことながら、マヤ文明も研究している。でも、それ以上に盛り上がっていたのは、「ナスカの地上絵」の話題だ。2人ともナスカの地上絵を何度も訪れて実体験しており、それが世界的なフィールドワークの中心をなしている。

さらには、浅川氏のコレクションである「カブレラ・ストーン」が話の焦点になっていた。カブレラ・ストーンというのは、有名なオーパーツ(先史文明が残した謎の遺物)のひとつ。硬い石に精密な彫刻で描かれた、神秘の絵だ。そこには、誰が見ても恐竜としか思えない絵が多数、含まれている。このため、浅川氏は「かつて、ここで人間と恐竜が共存していた時代があったのだ」と主張している。

もっとも、ここでは偽造問題にも言及されていた。実のところ、カブレラ・ストーンは、英国のクロップサークルと同様、少なくとも一部は偽造であることが判明している。カブレラ・ストーンには、古く見せかけるために靴墨を塗ったり、火であぶって細工した跡のあるものがある。クロップサークルの場合は、若手アーティスト集団(?)が、夜中にせっせと穀物畑で作業している姿が動画で流れたりしている(笑)。でも、あまりにも巨大だったり、精巧で芸術性が高く、インチキ発見者が偽造するにしては採算がとても合わないほど膨大な手間ヒマがかかっているものも数多く含まれているので、やはり全部を否定するのは難しい。おそらくは、最初にホンモノがあって、それに追随する形でニセモノが作られ、玉石混交になっていると見るのが自然だろう。ホボット氏は、石やサークルが発するエネルギーの大きさによって、本物と偽物を区別しているという。

それはともかく、恐竜に関して、浅川氏とホボット氏は意見が割れていた。ホボット氏いわく、「ナスカには、恐竜の化石がひとつも見つかっていない。そもそも、数百万年前まで、ここは海底だった。人類と恐竜が共存していたはずがない」と言う。これは、ホボット氏ひとりの考えではなく、地質学者や古生物学者の意見を聞いて調査した結果だという。

浅川氏には悪いが、ここはホボット氏の意見を採るべきだろう。古代人が恐竜の絵を描いていたからといって、恐竜がいたとは限らない。それを言ったら、数千年後の未来人が、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の絵を見て、「20世紀の日本では、船や汽車を宇宙空間にまで飛ばしていたようだ」と結論することになりかねない(笑)。人間が描いた絵は、参考資料にはなるけど、証拠にはなり得ないのだ。
 
本当に物的証拠と言えるのは、やっぱり、化石や地層ということになる。世間の一般人ならともかく、「先史文明研究家」ともあろうお方が、化石や地層を無視して「地球の歴史」を語るのは、あまりにも無謀であり、残念なことだ。その点、ホボット氏はさすがに、ロシアの大学で生物学を研究していただけあって、基本をおさえたモノの見方をしている。この点は、生物学者出身のコルマン博士とも通じるものがあり、さすがと思わせる。

実際のところ、恐竜は6550万年前の、中生代の終焉とともに絶滅している。一方、人類はほんの10万年~20万年前に登場した、新しい生物だ。いくらなんでも時代がカケ離れすぎており、「共存」するのは無理がある(笑)。
 
でも、ホボット氏いわく、カブレラ・ストーンに描かれているのは、本物の恐竜だという。というのも、ナスカは、世界的にも屈指の強力なパワースポットだ。現代とは異なり、古代には、こうしたパワースポットが「パラレルワールド」の入口となっていた。現代でも、一部のハイレベルなシャーマンは、パラレルワールドに参入できるそうなのだが、古代においては、誰もが自由に出たり入ったりできたのだという。
 
こうしたパラレルワールドの中には、人間がいない、恐竜時代の地球もあったということだ。そんな恐竜の地球に、古代のナスカ人は入ることができた。入るだけでなく、この地球に連れて帰ってきて、乗り物や兵器としても使っていたらしい。カブレラ・ストーンは、その名残なのだという。

個人的に、筆者は恐竜が大好きだ。もともと、精神世界マニアであるのと同じくらい、歴史マニアでもある。それだけに、「地球の歴史」に対するコダワリは強い。化石も、機会あるごとにたくさん見ている。化石を見たことがない人には、上野の国立科学博物館がオススメだ。そのあと、上野の骨董品屋に行ってみれば、三葉虫やアンモナイトがヒトヤマいくらの価格で売られている。
 
ホボット氏が言うような、恐竜がたくさん住んでいるパラレルワールドがあるのなら、是非とも行ってみたいものだ(笑)。恐竜好きな人の多くは、「本物の恐竜が見れるなら、死んでもいい」と思っている人たち。映画「ジュラシック・パーク」に出てくる古生物学者も、そういう人だった。
 
この、「恐竜のパラレルワールド」の話には、妙に説得力がある。というのも、アステカ人たちが崇拝していた神様のケツァルコアトルは、「羽根の生えた巨大なヘビ」の姿をしているというのだが、これはプテラノドンやケツァルコアトルスを始めとする、中生代の翼竜そのもの。もちろん、「偶然に化石を発見した古代人が、翼竜は実在すると思い込んだ」というのが合理的な解釈なのかもしれないが、やっぱり、古代人はどこかで実物を目にしていたんじゃないか・・・?

またまた、話が脱線してしまった。でも、ホボット氏が言うには、アセンションすれば、パラレルワールドにも出入りできるようになるという。ここはやはり、アセンションするしかない?。
 
そんなこんなで、南米のシャーマンたちの驚くべき実態を、次々に語るホボット氏。これは、「ヒマラヤ聖者の生活探究」に出てくる、ヒマラヤ聖者にも匹敵するオドロキだ。(;゜Д゜)!
  
こんな人たちが実在するのなら、まさしく小説よりも奇なり珍なり、摩訶不思議なり・・・。

(つづく)
 
 ←カブレラストーン

スーフィズム3

2011年11月18日 | 東洋思想
    
精神世界関係者には、宗教を嫌っている人が少なくない。キリスト教社会のプレッシャーの中を生きてきた欧米人は、特に敏感。ぺトル・ホボット氏も、「人間を抑圧してきた」という理由で宗教を嫌っている。ただし、そんなホボット氏も、イスラム教は嫌いだけど、スーフィズムは大好きだ。「スーフィズムは、イスラムとは別モノだ」と言っている。

でも、日本人の場合は、通常、子供のころに無理やり聖書を読まされたというような経験がまずないのだから、大人になってからでも聖書を読んで学ぶべきと思われる。筆者も、学生時代には、高名な外人神父の勉強会でカトリック要理を学び、信者なみの素養を身につけたことがある。もっとも、神父に「輪廻転生」の話をしたときは、「謬説デス」(びゅうせつ)の一言で片付けられてしまったが・・・(泣)。
 
それにしても、旧約聖書の神が下す、恐るべき神罰。何かといえば、怒って人間を皆殺しにする。ヤハウェが通った後は、ペンペン草も生えない。これが地球人類の意識に、どれほどの恐怖を植え付けてきたか。神への底知れない恐怖は、本来なら一体であったはずの、神と人間との分離をひどく悪化させた。
 
そんな神への恐怖を乗り越え、神への純粋な愛に変える。そして、究極の神人合一を目指すのが、スーフィズムだ。
 
通常、「スーフィー」という言葉は、「羊毛」を意味するアラビア語の「スーフ」が語源だとされている。粗末な羊の毛皮を身にまとった、禁欲的な修道士のイメージ。いかにも・・・という感じがするけど、「禁欲的な修道生活」というのは、もともとキリスト教の発想とされている。

というのも、預言者マホメットや聖典コーランに、「禁欲的な修道生活」という考え方がないからだ。なにせ、「女は、なんじらの耕作地。自由に耕してよいぞ」とか、「天国には、おいしいヤシの実がなってるぞ」・・・というのが、アッラーのお告げ。イスラム教というと、「戒律に縛られる厳格な宗教」というイメージを持つ人が多いけど、それは欧米の文化に対する反発で過激になってるのであって、本来はそこまで厳しくない。むしろ、南国的なおおらかさが感じられる。

コーランは、「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において」で始まる。二言目には、「愚かな人間も悔い改めれば許してくださる、アッラーの寛大さ」が強調される。もちろん、怒ると厳しい神罰を下すけど、ユダヤ教やキリスト教の神様は、もっと強烈に厳しい。それに比べたら、ずいぶん優しい神様だ。

東ローマ帝国の長い治世のおかげで、昔は、今のシリアやエジプトあたりまでキリスト教が広がっていた。キリスト教の修道士たちは、神の裁きを恐れるあまり、囚人服みたいに羊毛を巻き付けただけの地味な姿で、おとなしく引きこもっていた。その影響で、スーフィーたちは羊毛を身にまとうようになった。

一方、スーフィーが数珠を持って勤行するのは、インドからの仏教の影響とされている。今でいうアフガニスタン・パキスタンにかけての地域には、仏教が広まっていた。三蔵法師が孫悟空を連れて向かった仏教の本場、「ガンダーラ地方」というのは、そのあたりを指している。
 
そんな具合に、東西の文化の十字路である中東には、世界のあらゆる思想が流れ込んでいる。昔の日本に例えれば、京都や大阪みたいなものだ。世界中から、あらゆるものが流れ込んで、またすべてが流れ出す。中東というのは、そういうところだった。

つまり、イスラム教が登場する以前は、キリスト教や仏教が、今よりもずっと広がっていた。イスラム勢力は、それをみんな押しのけて、イスラム一色に染め上げてしまった。なぜ、そうなったのか。神の意思は、被造物たる人間には計り知れない・・・。でも、コーランという神の啓示に、それだけの魅力があったのは確かだ。
  

スーフィズム 2

2011年11月18日 | 東洋思想
 
スーフィズムは、神と一体化して自我を無にする、信仰の最も純粋な形。10世紀イランのスーフィズムの聖者・ハッラージは、神と一体化するあまり、「われは神なり」と発言して、物議をかもすこととなった。
  
もっとも、物議をかもしたのは、この人だけではない。大勢のスーフィーが、異端思想を唱えたカドで宗教裁判にかけられ、刑場の露と消えていった・・・。

でも、死刑になっても、スーフィーはやっぱりスーフィーだ。中には、すでにアセンションしてしまった人もいるから、死刑になっても平気。「全身を切り刻まれる酷刑」で処刑されたにもかかわらず、まったく平然としていたスーフィーもいた。
 
この件に限らず、古来からスーフィーには、摩訶不思議なエピソードが多い。

スーフィズムの起源として、「エジプトの死者の書、ゾロアスター教、マニ教、ヒンドゥー教・・・といった神秘思想を、イスラム教に取り込んだ」と見る向きは多い。
 
でも、スーフィーたち自身は、そう思っていない。スーフィズムは、預言者マホメット自身に起源があると考えている。いわば、正統派とスーフィズムが、同じコインの裏表のように、預言者から流れ出してきたと考えているのだ。

というより、彼らとしては、そもそも「預言者マホメットから始まった」とさえ考えていない。それは、旧約聖書の創世記で活躍する、アブラハムから始まったのである。正確には、その起源は人類の始祖・アダムにまでさかのぼる。でも、直接にはアブラハムから始まった。そして、モーゼとイエス・キリストという2大預言者を経て、マホメットが最終預言者として登場したのだという。

もともと、キリスト教の新約聖書と違って、コーランには、これらの預言者たちの流れを語る歴史的な話が多い。読み物としては、コーランのほうが断然おもしろいのは確実だ。

とはいうものの、イスラム教にナジミがある人は、日本には少ない。でも、インターネットのおかげで、今は慣れ親しむのによい題材がある。それは、Youtubeでコーランの読誦を聞くことだ。子供がやってるのもある。やっぱり、イスラムといえば、これだ。筆者は耳から入るタイプなので、これがあるから、イスラム教がこんなに好きなのである。

というより、純粋に聖典・コーランが好きなのだ。まあ、読んでも、聞いても、これほど心が安らぐ宗教書は他にないだろう。

以前、霊感が強い人に「自分が地球に生まれたのは、これが初めてだ」という話をしたところ、「いや、さすがに初めてではない。前世はアラブかペルシャあたりにいた」と言われたことがあるので、実はそうなのかもしれない。
  
以前、船井会長は講演で「私は、精神世界については世界一くわしいんじゃないかと言われている」と豪語していた。一方では、「聖書や仏典は読んだことがない。読む必要がないからだ」ともよく言っている。たしかに、聖書や仏典を読まなくても、精神世界を探求するのに支障はないかもしれない。でも、精神世界に「世界一くわしく」なりたいのなら、せめて、コーランは読んでおくべきだろう(笑)。
 
抜群に教養が高かったわけではなく、詩人でもなかった預言者マホメットの口から、流れるように音楽的なコーランの詠唱が出てくるのを見て、当時の人々はその奇跡に驚き、皆が本物の神の啓示とただちに確信した。コーランは、詩であり、音楽でもある。「コーランは、アラビア語に限る。他の言語に翻訳したものは、本当のコーランではない」とされるのは、そのためだ。
 
ただし、日本には、巨匠・井筒俊彦による名訳(岩波文庫)がある。これは、世界的にも評価が高いらしい。巨匠の名著といえば、「マホメット」(講談社学術文庫)。最近は、預言者を「ムハンマド」、聖典を「クルアーン」と表記するのが流行なのだが、オールドファンの筆者には、どうもナジメない。やっぱり、「マホメット」に「コーラン」だ。これに限る(笑)。
  

スーフィズム

2011年11月18日 | 東洋思想
   
スーフィズム(イスラム神秘主義)は、あらゆる神秘思想の中の最高峰に位置している。

預言者マホメットが登場してイスラム教が始まったのは7世紀前半のこと。当時は、キリスト教がヨーロッパだけでなくシリアやエジプトにも勢力を広げ、世界の宗教界を統一しそうな勢いだった。なんといっても、それはローマ帝国のおかげ。キリスト教を国教としていた、この古代の超大国のおかげで、キリスト教はすっかり世界の宗教界のデファクト・スタンダードになっていた。

このままでは、本当に世界の宗教は、キリスト教一色に染め上げられてしまいそうだった。そんな中にイスラムが登場して、広大な文明世界を一気に制覇し、世界最大・最強の宗教の座についた。世界宗教になり損ねたキリスト教は、ヨーロッパという一地域だけの宗教になってしまった。

どうしてそうなったのかは、被造物である人間には、うかがい知れない。、どういうわけか、創造主は、キリスト教が世界の宗教界を統一することを望まず、代わりにイスラム教を地上に下されたのだ。

イスラム教というのは、とても単純なのが特徴だ。唯一の神アッラーを信仰した者は、天国で安楽に暮らせる。信仰しなかった者は、火炎地獄に投げ込まれる。もちろん、戒律その他がいろいろあるけど、基本はそれに尽きる。

無数の民衆の心を一気にとらえたのは、単純なのが最大の要因だろう。でも、一般人はそれで満足かもしれないが、インテリは一筋縄でいかない。それが世の常というものだ。
 
当時の知識人の多くは、アリストテレスやプラトンを始めとする、ギリシャ哲学に引きつけられていた。コーランのお告げは、彼らにとっては単純すぎる上に、矛盾が目につくものだった。「イスラムを信じない者は地獄に堕ちるというが、イスラム登場以前に死んだ人は、みんな地獄に堕ちたのか?」、「コーランは、あるところでは、神が天地創造したときは何も無かったと書いてあるのに、別のところでは、天地創造前に神は玉座に座っていたとある。何もなかったのか、玉座はあったのか、どっちなのだ?」・・・とかなんとか、およそ考え得るあらゆるツッコミが、たちまち殺到した。
 
ついには、イスラム帝国の教皇までが、ギリシャ哲学にハマッた。首都バグダッドに「知恵の館」を建てて、ギリシャ語文献の翻訳を国家事業として推進し、せっせとギリシャの科学と哲学を広めたのだ。その後、アラビアやペルシャには大哲学者が次々に出て、哲学が大きく発展した。
   
でも、数千年の文明の歴史を持つ中東に脈々と流れていたのは、哲学だけではなかった。ここは、エジプトの死者の書、シュメール神話、ゾロアスター教、マニ教・・・と、神秘思想には事欠かない地域でもあったのだ。普通の宗教じゃ飽き足らない人たちは、この神秘思想にも流れ込んだ。
 
早い話が、イスラム世界では、宗教に加えて、哲学と神秘思想が3本柱を成し、お互いに影響し合い、絡み合いながら思想の歴史を作ってきたのである。偉大なるイスラム神秘思想家の多くは、哲学者でもあった。だから、底が深い。
  
例によって前置きが長くなり、どっちが前置きか本題なのか分からなくなってしまったが、「イスラム神秘思想」が本日のテーマ(笑)。
 
スーフィズム(イスラム神秘主義)こそは、神秘思想の最高峰。スーフィズムをやってる人を「スーフィー」と呼ぶのだが、おそらく現代のスピリチュアリストは、結構な割合で、前世は中東でスーフィーをやってた人たちなのではないかと筆者は推測している。たとえば、「神の使者」のゲイリー・レナード氏あたりは、考え方に、どうもスーフィズムと通じるものが感じられる。おそらく、前世はスーフィーだったのだろう。

日本人にとって、中東は「遠くて遠い地域」だ。イスラム教に対する関心は、日本では極めて低い。「古今東西の宗教の見本市」とされる日本だが、イスラム信者はほとんどいない。だから、スーフィズムの本も、日本には滅多にない。

もっとも、ジャラールッディーン・ルーミーを初めとするスーフィズムの聖人の名は、欧米ではかなり知られている。元エハン・デラヴィ氏も、ルーミーの神秘思想詩に傾倒する一人。エハン名で出した最後の本は「ルーミー」だったが、エハン引退記念講演で「この本は売れてません」とボヤいていた。こればっかりは仕方がない。いくら宗教好きな人でも、日本人にとってイスラム思想の話は、よほどのマニアでもない限り、まずピンと来ないのが普通だ。本ブログでも、この話題をなるべく持ち出さないようにしていたのは、そのせい(笑)。
 
でも、神秘思想の最高峰であるスーフィズムを知らないのは、本当はもったいない・・・。
 

日々の雑感

2011年11月16日 | こっくり亭日記

昼間、喫茶店で一服した。最近は寒いので、熱いコーヒーがうまい。

すると、目の前に宇宙人が立っていた。外見は、いつか本で見た「プレアデス人」の姿に似ていた。それでいて、普通に喫茶店の中で目の前に立っていた。宇宙人は、黙って書類の束を差し出してきたので、筆者はそれを受け取ってカバンの中に入れた。すると、急に、「これさえあれば、どんな疑問にも答えられるんじゃないか?」という気がしてきた。すると宇宙人も、「そうだ。これからは、いよいよ何でも分かるようになるぞ」と言った。
 
そこで、目が覚めた。というより、そこで初めて自分が眠っていたことに気づいた。時計を見ると、1分も経っていないくらいだったのだが、周囲には特に変わった様子はなく、明らかに自分が寝てた。なんだか現実そのもののように思えるのだが、どうやら夢だったようだ。それにしても、愉快な夢だった。なんだか楽しくなり、外に出てからも、すべてが楽しそうに見えて仕方なかった。

だが、徐々に、地球の現実へと引き戻されていった・・・。なんといっても、景気が悪すぎる。日本だけでなく、世界中のどこを見ても悪いのだから仕方がない。最近は、イタリア経済が破綻寸前で、つられてフランス国債も売られ始めた。あの中国やインドの経済でさえ、明らかにカゲリが出てきたというモッパラの評判だ。それじゃ、日本の景気が悪いのも仕方ないだろう。ここは、死んだフリをしてでも生き延びようと、悪戦苦闘している人々で世の中は一杯だ。もちろん、筆者もその一人だ(笑)。
  
もっとも、地球の環境が悪いのは、今に始まったことではない。昔から、ここはどうも環境が良くない。「宇宙の流刑地」と呼ぶ人もいる。でも、ここで現実として生きている以上、四の五の言っても始まらない。あきらめて、なんとか地球で生きていくしかないのである。何の因果でこうなったのかは不明だが・・・。

世間には誤解されていることが多いのだが、精神世界の探求者というのは、現実離れしたことばかり考えるわけではない。本来は、精神集中して観察力を鍛える修行なのである。むしろ世間の一般人以上に、現実に対する観察を研ぎ澄ませて、あるがままに見ることになる。現実の厳しさがますます目に入るのは、そのためだ(泣)。

トランスパーソナル心理学の本を読んでいたら、こう書いてあった。「精神世界を探求すると、しばしば、至福感を体験するようになる。でも、それが要注意なのだ。至福感を味わった後で、目前の現実に引き戻されると、あまりのギャップに落ち込んで、そのままウツ病になってしまう人も中にはいるから、そうならないように気をつけなければならない」・・・。イタリア人のアサジョーリという、この分野では有名なトランスパーソナル心理学者の警告だという。

まあ、風呂から上がって、湯冷めするようなものだろう。まったく、世の中、どこに落とし穴が潜んでいるか分からない。ウツにならないよう、精神衛生に気を使わなければならないとは。ここは、気分がパッと晴れるようなことをした方が良さそうだ。

というわけで、酒場に入って、酒を飲むことにした。今日も元気だ。寒いけど、冷たいビールがうまい。また、すべてが楽しそうに見えてきた。地球は、ひょっとすると楽しいところなのだろうか・・・?
  

いよいよ、不動産バブル崩壊が始まった中国

2011年11月15日 | こっくり亭日記
J-CAST

>「イタリアだけじゃありません」
司会の小倉智昭がオープニングトークで、バブル崩壊の予兆を見せ始めたインド、中国の現状に触れた。
「インドは乗用車のローン金利が上がって売れ行きが前年比20%もダウン。中国もインフレ政策がきつくなって、車が売れなくなってきている」

>なかでも小倉が注目したのが中国の不動産の値下がり。「サンケイエクスプレス」(2011年11月10日付)の記事を取り上げ、「住宅の価格が一気に下がり、バブル崩壊が始まっているのではといわれている」という。
とくにひどいのは上海で、10月24日から30日までの1週間で、上海市内の分譲住宅の平均価格は前週より10・5%も下がり、マンションも3分の1も安くなった。このため、最初の買い手が「なぜ俺たちよりこんなに安く売るんだ」と行列をなして抗議する場面も出ている。広州、成都、天津では10~15%下落しているという。

>小倉「どこかでこういうニュース覚えていませんか。日本でもバブル崩壊時にあったでしょ。最初に買った人と後で買った人で1000万円とか2000万円も違ったことが…。そういう状況が中国でも起きている」
笠井信輔アナ「世界経済を中国が牽引しているようなところがありました。右肩上がりで『中国は…』というニュースばかりでしたが」
小倉「これって、かなりなことになってしまうかもしれませんね。ちょっと経済から目が離せません。毎日動いています」

>国際経済の危機はギリシャ、イタリアのEUから、中国、インドに広がってきた。


小倉智昭のテレビ番組が、ちょっとした波紋を呼んでいる。「いよいよ、中国の不動産バブル崩壊か?」と思わせる内容だったからだ。

もちろん、「中国経済は崩壊する」というのは、過去20年にわたって言われ続けている。「いつまでたっても、崩壊しないじゃないか」と見る向きもあるだろう。

でも、いよいよ本当に、日本のバブル崩壊時の様相に似てきたという評判だ。

9月末にも、イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙が、「中国の不動産ディベロッパーが海外で発行している社債は、金利が20%を超えている」と、中国の不動産業界の危機的状況を報道し、それが日本経済新聞にも引用された。まさしく、ギリシャの国債どころではない、末期症状だ。
   
上海では、10月下旬の一週間で、分譲マンションの価格が3割以上も下落した。売れ残りのマンションが大幅に値引きして販売されているため、すでに購入した人々が暴動寸前にまで怒っている。買ったばかりのマンションが、わずか一週間後には何割も値引きされているのだから、怒るのも無理はない。小倉智昭が言うように、これはバブル末期の日本にもよく見られた光景だ。

日本と同様、中国にも、景気の季節変動がある。通常なら、9月から10月は、中国で商売が盛り上がる季節だ。それなのに、この状況は寒すぎる。

最近は、ユーロ危機に世界の耳目が集中している。例によって、「お人よしの日本政府は、ギリシャ支援に参加すると言っている。それに比べて、したたかな中国政府は、キッパリと支援を断った」みたいな調子で、中国を称賛する向きも少なくないのだが、それはおかしい。中国は、意外なほど欧州向けの輸出が多く、欧州が最大の貿易相手となっている。ユーロ危機で、最も悪影響を受けるのは中国なのだから、本当は中国こそが真っ先に欧州を支援したいところだろう。それができないのは、それくらい中国に余力がないということを意味している。あるいは、中国政府は「国際協調」の四文字を、まだ理解できていないのかもしれない。いずれにしても、ホメられるようなことではないのは確かだ。

2008年のリーマンショックの頃、日本には「これは欧米諸国の金融破綻であり、サブプライムローンにあまり投資していなかった日本は、相対的に無傷でしたね」という安堵感があったのを思い出す。結果は予想を裏切り、欧米への輸出が落ち込んだ日本は痛烈なショックを受け、世界一の下落幅で景気が落ち込むという皮肉なものとなった。

それと同じで、今回のユーロ危機も、中国が受ける打撃は非常に大きいと予想される。

しかも、バブル崩壊時の日本と違って、今の中国は、食料品を始めとする生活必需品が急激に値上がりするインフレ社会だ。何よりもインフレ対策をしないと、民衆の暴動を抑えきれない。不動産価格を維持するために、金融緩和策を打ち出すのは無理なのである。むしろ、中国の当局は春先から、金利を急速に引き上げてきた。それもまた、この不動産価格の下落という結果につながっている。
 
まあ、今度こそ、中国経済は本当にヤバいと見ていいだろう。中国は、改革の本丸だ。地球人類の何割かを占めているだけに、集合意識に及ぼす影響は計り知れない。ここを少しは変えないことには、人類の意識進化は難しい。これから、確実に大きな変動が起きてくることだろう。
  

荒れる東アジアの海

2011年11月15日 | こっくり亭日記

最近は、中国の海軍や漁船が、ますます我が物顔で日本の近海を横行している。それだけではなく、挑発行為を繰り返している。これは、危険な傾向だ。

こういうとき、日本には、「中国を批判したら平和が壊れる」、「北朝鮮を批判したら平和が壊れる」・・・と言い出す勢力が必ず登場するのだが、それもイカガなものか。理想を唱えるのも結構だが、現在の地球の現実をあるがままに認識することが、それ以上に重要だ。

「歴史に学べ。現実を直視せよ」と言うと、「歴史上、中国は侵略国家だったことがない」という答が返ってくることがある。現に、先日は左翼の知人がそう言っていた。某掲示板にも、別の人がそう書いていた(笑)。

「歴史上、中国が侵略国家だったことはない」というのは、まったくの誤解だ。単に、昔の船と航海技術では、海軍が東シナ海の荒海を渡ることに無理があったにすぎない。

昔は、大陸と日本を往来するには、山東半島と朝鮮半島をつなぐルートを通るしかなかった。博多と釜山の間はすぐ近くだし、韓国と山東省の間にも、海がすごく狭くなっている海峡がある。この2つを渡って海上リスクを最小限に留め、あとは陸路を通るのが安全だった。

このため、大陸との交流が盛んだった古代の日本にとって、山東半島と朝鮮半島を反日的な勢力に占拠されることは、死活問題だった。新羅との関係が悪くて遣唐使が遠回りしたのは有名だけど、その前の倭王の時代にも、北方の騎馬民族に山東半島を取られて、しばらく使節を送れない時期があった。

そんなこんなで、海を渡るのは、昔の人には想像を絶するほど大変だったのだ。江戸時代の日本だって、秋田や山形の農産物を江戸まで運ぶのに、わざわざ西回りのルートで大坂を経由していた。「霧深い津軽海峡を、船で渡るのが危険だったから」というのが、最大の理由とされている。

「中国が侵略国家だった試しはない」なんて言えるのは、海を隔てた日本だからだ。陸続きのベトナムでは、定期的に中国が攻め込んできて、それを撃退した将軍が次の天下人になる・・・の繰り返し。しばらくすると、また必ず中国が攻めてくる。ベトナムの歴史そのものが、常に中国からの侵略を軸に展開してきた。海を隔てて距離のある日本は、本当に幸運だ。

その点、現代においては、船で海を渡れないどころか、現に我が物顔で横行しているのだから、とても唐や明の時代と同列に語れない。

とはいうものの、北京の政府は、別に日本を侵略しようなどと思っていないだろう。海軍が日本で挑発行為を繰り返しているのは、すでに政府のコントロールが効かなくなり、軍部が勝手に暴走している可能性が高い。

巨大な帝国が崩壊するときというのは、たいてい制御不能になるものだ。今は、千年近くも続いたペキン帝国の断末魔。その大混乱は、想像を絶するものがあると覚悟すべきだろう。

やっぱり、中国こそが、改革の本丸だ。地球人類の何割かを占める、この国が少しは変わってくれないと、意識進化どころではない・・・。

密猟されるクロサイを救出

2011年11月13日 | こっくり亭日記


ナショナル・ジオグラフィック

アフリカのクロサイが、密猟で激減している。絶滅寸前のレッドリストにも載っている。

密猟者に人気の理由は、もちろん、あの見事な角だ。「サイの角のように、ただひとり歩め」という釈尊の名言を生んだだけあって、ホレボレするほど美しい、鎧を身にまとった一角獣。大昔の恐竜・トリケラトプスに似ている。

そんなサイのツノを珍重しているのは、やっぱり東アジア人だ。最近は、ベトナムで漢方薬としての需要が多いらしい。こればっかりは、東アジアに共通する傾向だ。日本も、古来から象牙の大需要地だっただけに文句は言いにくい。

だが、違うところはある。中国人の密猟者は、とにかく評判が悪い。この報道でも、「アフリカの道路工事で中国人が大勢来たところでは、ツノを切り落とされたサイの死体が増えた、という調査結果」が取り沙汰されている。幸いにして、日本人の場合、そんな風評が立った試しはない。やはり、そこが民度の違いだろう。

アフリカのジンバブエでは、ライフルでサイを狙撃し、そのツノを斧で切り落とすという手口の密猟が横行しているという。 「キジも鳴かずば撃たれまいに」という言葉もあるが、サイも美しいツノのおかげで命を落としている。立派なツノを持った大人のサイが狙われるので、子供のサイが迷子になっている。

そんなサイに、画期的な救出方法が考案された。鎮静剤を打ったサイを、ヘリコプターで空輸するというものだ。

高い空に吊るされて、安全な保護区まで運ばれるクロサイ。一頭あたり、10分ほどかけて運ばれるという。

雄大なアフリカの緑の大地をゆく、空の旅。筆者は高所恐怖症なので無理だが、なんとも気持ち良さそうだ・・・。

空気中の水分を吸い込んで水を作り出す装置

2011年11月13日 | こっくり亭日記


WIRED JP

乾燥地帯も農地に?:空気中の水分を吸い込む『Airdrop』


いよいよ、空気中から水分を集めて、砂漠を緑地に変えるシステムの登場だ?

この装置・「Airdrop」は、優秀な発明に贈られる、2011年のジェームズ・ダイソン賞にも選ばれたという。

乾燥地とはいえ、空気中には多少の水蒸気が含まれている。もちろん、チリのアタカマ砂漠みたいな超・乾燥地ともなれば分からないが、並みの乾燥地なら、それなりに水蒸気がある。

それを、風車で空気を地中に引き込み、冷却するだけという、単純な原理だ。それだけで水分が発生する。
 
寒い冬の窓や、冷たい水の入ったコップに、水滴がつくのと同じ原理だ。水を温めたら湯気になるのと逆で、空気を冷やせば、空気に含まれた水分を水にすることができる。後は、それを集めればいいだけ。

発明者がオーストラリアで使ってみたところ、1日あたり1リットルの水ができたという。

できた水は、太陽光発電で動くポンプによって、植物に供給される。なにせ、いつも天気が良い地域だけに、太陽光には事欠かないから安心だ。空気を集めるタービンも、風力で動くらしい。

実に単純な原理なのだが、「スター・ウォーズ」に出てくるルーク・スカイウォーカーの叔父さんも、砂漠の惑星タトゥウィーンで、この原理を応用した水分抽出農場をやっていた。これからは地球にも、そんな水分農夫が増えてきそうだ。
 
どうやら、荒れ果てた地球の褐色の大地を、緑化する道が開けてきたようだ・・・。