宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

政治問題について

2011年09月13日 | こっくり亭日記

「2011年10月28日」という、コルマン・インデックスの終了期日が近づいている。このため、最近はコルマン博士のサイトと並び、日本における紹介者である高島康司氏のブログをよく見ている。

高島氏のブログは、最近ますます政治一色だ。というより、この人はもともと政治問題にしか興味がないのだということが、この頃よく分かってきた。この人にとっての「意識の覚醒」というのは、「権力者に抵抗して民衆が立ち上がる」というようなことを意味している。純粋に精神的な問題への関心は、ほとんど見られない。まあ、それも一つの方向性とは言えるんだろうけど・・・。

それにしても、原子力発電がアセンションの妨げになるのなら、電力の大半を原子力に頼っているフランス人は、誰もアセンションできないということにならないか(笑)。「東京電力を潰せ」もいいけど、その前にフランスをなんとかすべきだろう。

もちろん、原子力発電の問題は重要だし、別途、大いに議論してもらったらいいと思う。ただ、それとアセンションとの間に、直接の関係があるわけではない。

原発のような地球の自然環境に関わる問題なら、まだ分からないでもないのだが、「郵政民営化反対」に至っては、アセンションとなんの関係があるのか、さらに首をひねることになる(笑)。

高島氏は、「日本の肥大した官僚機構による統治システム」を激しく槍玉に挙げ、アメリカの「茶会派」をやたら持ち上げている。

アメリカの「茶会派」は、ひたすら財政支出削減と減税を主張する、熱狂的な新自由主義の改革派だ。平たく言えば、日本でいう「小泉改革」みたいなことを、もっと徹底的かつ極端にやりましょうという集団。普通の共和党関係者でさえドン引きするほどの、原理主義的な南部の白人保守層の論理であり、当然オバマ大統領とは相性が悪い。

「中央官僚による統制システムを解体すべき」と強く主張し、茶会派を称賛する姿は、新自由主義者そのものだ。でも、それでいて自由放任路線には反対し、小泉改革を悪魔の所業みたいに言ってるのが、高島氏の不思議なところ(笑)。

では何なのかと言えば、「地方分権による地方コミュニティの形成、地産地消型の社会への移行」が、そのどちらでもない第三の道なのだという。

高島氏は、「A)中央政府の官僚による統制経済 B)グローバルな市場経済 C)地域コミュニティを主体とする自給自足型の経済」という3つの路線を挙げて、「AとBではなく、Cを選択せよ」と唱えている。

でも、BとCは、路線選択というより、ある意味で表裏一体だ。「グローカル」という造語の通り、グローバル化とローカル化は、切っても切れない関係にある。

実際に、中世ヨーロッパは無数の自由都市と領邦国家に分かれた地方分散型の社会だったが、そこでは市場経済の広域ネットワークが大きく発達した。

「地産地消」は、古来から常に唱えられている地域振興のスローガンだ。今の日本だって、どの地方に行っても、「ふるさとの製品を愛用しましょう」というような垂れ幕がかかっている。単に、各地の気候風土や地形、人口、技術その他にバラつきがあるから、実際には実現困難であるにすぎない。

中世ヨーロッパが、グローカルな世界の雛型だ。たとえば、海から遠く離れた内陸で、どこから塩を調達するのか。逆に、岩塩の産地では塩くらいしか取れないから、塩を売らなくちゃいけない。ニシンの産地では、塩を買って塩漬けニシンを売る。そうやって、自然と、他の地域との取引が増えてきた。アチコチに関税同盟が広がって、だんだん市場ネットワークが広域化してきた。

各地域が無理に自給自足を目指すより、地域の特性を活かして特産品を作り、お互いに流通しあったほうが全体がずっと豊かになる。だから、地方の自主性が高くなるほど、自然に広域の市場経済ネットワークが発達することになる。基軸通貨の制度も、そういう取引に便利だから自然とできあがってきた。国際的な商取引の中心地であるベネチア共和国の通貨で決済するのが、誰にとっても一番納得しやすいことだったから、そうなるのが自然だったのだ。

「グローカル」というのは、そういうことを意味している。世の中がローカル化するにつれて、グローバル化が同時進行する。例によって逆説的なのだが、それが真実だ・・・。

いずれにしても、政治的な問題を重視しすぎるのは、イカガなものかと思う。権力や富をめぐる闘争については、客観的に観察するだけで、自分自身はそこからフェードアウトしていくというのが精神世界探求者の傾向だ。ましてや、そこに自分から突っ込んでいって争いを引き起こすことなど、普通はしない。

20世紀最高の聖者として名高いクリシュナムルティに至っては、「将来は、矛盾に満ちたインドの社会を改革したい」と理想に燃えるインドの子供を、同様の理由でたしなめていたほどだ。

重要なのは、意識を変えることだ。意識が変われば、価値観も変わる。

例えば、今の日本人の大半は、日本が軍事的に強いか弱いかを、ほとんど気にしていない。日本が、軍事的な面で強国であるべきだと思っている人は、一部の特殊な人を除いて滅多にいなくなった。昔とは、大きく意識が変わったのだ。

要は、政治経済の問題というのは、気にならなくなればいいのである。誰も困らないようなことなら、気にしなくてもすむ。富が偏在していても、別に生活に困らないのなら、「おカネが好きな人は、勝手にやっててくれよ」ということになるだろう。

今は、「金持ちや権力者を打倒して富を山分けしよう」なんて考えるより、富そのものが気にならなくなる方向を目指すべきだ。やっぱり、目指すのは「お金がなくても困らない社会」・・・。


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2 コメント

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Unknown (ブログ管理人)
2011-09-14 20:44:24
まさしく、そういうことでしょうね。

中国や北朝鮮の軍事的脅威さえなくなれば、日本核武装論など、自動的に消滅でしょう。

真の問題解決というのは、そういうことだと思います(笑)。
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Unknown (ポン太)
2011-09-14 16:06:17
>要は、政治経済の問題というのは、気にならなくなればいいのである。誰も困らないようなことなら、気にせずにすむ。富が偏在していても、誰も困らないような世の中になれば、人は経済問題を気にしなくなるだろう。いまさら「金持ちを打倒して、富を分配しよう」などと考えるより、今はその方向を探るべきだ。

 まさにそうですね。特に政治問題がそうです。中国や北朝鮮などが未だに問題になるのはこれらの国が自国内でおよそ前近代的なことを平気で行っており、しかも他国にとって軍事的脅威となっているからでしょう。要するに、まともでない対象が近くに存在しているから、必要以上に気になる。そして気になるから、政治問題となる(笑)。

 だから一部では「日本核武装論」を唱える保守派が未だに存在している。その理由として、必ず挙げられるのが「中国や北朝鮮の軍事的脅威に対抗する」というもの。そのために、原発保持を唱える保守派も多い。

 まあもっとも最近の保守派でも原発に限って言えば意見も分かれていて、「祖国が汚染されるのを知っている上で原発を推進するのは真の愛国者とは言えない」とする西尾幹二氏みたいな「脱原発論を掲げる保守」も登場してきておりますけどね。

 いずれにしろ、政治経済の問題がそれこそ「あってもなくてもあまり大差ない」状態になれば、また違ってくるわけで、まあその方向を目指すべき何ですが、その過渡期を記すという意味では、世界情勢や各国の権力闘争に目を向けるというのも意味はあると思います。

 ・・・・・・とにかく中国と北朝鮮に関しては、なるべく早期に民主化されるべきだと思いますね。これらの国が崩壊すると難民が押し寄せて大混乱すると言うが、その一時的な混乱と半永久的な軍事的脅威や暴発の危険性、独裁の恐怖を考えれば、一時的な痛みは負ってもつぶすべきだと思いますがね・・・・・・。
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