共感能力が高い人のことを「エンパス」と呼ぶ。「HSP」(ハイリー・センシティブ・パースン・・・敏感すぎる人)というのも、それに似ている。
ただし、エンパスの場合は、「対人」という点で、特に感度が高すぎる人のこと。
イライラしている人の近くにいると、イライラが伝染する。大勢の人がいる場所にいくと、雑多な感情が入り込んできて、ドッと疲れる。みんなが「旅行に行こうよ」と言ってると、なんだか自分も行きたくなるのに、一人になると、「行きたくねえ・・・」。
こういうのをエンパスというわけだけど、これは別に特殊な能力というわけではなく、「アメリカ人は10人に1人、日本人は5人に1人」と言われるほど多い。人の気持ちを敏感に察することができるわけだから、ある程度までは、日常生活にも有効なスキルだといえる。
日本の社会は、特に、「他人に気を使う」ということに大きな価値が置かれ、それを推奨される社会だ。だから、人の気持ちを察する人になろうと一生懸命になりすぎて、エンパスの傾向が強くなりやすい。
エンパスの傾向が極端に強くなると、一種の特異体質になってくる。あまりに他人の感情の影響を受けやすいため、人生が難しくなる。有名なローズトゥリーの分類によると、エンパスにはいくつかのパターンがある。
・ 身体合一型…相手の身体に起きたことを、自身の身体で起きているように感じる
・ 身体直感型…相手の身体で起きたことが直感的にわかる
・ 感情合一型…相手の感情を自分のことのように感じる
・ 感情直感型…相手の感情が直感的にわかる
・ 知的自己変容型…人の考えに合わせて行動してしまう
・ 霊的合一型…相手のスピリットとつながり、その人を援助できる
最初の、「相手の身体におきたことを、自身の身体で起きているように感じる、身体合一型」というのからして、ちょっと大変そうだ。こういう人が病院に行ったら、すぐに体調が悪くなってしまうだろう。
でも、下に行くほど、ますます日常生活に支障を来たしそうな特徴が並んでいる(笑)。中には、エンパスを通り越して、サイキックの領域に入っている特徴もある。もっとも、どの特徴でも、その傾向が極端に強ければ、もはやエンパスと言うよりサイキックだろう。
他人の感情に影響を受けやすいため、当然のことながら、ウツ状態になりやすく、逆に、ソウ状態にもなりやすい。こうなると、双極性障害(ソウウツ症)を併発しやすくなる。
そういう人が、精神科の治療を受けて「アナタは双極性障害です」と診断され、薬を飲まされたとしても、それが根本的な解決になるかどうかは疑わしい。この場合、根本的な原因は、エンパス体質にある。
「注意欠陥・多動性障害」(ADHD)という診断を受けることも、よくある。子供は、特にそう言われやすい。確かに、何人もの人の感情の影響を受けると、それだけ、落ち着きがなくなるのは仕方ないだろう(笑)。
でも、今までの地球での人生を生きる上では、困った体質だったとしても、これからは違うんじゃなかろうか。
これからの第四密度の地球においては、人々の意識が、ひとつになっていく。完全にひとつになるのは、まだまだ遥か先だけど、今までほどの分離感はなくなってくる。
エンパス体質の人は、それに先んじて分離の境界線がゆるくなってきているんだから、そういう意味では、新しい時代の人。
ただし、現在の地球においては、「常に怒っている人」とか、「いつも暗くなってる人」とか、ネガティブな人が、職場や学校にも必ずいる。そういう人に、いちいち影響を受けるのだから大変。
円滑に生きていくためには、エンパスを抑えることも必要になってくるだろう。
できれば、なるべく、一人になる時間を増やしたいところ。洞窟の中で瞑想できれば一番なんだけど、なかなか、そうもいかない。
「自分の殻をつくる瞑想」というのもある。「自分の周りを、光の壁がさえぎっている」とか、「自分の周りを、繭がくるんでいる」とか、人によってイメージするものは違うけど、要するに、一種のイメージトレーニングによって、自他の分離感を強化する。
「自他の分離感を強化する」というのは、スピリチュアルな進化とは逆行するような気がしないでもないけど、こればっかりは、時と場合によって使い分ける必要がある(笑)。地球的ではない人が、地球の環境でうまく生きていくためのコツみたいなものだろう。
とはいうものの、ポジティブな人とは、分離しなくても困らない。むしろ、良い影響をどんどん受けたいものだ。
逆に、ネガティブな人からの影響は、極力シャットアウトする。
まずは、ポジティブな人と、ネガティブな人を区別することから始める必要がある・・・(笑)。
現実にあるのは、掃除機すら説明書を読まなければ扱えない自分です。
行動・体験・思考、それらの全てから生じるリアリティーを否定していたいのなら、この地上に存在する意義など到底ありえない。
何から逃げたいので、そう思うことにしたのですか?
あらゆるギフトは、時に神秘的でミラクルな表現で貴方に囁きかけるかも知れません。
が、しかし…それに至る動機に目を向けた場合、立ち返る場所はそこにあり現実を好ましいものに変化させていく先にしか喜びは発生しないのです。
何度でも何度でも思い出さなければいけないのは、本当の自分がどれほど巨大な存在かということです。
物心ついたときから肉体と自己同化してきたので、自分というのはこの肉体の中に閉じ込められた小さな命だと思っています。
まさかすべての命を生かしている存在の源が自分自身だなんて、夢にも思わないのです。
精神が縮こまれば恐怖心になります。
自分の無力さに怯え、この先の人生の不確かさに怯えます。
そこにあるのは不信感。
存在に対する、そして自分の人生の流れに対する不信感です。
本当の自分を思い出したときに気づくのは、目の前に展開するすべては自分の意識の戯れだったということです。
自分以外は存在していません。
脅威に満ちた外側もなく、守るべき内側もなく、内も外もどちらも自分だったのです。
これが存在に対する究極の気づきです。
そのとき人は、いままでもずっと安全だったし、これからもずっと安全あることを知り、心底くつろぐことができます。
もし僕に役目があるとしたら、見える世界を超えたところに真実の次元があり、その次元から見たら、いままでも、いまも、そしてこれからも、あなたはずっと安全だし、すでに全てを手にしていて、何者かになる必要もなく、どこかに行き着く必要もないということを伝えることだと思います。
そしてもう一つ伝えたいのは、あなたがこのことを理解した時、凄い人になるのではなく、あたりまえさを受け入れ、あたりまえの人生を生きだすということです。
聖人になるわけでも、偉人になるわけでもなく、ただ普通になるのです。
え?それじゃ面白くないって?
ところがそれを面白く感じるから、きっと何かが逆転するのでしょう。
どんな時でもいいから立ち止まって、空に向かって両手を広げて、天空いっぱいに広がる自分を感じてみてください。
縮こまった自己イメージから、宇宙大の自己イメージに切り替えるのです。
このイメージは、精神のバランスをとるのに役立ちます。
エンパス体質で鬱になったのなら最初の治療で治らなかったのは当然な気がします。
何しろその頃は回りに精神疾患のある友人がわんさかいましたから。
その友人達から離れてからは憑き物が取れたかのようにすぐ治りましたね。
それから遠方に引っ越しして、気性の荒い祖母と暮らし初めてまた再発。
祖母から離れたら、先生が驚くくらいの早さで嘘のように調子が良くなりました。
思えば昔から群れるのが苦手だったんで、無意識にエンパス体質に気を配ってたのかもしれないですね。
話をしなくても
ポジティブな想いを抱いている人に会うと、こちらもパッと幸せで胸いっぱいなんだけど、
恨みやネガティブの感情を抱いている人はキツイ!
泥沼に引き込まれていくような何とも言えない気持ちになります。
瞑想して元の自分に戻る日々。
おかげで人嫌いでも人見知りでもないのに、
仕事以外の職場の仲間とのお付き合いは殆どお断りしてます。
協調性がありすぎる人は、重度のエンパスになりやすいですよ。
その点、筆者は協調性が乏しいので、その点で助かってます(笑)
内臓に病巣がある人がいたら、お腹にしこりのような感覚と痛みが感じられた。
腫瘍がある人の場合、こちらも死んでしまうような気がして怖かった。
でも一時的だった。(一年くらい周りと同調してた。雀やカエル、雨)
エンパス体質の人は、案外自分がないようなところがありはしないか?
例えば複数で食事に行って注文をするとき、「なんでもいい、みんなと同じもので」 そんな感じではないだろうか?