宇宙のこっくり亭

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豊饒の海 ~ 三島由紀夫の転生小説

2014年06月23日 | 精神世界を語る
(以下には、三島由紀夫の小説・『豊饒の海』のストーリーに関する記述が少しあります。これから読もうとする人には、一応、『ネタバレ注意』としておきます)
  
  
「豊饒の海」4部作は、三島由紀夫の最後の大作だ。
   
第1部では、主人公の親友が死ぬ。まだ、20歳だった。その愛と死が、全編に桜の花吹雪を散らしたような、なんとも美しい文章でつづられる。
  
第1部で死んだ親友が、第2部では、なんと、別の人に生まれ変わった。本人にその自覚はなかったが、主人公はそれに気づいた。でも、やっぱり20歳で死んだ。
 
毎回、20歳で死んでは、生まれ変わって別の人になる。第3部では、かわいい美少女に生まれ変わった。そして、やっぱり20歳で死んだ。
 
その間も、主人公はずっと生きていて、だんだん、年を取っていく。「生まれ変わり」を、ただ見守るだけ。どうすることもできない。生まれ変わりごとに、年の差が大きくなっていく。自分がお爺さんになるにつれて、「永遠の若さ」が、うらやましくなってくる。
  
第4部ともなると、「過去の生まれ変わりでは、いずれも20歳で死んだらしい」というウワサが、本人の耳にも入ってくる。そして、「ということは、オレも、20歳で死ぬのかな?」と、気にし始める・・・。
  
 
三島由紀夫は、晩年になるほど仏教思想に傾倒し、とくに「唯識論」を熱心にやっていた。「豊饒の海」も、後半になると、唯識論の話がしきりに登場するようになる。

唯識論というのは、古代インドの仏教哲学が生んだ、とてもフクザツな、輪廻転生の理論。 「唯識3年、倶舎8年」(・・・合計11年も勉強して、やっと理解できる)と言われるほど、難しいことで知られる。
  
なんで、そんなに難しいのか。
   
それは、仏教では、基本的に「霊魂」というものを認めていないからだ。
    
仏教では、「霊魂」というのは、「いつわりの自我」とされている。それは本当の自分ではなく、錯覚であり、実在しない。
 
修行者たるもの、そんなものに執着してはいけない。霊魂、すなわち「永遠の自我」への執着は、解脱のさまたげになるのである。「ボクは、死んでからも、肉体を抜け出した霊魂となって、永遠に生きていきたいな」というのは、世間の一般人ならともかく、修行者としてはアウトなのだ。

でも、だからといって、輪廻転生もないのかといったら、そういうわけでもない。それとこれとは、別の話になる。
 
つまり、霊魂は、存在しません。それは、アナタが作り出した幻影です。でも、輪廻転生はしています。・・・そこが、ややこしいところ。
  
じゃあ、「霊魂が無いのなら、何が輪廻しているのか?」となるのが、当然の疑問というものだろう。

古代インドでは、当時の最高の知性たちが集まっては、この議論に明け暮れた。これほど熱く盛り上がるテーマは、他になかった。
   
とはいうものの、もともと前提からして無理のある議論なので、やればやるほど、理屈がややこしくなっていった。
             
この問題の結論を言えば、「阿頼耶識」(アラヤシキ)が輪廻しているのだ・・・ということになる。いや、輪廻を作り出しているのだ・・・と言うべきか。
 
アラヤシキとは何なのかといえば、表面意識の奥にある、深層意識の中のコアの部分。
 
スピリチュアル風に言えば、「自分専用の、小さなアカシックレコード」といったところか。
 
これは高性能な記録装置で、ここには、あらゆる情報が書き込まれている。自分自身の過去はもちろん、過去世の転生履歴も、すべて記録されている。ついでに、地球生命系の歴史までが記録されている。
 
アナタが死んでも、この記録装置は残る。そこには、すべての情報が記録されている。
 
なんと、この情報を元に、アナタの新しいバージョンが再生されるのだ。
 
そこでアラヤシキは、映写機に変身する。世界というスクリーンに、「生まれ変わった、次の人生」という、映画を投影する。なんたって、ここには、あらゆる情報があるのだ。それを元に、スクリーンに映せばいいだけ。
  
そんなこんなで、要するに、阿頼耶識のおかげで、人は輪廻転生している。いや、「輪廻転生という、夢を見ている」というべきか。
 
 
晩年の三島由紀夫は、文学仲間たちと過ごした別荘で、唯識論の話に夢中になっていた。2枚の皿を手に持って、生まれ変わりの原理を、熱く語っていた。それを見た渋澤龍彦は、「お前、それじゃアラヤシキじゃなくて、サラヤシキじゃないか」と言ったという。
 
「豊饒の海」に出てくる、「若くして死に、そのたびに生まれ変わる」という話は、三島由紀夫の理想だった。
  
それくらい、三島由紀夫は、年を取りたくなかった。彼の美的感覚からいって、年を取った人間は、それほど美しくなかったのか。
 
いや、正確にいえば、年を取った人間が美しくないというより、年を取ってから死んでも、その死は美しくなかったのだ。
  
未完成なまま死んでこそ、その死は鮮やかに光り輝く。
    
永遠に未完成の繰り返し、「同じものの永遠なる回帰」(byニーチェ)が理想だったのかもしれない。
 
まさしく、体を張って、自分の人生そのものをアートにしようとしていた・・・。
   
 
ただし、本人も、死ぬことの虚しさは知っていた。 
 
あるとき三島由紀夫は、インド旅行して、ガンジス川のほとりの火葬場を見た。そこでは、無数の死体が、ゴミ焼却場のように、黙々と焼かれていた。そこで三島は、「これが、人間の末路なのか・・・」と、なんともいえない無常観にとらわれたという。
 
そんな三島由紀夫が死んだのは、45歳。自衛隊の駐屯地で、壮烈な割腹自殺を遂げた。
 
三島にとって、45歳は、もうギリギリ、ガマンできる限界だった。40歳をすぎた頃から、「これ以上は、年を取るわけにいかない。一日も早く、死ななければ」というくらいの、奇妙な切迫感があった。それは、いろんな友人への言葉や、手紙などに表れている。
 
それ以上に年を取ってから、壮烈な死を遂げても、カッコ良くないのだった。だから、なんとしても、45歳のうちに死ぬ必要があった。

割腹して介錯された三島の無残な姿に、現場を目撃した人は、「これが、あの大作家の末路なのか・・・」と、なんともいえない無常観にとらわれたという。
 
 
筆者も、このブログを書き始めてから7年にもなり、いつのまにか、三島由紀夫が死んだのと同じくらいの年になった。まあ、人間の寿命が延び、高齢化が進んだので、昭和40年代とは、年齢に対する感覚があまりにも違うんだが・・・。
  
今では、むしろ、ここまで来たら、「いっそのこと120歳くらいまで生きてやろうか」というくらいの気持ちでいる。それなら、まだまだ先は長い。その頃までには、アンチエイジングが高度に発達して、かえって今より若返ることになるだろう。
 
以前から、「われわれが生きている間に、人類は500歳まで生きられるようになる可能性がある。ということは、あと500年近くも生きるということだ」と、周囲の人には言っている。まあ、それは冗談なんだが。

いや、本当にそうなる可能性はあるのだが、自分自身が、そんなに長く生きたくない(笑)。
 
そこまで長生きする意味はないけど、予定よりも早く死ねば、それだけ、地球での人生が中途半端なものになる。ここで、キッチリ予定を完了しておけば、あと腐れなく地球とオサラバできるというものだ・・・。
 
 
(続く)
 

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2 コメント

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Unknown (2485)
2014-06-24 22:33:02
三島の生年は覚えていませんでしたが、昭和45年に自決したことは記憶していました。
42歳だったとすると、昭和3年ごろの生まれになりますが、昭和2年生まれの北杜夫にとって先輩だったのだから、もっと早くに生まれたはずだと思い、学生時代に使っていた国語の資料集を見たら、大正14年生まれでした

アラヤ識(蔵識)に貯蔵されるヴァーサナが輪廻を繰り返すと言う説明は、2005~7年ごろに日本でもディクシャを流行させたカルキも採用していました。
ラメッシ・バルセカールの『人生を心から楽しむ』にも同様の解説がありました。
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Unknown (こっくり)
2014-06-25 13:45:34
ホントだ。確認したところ、三島由紀夫が死んだのは、45歳でした。

どういうわけか、「42歳で死んだ」と、30年以上も前から思い込んでいた・・・。早速、訂正しました。ありがとうございます。

>アラヤ識(蔵識)に貯蔵されるヴァーサナが輪廻を繰り返すと言う説明は、2005~7年ごろに日本でもディクシャを流行させたカルキも採用していました。

唯識論は、仏教哲学の最高峰なので、多くのインド人が影響を受けてます。
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