宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

中国の仙人 ~ 道教ワールド

2013年06月03日 | 東洋思想
老子には、「柔弱は剛強に勝つ」、「上善は水の如し」と書かれている。


中国の武侠モノの時代劇には、超絶的な気功の達人が当たり前のように登場する。気功パワーで建物を吹っ飛ばす武芸者とか、なんでも治す仙人じみた漢方医だ。

あるとき武芸の師匠が、弟子にたずねた。「見よ。岩の間を、水が流れている。岩と水は、どちらが強い?」。弟子は、「それはやっぱり、岩でしょう」と答えた。師匠は答えた。「いや、水だ。水は、長い間には岩をも削ってしまう」。

さすがは、武芸の師匠だ。気功パワーを駆使する達人だけあって、道教の極意をしっかり会得していた(笑)。この、「天下の至柔」である水が、「天下の至堅」である岩をうがつ・・・という話は、繰り返し語られる、老子の思想のエッセンス。


老子といえば、釈迦と並ぶ、東洋思想の二大巨頭だ。これは、欧米の精神世界関係者も一様に認めている。

老子は、道教の祖と仰がれている。ホントは直接の関係はないんだけど、道教では老子を太祖と位置づけている。

道教のキーワードは、不老長生。

とある新宗教の教祖の代表作とされる「老子」の本では、「老子が目指す不老長生というのは、この世で長生きすることではなく、あの世で永遠の生命を得ることなのです」と書かれていたが、それは例によって、老子の思想ではない。まったく、日本の新宗教にかかると、釈迦も老子も、すべて復古神道の教えを説いていたことにされてしまう(笑)。

道教の不老長生は、あの世で永遠の生命を得ることではない。この世で仙人になり、仙境で悠々自適に生きること。イマ風にいえば、この世でアセンションして、ユートピア人生を送ることを目指している。

中国の仙人がどういうものかは、上に書いたような華流時代劇を見ると、よく分かる。たいてい白髪で、髪もヒゲも長くてボサボサ、白い着物を着ている(笑)。気功の達人で、気功パワーで空も飛ぶ。遠い田舎が本拠地だけど、平気で都会にも出てくる。ただし、都会生活には関心がない。

気のパワーが強いことと、人格が円満であることとは、関係がない。仙人は、必ずしも人柄が良いとは限らず、世俗の凡人をイジメることもよくある。そして、奇人変人が多くて、自分の奇妙なコダワリのためなら、人が死んでも平気なことが多い。

封神演義の姜子牙(きょうしが)は、あるとき、殷(いん・・・三千年前に滅んだ古代王朝)の都の朝歌に出てきた。それまでは崑崙山で仙人修行してたお爺さんなのに、都でヤリ手のおばさんと結婚するハメになった。

最初は、姜子牙を「怠け者で、商売しておカネを稼ごうともしない」と不満タラタラだった妻も、姜子牙の占いが「百発百中だ」という評判になり、行列のできる占い師になったので、「これで一儲けできる」と目の色を変えた。でも、やっぱりカネ儲けに無関心な姜子牙。中国では、講談その他で昔から有名なエピソードだ。


それはともかく、不老長生の基本は、気功の養生法。

よく言われる「無為自然」というのも、単に「何もしない」という意味ではなく、「自然治癒力」を重視する、東洋医学の基本思想なのだ。

よく、医者に行かず、クスリも飲まず、「オレは、自然治癒力で病気を治すのだ」とガンバってる人がいるけど、そういうのが「無為自然」のお手本だろう。



先祖供養 ~ 儒教の原点

2013年06月03日 | 東洋思想

日本の神道は、もともと、琴師が奏でる調べに乗って、巫女が神懸かりになり、神託を告げる・・・という、シャーマニズムの世界だった。

同じように、中国の儒教も、元はといえばシャーマニズムだった。といっても、儒教の場合、「先祖供養」に大きな重点がある。古代の儒教は、儒者が屋根に上って、身ぶり手ぶりで死者の霊を招き寄せる・・・という、シャーマンの世界だった。

中国人は、インドから仏教が入ってくるまでは、基本的に「あの世」のことなど考えていなかった。

あの世を考えないのなら、何が宗教的な目標なのかというと、それは「自分が死んだ後も、末長く子孫に祀ってもらう」ということにある。このため、子孫には、先祖の霊を定期的に招き寄せる義務が生じる。そのおかげで、ご先祖さまは、いつもじゃないけど、定期的につかの間の生を楽しむことができるというワケだ。

先祖供養の延長として、親孝行も大事。儒教の宗教国家だった古代王朝の漢では、「アイツは親孝行だ」という評判な人を地域から推薦させて、役人にしていたほどだ。

このように、「親孝行で、先祖供養をマジメにやっている」というのが、中国における、感心な人の第一条件。


日本の新宗教の原点が復古神道なのと同じで、韓国人の教祖が開いた統一教会には、儒教の色が濃い。

学生時代、原理研(統一教会の学生部)のビデオセンターってとこで教義を教わったとき、「まずは、自分自身の修養により、個人を完成する。そして、家庭を完成する。さらに、それが天下国家の完成につながるのだ」と言われた。

「それって、儒教でいう『修身・斉家・治国・平天下』そのまんまじゃないの。やっぱり、日本が神道の国なのと同じで、韓国は儒教の国なんだなあ」と、しみじみ実感したものだ。

さらに、統一教会には、有名な「先祖解恩」ってものがある。これは、「迷っている先祖の霊を救済する」というもので、まさに儒教シャーマニズムの原点とも言える発想だ。最初は三代前の、ひいお爺さん世代くらいまでのご先祖さまを解恩してたのだが、信者によると、だんだんエスカレートして、「210代前までのすべての先祖を解恩する」という話になったらしい。

父母は二人。祖父母は四人。曾祖父母は八人・・・と、世代をひとつさかのぼるたびに、人数は倍になってゆく。210代前ともなると、2の210乗で、地球の人口を遥かに超える天文学的な数字になる。もちろん、ご先祖さまが増えれば増えるほど、解恩するのにおカネがかかる・・・。

日本にも、霊友会の系統を始めとして先祖供養を重視する宗派は多いけど、ここまで極端なのは、儒教の国・韓国の宗教ならではの発想だろう。極端な例ではあるものの、儒教シャーマニズムの発想を理解する上で、これほど参考になるものは他にない(笑)。


とはいうものの、「ご先祖さまの霊が迷っています。それが、アナタが不幸になっている原因ですよ」というのは、日本の霊能者の話にも、よく出てくる。これは、中国の影響が、日本にも深く根づいていることを示している。

その点、インド人は、「ご先祖さまの霊が迷っているおかげで、自分が不幸になる」とは考えない。インドは、輪廻転生の国なのだ。

「アナタが不幸なのは、前世での悪業の報い」というのが、インド式の考え方。

もっとも、これまた、「前世で積んだ悪業が、アナタが不幸な原因なんですよ」というのも、日本の霊能者からはよく聞く話だ。日本には、インドの影響も深く根づいている。

まさしく、日本こそは、あらゆる東洋思想が流れ込む終着駅と言えるだろう。


これが、アメリカ人だと、どうなるか。

アメリカ人の場合は、「アナタが不幸なのは、考え方がネガティブだから」、もしくは、「ポジティブな考え方ができていないから」ということになる。アメリカは、先祖供養でも、輪廻転生でもない。アメリカは、ポジティブ・シンキングの国なのだ。


これに対して、本ブログでは、「アナタが不幸なのは、地球という環境にナジメないのが原因」という説を提唱している。

これは、ドコの国の人の発想か?

地球のドコかではない。それは、宇宙人の発想だ(笑)。