宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

地球の短期滞在者には、エンパス体質の人が多い

2013年06月08日 | 精神世界を語る

筆者が言う「宇宙からの転生者」は、「直感が鋭くて、波動が良い」というのが特徴。

そして、地球ライフにナジメなくて苦労している人。もちろん、地球での人生は、誰にとっても楽なものではない。誰もが苦労はしてるけど、それ以前の問題として、「地球にナジメないことによる苦労」というものが大きい。

それでいて、人間としての意識の進化が、まだ始まったばかりというワケではない。そこがポイントだ。「地球での輪廻転生の経験は乏しいが、人間の意識としては、どこか他のところで異種の進化形になっている」というのが、肝腎なところ。

でもって、スピリチュアルな面には、なんらかの形で強い。その表れ方は人それぞれで、実にさまざまだけど、なんらかの形で、異質な鋭さを示すことがよくある。

ただし、霊力が強い人なら宇宙人かといったら、そういうわけでもない。地球に長期滞在して修行してきた人の、霊的なパワーは侮れない。

むしろ、厳しい地球の物質世界での過去世で、ヨガや気功や修験道や、その他もろもろの修行を積み重ねてきた人のほうが、法力は強いだろう。昔の野球マンガで言えば、「大リーグボール養成ギプス」をつけて投球練習をやってきたようなもんなんだから、そりゃ強くなるはずだ・・・。

もっとも、葦原瑞穂氏の「黎明」によると、

>短期滞在組のうち大部分は、他の恒星系から、この時期の地球における体験をするためにやってきた魂達で、そのうち大半の魂は、地球圏のアストラル・レヴェルに近い波動領域で表現を行っていたために、幽体が発達しているのが特徴です。

>このためテレパシーによる想念の伝達や、アストラル・レヴェル及びメンタル・レヴェルにおける視聴覚、植物や動物たちと会話する能力、意識的な幽体離脱等、長期滞在組の中でも、何転生にもわたってヨガの修行をしてきた人達が身につけるような潜在能力を、生まれつき持っていることがよくあります。


・・・というわけで、発達した幽体の力を、生まれつき発揮する人もいる。宇宙からの転生者は、幽体が発達しているというより、幽体で生きることに慣れ親しんできた存在で、肉体には慣れていない。

筆者は、「意識的な幽体離脱」とか、「動物と会話」とか、そういうことは出来ないけど(それにしても、かわいい鳥や獣と自在に意思疎通できるというのは、憧れの能力ではある・・・笑)、どちらかと言えば、聴覚タイプとは言えるだろう。あり得ないくらい遠くの人たちのヒソヒソ話が聞こえてきたりして、「我ながら、ときどき、妙に耳がいいな?」と思ってた。でも、誰も発してない音声も聞こえてくる。今は、クンダリニー瞑想で心の耳を強化している最中(笑)。

でも、世の中には、もっと明確にスピリチュアル能力が開発されている人が、意外と多い。ネット上はもちろん、リアルでも、そういう人たちを意外に数多く見てきた。

修行して身につけたわけでもないのに、生まれつきスピリチュアル能力が開発されている人というのは、「やはり、過去世で修行して身につけた法力の名残りなんだろうな!?」と思ってたけど、「単に、もともと幽体が発達している」という人がいたって、別におかしくない。

それ以上によくあるのは、「エンパス体質」だろう。これは、幽体が発達してるおかげで、周囲の波動を敏感に感じてしまい、すぐに影響を受けて、理由もなく落ち込んだり、舞い上がったりする人。これのおかげで、生きるのが困難になっている人は多い。またまた「黎明」から引用すると、

>幽体が発達していて、しかも自分の意志がそれを十分に支配していない人の場合ですと、周囲の人たちの想念エネルギーに無防備に同調してしまうために、雑多な波動の支配する地球上では、日常生活をする中でいろいろと面倒が生じます。

>たとえば、ごく普通の人であったとしても、不調和な波動を出している人には余り近づきたくないと感じるものですが、敏感な幽体体質の人が、このような不調和な波動の発生源に不用意に近づくと、自分の心が他人の不調和な想念にほとんど支配されてしまうようなことも起こります。

>また、誰かが何かを食べていると、自分の好みとは無関係にそれが食べたくなったり、他の人が何かをしていると、自分もそれと同じことをやってみたくなるといった傾向が、普通の人より遥かに顕著に看られますし、自分の意志とは無関係に、周囲の想念波動に肉体が反応するといった現象が生じることもあります。


最近では、こういうのが「エンパシー現象」と呼ばれ、注目されるようになってきている。それを90年代に書いていた葦原瑞穂氏は、さすがだ。

これは、霊体質の人には深刻な問題で、これが原因で健康を害した人もいるから、笑いごとではない。筆者はそこまで敏感体質じゃないと思うんだが、「黎明」によると、これは「多動性障害の原因」ということなので、実はそうなのかもしれない・・・(笑)。

いずれにしても、重度のエンパス体質は、人生を極めて生きにくくする。日本人には、特に多いと言われている。日本の社会は、伝統的に、他人に気を使うことに大きな価値を置き、それを推奨する社会だからだ。

これはやはり、瞑想によって抑えることが可能だと思われる。「見ざる、言わざる、聞かざる」で外界からのシャットアウトを目指す瞑想をしてみたら、どうだろう・・・?



ワンダラーは、意識では進化している

2013年06月08日 | ある宇宙人の人生

筆者は、「自分には、地球での過去世がない。地球での人生は、これが初めてか、あったとしても人生経験がとても少ない。どこか他の世界から紛れこんだ者なのだ」という話をすることが、よくある。

そうすると、「ドコの星の出身なんだよ?」とか、「過去世回帰のカウンセリングを受けて証明しろ」とか、食ってかかってくる人が、ときどきいる。

普通は、この「宇宙からの転生者」の話をすると、笑われるか、「妙に納得してしまう」と言われるかの、どっちかなんだが(笑)。怒りだす人もいるというのが、ネットの世界ならでは。


地球生命系においては、人は物質界で輪廻転生している。過去にどれだけ地球での生を経験してきたかは、人によって大きく異なる。この人生における時間は、一日24時間、一年365日で平等なんだけど、それ以前の人生経験を含めれば、その経験値には計り知れないほどの個人差がある。

地球で長く輪廻転生してきた土着の魂は、この、なんともキツい地球の物質世界にも、慣れてるから平気。そういう人にとって当たり前なことでも、この地球で転生した経験が浅い人にとっては、途方もなく難しかったりすることがよくある。

「地球に生まれてきたけれど、ここは、いくらなんでもキツすぎる。さっさと元の世界に帰りたい」というような、宇宙からの転生者が、ここで言う「ワンダラー」。

「私は、OO星のXXです。地球のアナタがたを救うため、メッセージを伝えに来ました」というような人は、「チャネラー」、もしくは「ウォークイン」と呼ばれ、別のタイプになる。ウォークインは、明確な目的のもと、地球人の身体に乗り移ってきた宇宙人の魂で、当然、自分がどこの誰だか知っている。上記のような、「宇宙人」と聞いて怒りだす人は、これをイメージしてるんだと思われる。

これに対して、「どこから来たかは知らないが、自分がどこか他の世界の者であることは分かる」というのが、ワンダラー。こちらは、宇宙の放浪者だ。ウォークインのような、明確な目的意識を持ったETソウルではない。早い話が、「地球にナジメない人」のこと。

「宇宙人」や「ワンダラー」と聞いてイメージするものは、人によって異なる。葦原瑞穂氏の「黎明」に出てくる、「地球の短期滞在者」という表現が、一番そのものズバリなんだけど、ちょっと長いんだよなあ(笑)。


地球の短期滞在者は、物質や肉体に関しては、不器用だし、得意ではない、

その代わり、直感や感性、観念的な面や、芸術的な面などが、大幅に発達している。その表れ方は、人によってさまざま。

筆者の場合は、それが、「精神世界を縦横無尽に探求する」ことに表れている。昔から、哲学・宗教や芸術ジャンルに関しては、一を聞いて十を知る。眼光、紙背に徹す・・・という調子なのだ。

それが実生活で役立ったのは、十代の後半の頃だろう。たとえば、高校の国語の試験では、「論語」や「老子」などが出てくる。こういうものを見て、思想の中身がすぐにピンと来るのが、なんたって特技。

歴史も同じで、精神集中すると、目の前に、地球人類の歴史の、さまざまな場面の情景が浮かんでくる。あとは、春夏秋冬の変化を思わせる、栄枯盛衰の流れをつかむことだけ。まさしく、易経ワールドだ。

それでも、高校一年のときは、あまりにも学校の成績が悪いので、親子面談でショックのあまり親が泣き出してしまったほどだった。でも、あるとき突如として成績が上がった。

あまりにも造作なく、しかも半端なく上がったため、元から秀才だった同級生が、ショックを受けて怒り出したほどだった。でも、こちらは直感だけで勝負してるんで、そういう正統派の秀才とは、もともとタイプが違ってた。特に、「このワケわかめな文章を読んで、これを書いた人が何を言いたかったのか、代わりに説明せよ」というようなのが滅法得意だった。やがて、「文系科目では全国でも屈指のレベル」と言われるまでになった。

筆者の場合、観念的な方面では、それくらい意識が発達していた。それだけの特技を、仕事や人生に役立てようと思えば、そういう道もあったと思うんだが、なぜか、経済学部に進んでビジネスマンを目指すことにした。「地球で価値ある人生経験を積むためには、社会の最前線で活躍しなければならないのだ」と、ナチュラルに思い込んでいたのだ。

そのせいで、どれだけ悪戦苦闘してきたかは、計り知れないものがある。失業・バイト・再就職を繰り返し、そのおかげで、今じゃ、こんなにいろんな業界を知ってる人間は滅多にいないんじゃないかと思うほどだ。それでも、そういう現実的な方面においては、いつまでたってもイマひとつ。地球で、最低でもあと十回は生まれ変わって経験を積まない限り、一度や二度の人生じゃ無理だろう(笑)。

その代わり、「独特の雰囲気の良さ」をホメられることが多かった。「何も考えてなさそうなところがいい」とよくホメられた。「いても、たいして役に立たないが、いなくなると、なんだか雰囲気が悪くなる」とも、よく言われてた。それが「波動の良さ」というものだろう(笑)。

動物は無邪気でかわいいけど、地球は厳しい弱肉強食ワールドだ。この環境に長く慣れ親しんできた土着の魂と違って、宇宙からの転生者は、純粋な優しさの世界の住人。そういう優しさが、オーラのように全身を包んでいる。そこが「独特の雰囲気」と言われることにつながる。

だから、人から好かれることによって、なんとか、やっていける。「地球の短期滞在者」が、この人生を乗り切るには、そこがポイントだろう。老子によれば、赤ちゃんは、虫に刺されることも、凶暴な鳥や獣に襲われることもない。だから、赤ちゃんをお手本にするのが、このエゴの世界を生き延びるコツなのだ・・・。

房中に悟りあり

2013年06月08日 | 東洋思想

「陰と陽」の世界観の根本にあるのは、「男と女が結合して、新たな生命が生まれる」という、古代人にとってはあまりに神秘的だった事実にある。他にも、太陽と月とか、昼と夜とか、植物の生長と枯死とか、いろいろあるんだけど、一番の根本なのは、やっぱり、それだ。男が陽で、女が陰。そこに発想の元があって、他はその発展形。

だから、古代人は、男女の結合に神秘を見出し、一生懸命マジメに研究していた。

このため、道教では、房中術が発達している。イマ風にいえば、「セックス・スピリチュアル」ということになるだろう。男の師匠から、女の弟子へ。女の弟子から、男の孫弟子へ・・・と交互に伝えられる秘伝。通常、洞窟の中で行うのが最も良いとされていた。中国の内陸部には、切り立った崖や、深い洞窟が多い。まさに打ってつけだったと思われる。

これは道教だけでなく、密教にもそういうところがある。平安時代、中国から秘伝の経典を持ち帰った弘法大師・空海に、比叡山の伝教大師・最澄が「経典を貸してほしい」と申し入れたところ、空海がそれを断ったため、この日本仏教史の大物2人の仲が悪くなった・・・というエピソードは有名だけど、一説には、この経典には「男女の交合」の奥義が記されていたため、誤解を恐れた空海が、見せるのを躊躇したのだという。

オウム真理教では、これを修行に取り入れていた。でも、「これは修行の一環だから」というのは、オウム真理教に限らず、宗教団体で女性信者を口説くのによく使われる口実だ。仏教系の某巨大教団でも、幹部がこれをやってたのがバレて、激怒した名誉会長に追放されたという事件があったけど、名誉会長自身、そういう風評が絶えない人。あくまでも風評であって、証拠はないらしいのだが・・・(笑)。


いずれにしても、これは筆者にとって、昔から、どうもナジミにくいテーマだ。

房中術という以前に、「男女の性」の問題は、相当な違和感を覚えてきたテーマのひとつ。といっても、筆者の場合は、「恋愛問題で悩む」なんてことの、ずっと手前にあるレベルで、「そもそも、地球的な男女関係そのものにナジメない」という面が確かにあった。

もっとも、かつての筆者は、「ボーッとしてるけど、顔で持っている」という定評があり、女の子にはかわいがられていた。でも、なぜか、いつまでたっても「女性とお付き合いしたことないの?」と言われるほど、ずっと恋愛初心者のレベルにとどまってた。「宇宙人みたいだけど、楽しいからいい」と、そこが逆に好評だった面もあるから、まあいいか・・・(笑)。

余談だけど、ある自閉症の専門家の話によると、発達障害ぎみな人には、「子供の頃は、人形みたいに顔立ちが整ってる人が少なくない」ということだ。筆者も、それに該当するのかもしれない。

少年の頃の美輪明宏やクリシュナムルティは、おそらく、その極致と言えるだろう。美輪明宏少年は、三島由紀夫に「悪魔的な美しさ」とまで評された。クリシュナムルティをインドから連れ帰ったリードビーター師は、「美少年趣味」と陰口をたたかれた。おそらく、釈迦もそうだったんじゃないかと思われる。その「人形みたいに整った顔立ち」は、長くは続かないのだが、「年を取ると、今度は、味のある賢者みたいな風貌になる人がよくいる」と、発達障害の専門家は書いていた。


それにしても、スピリチュアル界には、恋愛相談のプロが大勢いるのだから、教えを乞いたいところではある。

とはいうものの、学生の頃、試しにタロットカードで恋愛問題の占いをやってみたら、ズバズバ的中して、怖いくらいだったことがある。

人間、「自分には向いていない」と思い込んでたことが、実は隠れた才能だったりすることも、よくあるわけで、実は「恋愛タロット占い」に向いてたのかもしれない・・・(笑)。

胡蝶の夢

2013年06月08日 | 東洋思想

ブログを読んだ方から、メールをいただいた。

「老子に、『夢の中の蝶』の話があったはずだけど、探しても見つかりません」というお話。

例によって、技術的な問題で返信できなかったけど(笑)、それは多分、老子じゃなくて、かの有名な荘子の「胡蝶の夢」じゃないかと思います。

筆者も、これが大好きで、昔から暗誦してる一節。


>昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。

自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。

俄然として覚むれば、則ち蘧々然(きょきょぜん)として周なり。

知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。

周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。



>あるとき、荘周(・・・荘子自身のこと)は、夢の中でチョウになった。チョウになって、ヒラヒラと飛んでいた。

われながら、楽しくて、満足感でイッパイだった。ホントは荘周だってことなんか、まるきり念頭になかった。

ハッとして目が覚めると、自分はなんと、荘周ではないか!!
 
でも、荘周が夢の中でチョウになってたのか? それとも、ホントはチョウなのに、夢の中で荘周になってるのか?

どっちが本当なのか、分かんないぞ。
 
荘周とチョウは、たしかに、形の上では区別があるはずだ。こういうのを、「物化」(物の変化)という。


・・・筆者もよく夢の中で空を飛ぶ。蝶や鳥になれたら、荘子みたいでカッコいいのだが、さすがにそこまではいかない(笑)。

そんなときは、空中に浮かぶのが当たり前に思えて、なぜ他人は空中浮揚できないのか、不思議で仕方ない。

毎回、目を覚ますと、空に浮かばない自分に気づいて、ガク然とする。「うわ、体が重い。浮かび上がれない。なんだ、コレは!?」とショックを受け、しばらくして、これが自分の通常の状態だったことを思い出す・・・。

この「胡蝶の夢」は、哲学の論理みたいに扱われることが多いけど、精神世界関係者が見れば、「スピリチュアル体験記」そのものだ。胡蝶の夢は、よほどリアルな霊夢だったのだろう。