← テオティワカンのピラミッド (メキシコ)
アステカ帝国の首都テノチティトラン(現:メキシコ・シティー)の郊外に、かの有名な「テオティワカンのピラミッド」がある。
テオティワカンには、「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」と呼ばれる、巨大な2つのピラミッドがある。さらに、もっと小さな3番目のピラミッドもあり、こちらは「ケツァルコアトルのピラミッド」と呼ばれている。
かつては日本の古墳と同様、草木に包まれた丘のように見えていた。だが、それは世を忍ぶ仮の姿だった。実は、エジプトのピラミッドと同じような、巨大な四角錐の建造物だったのだ。
アステカ帝国の人たちにとっても、気が遠くなるほど太古の遺跡。いつ頃これが作られたのかといえば、諸説あるらしいのだが、シッチンによると「紀元前1400年」(今から3400年ほど昔)というのが、学界での定説になっているという。ただし、この地の遺跡そのものは、「今から六千年も前に始まった」という話もあるらしい。シッチン自身も、「この地の文明そのものは、もっと古いんじゃないか」と思っているようだ。
「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」には、メソポタミア文明のジッグラト (大神殿) のような階段がついている。かの有名なエジプト・ギザの巨大ピラミッドとは異なり、巨石を切り出して積み上げたものではなく、主に日干し煉瓦と小石や砂利で建てられている。その上、「王の間」だの、「声が共鳴する廊下」だのといった、複雑な内部構造を持っているわけでもない。高さも、半分くらいしかない。にもかかわらず、シッチンによれば、テオティワカンのピラミッドは、ギザの大ピラミッドと、驚くほどの共通点を持っているという。
← ギザの大ピラミッド (エジプト)
ギザの大ピラミッドも、2つの巨大なピラミッドと、もうひとつの小さなピラミッドからできているのだが、大きい方は、2つとも人工的な高台の上に建っている。それぞれ建物の高さは違うけど、頂点の海抜高度は、ほぼ一致するようにできているという。つまり、地面が小高い丘になっているところでは、その分、ピラミッドの高さをちょっと低くする。地面が低いところでは、その分、ピラミッドをちょっと高くする。そうやって、頂点の高さがピタッとそろうようになっているというのだから、なんとも芸が細かい。東京に例えれば、丸の内よりも新宿の方が地面の標高が高い分、丸の内に高いビルを建て、新宿に低いビルを建てることにより、「屋上の高さをそろえました」というようなものだろう。なんで、そうまでして海面からの高さ (言い換えれば、宇宙から見たときの高さ) を、そろえなきゃいけなかったのか・・・。
驚くべきことに、この頂点の高さのそろえ方は、テオティワカンにある2つの巨大ピラミッドの間にも、そっくりあてはまるという。
さらに、ギザとテオティワカンの両ピラミッドは、大西洋を隔てて遠く離れているにもかかわらず、建ぺい面積のサイズは、ほぼ同じ。つまり、地面と接している底辺の四角形の寸法が、ほとんど変わらないらしい。ギザは一辺754フィート、テオティワカンは一辺745フィートだというから、確かに偶然とは思えないくらい似ている。
シッチンによれば、テオティワカンのピラミッドは、ギザの大ピラミッドだけではなく、エジプトでピラミッドが造られ始めた初期のものとされる、「ジョセル王のピラミッド」とも数々の共通点を持っている。これは、ギザのものとは異なり、六段に分かれた段階式になっている。そして、壁面の傾斜角が「43.5度」となっており、これはなんと、テオティワカンのピラミッドの傾斜角と一致しているというのだ。
← ジョセル王の階段ピラミッド (エジプト)
しかも、これらすべてのピラミッドに共通する、もうひとつの特徴がある。それは、「地中深くへと続く、地下階段がある」ということ。やはり、両者とも、「上にある如く、下も然り」という格言の通りに造られているのだろうか!?
そんなこんなで、シッチンによれば、とても偶然とは思われないほどの共通点を持つ、エジプト文明とマヤ文明のピラミッド。ゼカリア・シッチンは、そこに、太古の昔における、中東と中米の交流を見る。現代のわれわれが想像する以上に、この両者は影響を与え合っていたというのだ。というより、「大西洋の東側と西側の両方に文明をもたらした、人類共通の指導者」の姿をそこに見ている。
メキシコには、マヤ文明の先住民が残した階段ピラミッドが、たくさんある。その中でも、美しい姿で名高いのは、「チチェン・イツアーのピラミッド」だろう。チチェン・イツアーの遺跡といえば、ハンドボールに似た(?)スポーツをしている姿が彫られた、レリーフでも有名だ。なんと、どちらかのチームの選手が、首を斬られている図柄も描かれている。このため、「このスポーツは真剣勝負であり、負けた方の選手は、斬首されて神に捧げるイケニエになった」と考えられている。これには、ワールドカップの代表も真っ青でしょうな・・・(怖)。
← チチェン・イツアーのピラミッド (メキシコ)
ちなみに、考古学界の通説では、5000年近く前のエジプトで「ジョセル王のピラミッド」のような階段型のピラミッドが造られ始め、そこで技術が蓄積された後、4500年くらい前の「エジプト古王国」の最盛期において、巨大なギザの大ピラミッドが建造されたとされている。マヤのピラミッドは、それより1000年も後にできたものだ。
でも、周知のとおり、一般にチャネリングの世界では、そうなっていません(笑)。チャネリング関係者には、「ギザの大ピラミッドは、大勢の人間がエッチラオッチラ、巨石を引っ張って運んで積み上げたものなのだ」と考えている人など、滅多にいない。「高度な文明を持つ宇宙人の関与により、なんらかの特殊な方法で造られた」というのが、チャネリング界の通説と言えるだろう。
シッチンも、そう考えているようだ。シッチンの考えでは、まず、いつ頃なのか分からないほどの太古の昔に、宇宙人の関与によって造られた「ギザの大ピラミッド」という理想的なお手本があった。それを見て憧れた地球人たちが、「ジョセル王のピラミッド」や、「テオティワカンの太陽と月のピラミッド」といった、もっと原始的なピラミッドを、見よう見マネで造った・・・といったところが真相であるらしい。
アースチェンジ情報の宝庫 →
アステカ帝国の首都テノチティトラン(現:メキシコ・シティー)の郊外に、かの有名な「テオティワカンのピラミッド」がある。
テオティワカンには、「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」と呼ばれる、巨大な2つのピラミッドがある。さらに、もっと小さな3番目のピラミッドもあり、こちらは「ケツァルコアトルのピラミッド」と呼ばれている。
かつては日本の古墳と同様、草木に包まれた丘のように見えていた。だが、それは世を忍ぶ仮の姿だった。実は、エジプトのピラミッドと同じような、巨大な四角錐の建造物だったのだ。
アステカ帝国の人たちにとっても、気が遠くなるほど太古の遺跡。いつ頃これが作られたのかといえば、諸説あるらしいのだが、シッチンによると「紀元前1400年」(今から3400年ほど昔)というのが、学界での定説になっているという。ただし、この地の遺跡そのものは、「今から六千年も前に始まった」という話もあるらしい。シッチン自身も、「この地の文明そのものは、もっと古いんじゃないか」と思っているようだ。
「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」には、メソポタミア文明のジッグラト (大神殿) のような階段がついている。かの有名なエジプト・ギザの巨大ピラミッドとは異なり、巨石を切り出して積み上げたものではなく、主に日干し煉瓦と小石や砂利で建てられている。その上、「王の間」だの、「声が共鳴する廊下」だのといった、複雑な内部構造を持っているわけでもない。高さも、半分くらいしかない。にもかかわらず、シッチンによれば、テオティワカンのピラミッドは、ギザの大ピラミッドと、驚くほどの共通点を持っているという。
← ギザの大ピラミッド (エジプト)
ギザの大ピラミッドも、2つの巨大なピラミッドと、もうひとつの小さなピラミッドからできているのだが、大きい方は、2つとも人工的な高台の上に建っている。それぞれ建物の高さは違うけど、頂点の海抜高度は、ほぼ一致するようにできているという。つまり、地面が小高い丘になっているところでは、その分、ピラミッドの高さをちょっと低くする。地面が低いところでは、その分、ピラミッドをちょっと高くする。そうやって、頂点の高さがピタッとそろうようになっているというのだから、なんとも芸が細かい。東京に例えれば、丸の内よりも新宿の方が地面の標高が高い分、丸の内に高いビルを建て、新宿に低いビルを建てることにより、「屋上の高さをそろえました」というようなものだろう。なんで、そうまでして海面からの高さ (言い換えれば、宇宙から見たときの高さ) を、そろえなきゃいけなかったのか・・・。
驚くべきことに、この頂点の高さのそろえ方は、テオティワカンにある2つの巨大ピラミッドの間にも、そっくりあてはまるという。
さらに、ギザとテオティワカンの両ピラミッドは、大西洋を隔てて遠く離れているにもかかわらず、建ぺい面積のサイズは、ほぼ同じ。つまり、地面と接している底辺の四角形の寸法が、ほとんど変わらないらしい。ギザは一辺754フィート、テオティワカンは一辺745フィートだというから、確かに偶然とは思えないくらい似ている。
シッチンによれば、テオティワカンのピラミッドは、ギザの大ピラミッドだけではなく、エジプトでピラミッドが造られ始めた初期のものとされる、「ジョセル王のピラミッド」とも数々の共通点を持っている。これは、ギザのものとは異なり、六段に分かれた段階式になっている。そして、壁面の傾斜角が「43.5度」となっており、これはなんと、テオティワカンのピラミッドの傾斜角と一致しているというのだ。
← ジョセル王の階段ピラミッド (エジプト)
しかも、これらすべてのピラミッドに共通する、もうひとつの特徴がある。それは、「地中深くへと続く、地下階段がある」ということ。やはり、両者とも、「上にある如く、下も然り」という格言の通りに造られているのだろうか!?
そんなこんなで、シッチンによれば、とても偶然とは思われないほどの共通点を持つ、エジプト文明とマヤ文明のピラミッド。ゼカリア・シッチンは、そこに、太古の昔における、中東と中米の交流を見る。現代のわれわれが想像する以上に、この両者は影響を与え合っていたというのだ。というより、「大西洋の東側と西側の両方に文明をもたらした、人類共通の指導者」の姿をそこに見ている。
メキシコには、マヤ文明の先住民が残した階段ピラミッドが、たくさんある。その中でも、美しい姿で名高いのは、「チチェン・イツアーのピラミッド」だろう。チチェン・イツアーの遺跡といえば、ハンドボールに似た(?)スポーツをしている姿が彫られた、レリーフでも有名だ。なんと、どちらかのチームの選手が、首を斬られている図柄も描かれている。このため、「このスポーツは真剣勝負であり、負けた方の選手は、斬首されて神に捧げるイケニエになった」と考えられている。これには、ワールドカップの代表も真っ青でしょうな・・・(怖)。
← チチェン・イツアーのピラミッド (メキシコ)
ちなみに、考古学界の通説では、5000年近く前のエジプトで「ジョセル王のピラミッド」のような階段型のピラミッドが造られ始め、そこで技術が蓄積された後、4500年くらい前の「エジプト古王国」の最盛期において、巨大なギザの大ピラミッドが建造されたとされている。マヤのピラミッドは、それより1000年も後にできたものだ。
でも、周知のとおり、一般にチャネリングの世界では、そうなっていません(笑)。チャネリング関係者には、「ギザの大ピラミッドは、大勢の人間がエッチラオッチラ、巨石を引っ張って運んで積み上げたものなのだ」と考えている人など、滅多にいない。「高度な文明を持つ宇宙人の関与により、なんらかの特殊な方法で造られた」というのが、チャネリング界の通説と言えるだろう。
シッチンも、そう考えているようだ。シッチンの考えでは、まず、いつ頃なのか分からないほどの太古の昔に、宇宙人の関与によって造られた「ギザの大ピラミッド」という理想的なお手本があった。それを見て憧れた地球人たちが、「ジョセル王のピラミッド」や、「テオティワカンの太陽と月のピラミッド」といった、もっと原始的なピラミッドを、見よう見マネで造った・・・といったところが真相であるらしい。
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