谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

正覚寺(八千代八福神)へ行きました

2010年03月11日 14時51分40秒 | Weblog
 3月11日(木)我が八千代、久しぶりの快晴です。
 今朝、我が散歩道から富士山が見えました。そして、コブシの花がちらほら咲き始めました。下は、先程撮影した散歩道のコブシの花です。


さて本題です。
 3月3日梅を見に八千代八福神のお寺正覚寺(八千代市村上1530-1)へ行きました。本堂です。


 釈迦堂です。
 皆さんが選んだ八千代ふるさと50景 正覚院「釈迦堂、花祭り句碑」 の案内板がありました。釈迦堂は、50景のNO25です。
 正覚院は、1156年頃の建立とも記してありました。


 花まつり句碑です。50景のNO26です。
 句碑には     
      一雨後の 松の香り立ちて 仏生会  眸
 と記されていました。(句碑の文字は、読みづらいので間違いがあるかも・・・)
 裏面に岡本 眸先生句碑と記されていました。


 正覚院で撮ったミツマタと紅梅・白梅です。

 八千代八福神の毘沙門天王です。八福神めぐりの朱印スタンプを貼り付けました。
 釈迦堂に置いてありました。


 鴨鴛塚鐘楼です。
 鴨鴛塚について調べ、おしどり伝説を知りました。3月8日にも、ブログ用写真を撮りに行きました。 おしどり寺とも呼ばれているそうです。
 次の句は、鴨鴛塚の裏面に彫られていました。 
       日くるれば誘いしものを阿蘇沼の
          まこもかくれの一人寝ぞうき
 おしどり伝説(概要)
 その昔、平入道真円という男が、猟をし阿蘇沼で1羽のおしどりを射殺した。その夜美女が現れ「私の夫を殺した」といい、上記詩を詠んで去った。夜が明けてから見ると嘴を合わせて雄雌のおしどりが死んでいた。
 哀れに思った平入道真円は出家し、菩提を弔うため鴨鴛寺正覚院を建立した。

 ところが阿蘇沼にはそれ以来片葉の葦が生えるようになり、哀れんだ村人が建立したのが片葉の弁財天こと阿蘇沼片葉葭厳島神社です。正覚院のすぐ前にあります。
 片葉の葦(葭)は、今も印旛新川にもあるようです。


 吉橋大師講八十八ヶ所(新四国八十八箇所)の第七十三番札所の大師堂もあります。


 お寺の入り口のお地蔵様です。


 今年の正覚院花祭りは、4月4日(日)です。
 この日には、正覚院近くの八千代総合運動公園多目的広場で源右衛門祭(10時~15時)が同時開催されます。染谷源右衛門は、最初に新川の開削をした人です。
 2メートルの源右衛門鍋でとん汁を作るそうです。
 新川の一斉清掃も行なわれます。
 清掃で汗をながし ~ とん汁をいただき ~ 花まつりの正覚院へお参りし、春の一日を過ごされるのは如何でしょうか。

コメント
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