ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

 成人した娘達の58%は「母は重たいと感じている」事実

2014年07月24日 | えっせー
☆ 娘にも思われたくないし、自分もそう思ったことはない 
 昨日のNHKの「あさいち」で、そのことについて放映されていたが、私も
心理カウンセラーとして、生育時の母親がぞの人の一生を左右するほど影響が強い
と認識していたが、これほどのパーセンテージとはと、実は大変驚いた。
 母と娘との関わりが「重たい」と思われるのは、大変淋しいことだと思うし、もし
それが一生続くのだとしたら大変問題だが、それを解決するのは難しいかも知れない。
 私は継母に育てられた。でも、そんな気持ちは一度も持ったことはなかったが
「みつごの魂百まで」と言われるように、人見知りが始まる7か月の乳児の頃、突然
いなくなった母を潜在意識はハッキリ覚えているようだ。
 それが私の人格形成に顕著に影響している。そのため、自分自身が解明したくて
心理学にのめり込み、いろいろ学びながら「人の心の奥底の不可解さや、魅力に
魅かれ」心理カウンセラーになったのだと思う。
 ☆ 自分が辛いことは子供達には決してしなかった
 今で言えば継母は物凄い「教育ママ」だった。いつも言われるのは「勉強が一番」
で、小学生の時は成績が下がると、母に叱られるのが怖くて、なかなか家に帰れ
なかった。それは子供心に大変辛かったのは、今でもハッキリ覚えている。
 「怒られ過ぎ」と「可愛がり過ぎ」の信じられないような両極端で育てられたが
天性の明るさと、天真爛漫な性格のためか、愛されて育ったようで、そのため私自身
は、比較的素直な性格になったのかも知れない。
 私は二人の子育てをしたが、自分が継母に育てられ、嫌やだったと思ったことは
一切子供達にはしなかったから、成績の事も、勉強しなさいとも、ほとんど言った
記憶はない。厳しくしつけたのは、時間、責任感、あいさつなど、人間として常識的
に生きていくための欠かせない基本だった。
 もともと幼形成熟の私なので、子供達は母親としては、幼すぎる私を二人ともバカに
していたようだが、それは母として実に癪に触った。
 でもそれを素直に受け入れざるを得なかった、私の日常の言動は事実で、もしかした
らそれも幸いしていたのかも知れない。
 ☆ 我が家の親子関係
 そのためか、我が家の親子関係は、かなりスムーズだと思っている。
今日も4階に住む息子の奥さんが「今日は私がパパとママのお昼と夕食をつくる」
と言ってくれたそうだが、私は「有難う、でも大丈夫、パパに手伝ってもらってできる
から」と断った。昨日も怪我をした私に、娘はすぐに飛んできて付き添ってくれたし
右手で箸が持てない私に、夫は「そういう時は竹のフォークが良い」と言った。
 すると、新宿のデパートで見つけて買ってきてくれ、ついでに手が使えない私のため
に昼食を作ってくれた。早速その竹のフォークを使ったが、とても上手に食べられ嬉し
かったし、娘のやさしさが、私の心にフワーッと広がり、とても幸せな気分になれた。
 ☆両親として望むこと 
 子供達は私が望んでこの世に生を受けたから、いつまでも幸せな人生を送って欲
しい思っている。私達夫婦は教育には意見が一致し、だんだん成長するにつれて
将来についても、日常生活についても、干渉、小言、お説教などしたことは全然
なく、子供達の自主性を重んじてきたと思う。
 だんだん老いていく私達だけれど、経済的にも、日常的にも、できるだけ子供
達に迷惑かけずに、自立してこれからも暮らしていきたいと考えている。
 間違っても、「両親の存在は重たい」などと思われないように…
 ※ とても食べやすかった「竹のフォーク」
  

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