ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

悪い母だった私

2016年06月11日 | えっせー
 先日娘と息子と3人で飲んだが、昔話になり子供達は「ママの料理
とても美味しかった」と言ってくれ嬉しかったが、その後がいけな
かった。私達夫婦は幼い子供達に留守番させて、同じ敷地に住んで
いた夫の両親や兄弟達に隠れて、週に3回も二人で社交ダンスの
レッスンに通っていた。子供たちを寝かしつけてから出かけたが
子供達はなかなか寝なかったようだ。
 「時々ママ達がいないので淋しかった、弟が寝てしまうと余計
淋しくて、いつも電車の音を聞いていて、駅に電車が止まるとママ
達が帰ってくるかと思って耳をすましていた」と娘が言った。
 今までそんな話は聞いたことがなかったが、今更ながら娘に淋し
い思いをさせていたのだと痛感した。

 その頃私は、「早く30歳になりたい。そうすれば子供達が少し
大きくなるから、何かを始めたい」と絶えず思っていたのだが、それ
が待ち切れなかった。夫をそそのかし、高校時代から踊っていた
ダンスを再び始めたのは、娘が小1で息子は幼稚園へ入った年だった。
 今考えると本当に悪い両親だったが、そのため今でも3歳違いの姉と
弟は仲が良いのだと思う。多分2時間足らずの留守だったと思うが
子供達には随分淋しい思いをさせて、悪い両親だったと改めて感じた。
 6年間踊って、思いがけず私は教師試験を受け、ダンス教師に
なってから運命が変わった。
 
 自営業でいつも父親が家にいたし、夫はとても家庭的な人で
毎回食事も一緒にしたし、娘が赤ちゃんの時から、一年に二回の
家族旅行は必ず欠かさなかった。娘は結婚する時「楽しい思い出が
沢山あるから幸せだ」と言ったのは忘れない。
 あれから長年が流れ、幼かった子供達も早やスッカリ中年になり
私達両親も随分年を取った。幼い頃淋しい思いをさせたが、娘は
スープの冷めない距離に、息子は我が家の4階に住んでいる。
 迷惑をかけないようにしているが、やはり子供達が傍にいて
くれるだけで、精神的は随分頼りになるのは、母として有難いと
思っている。
 

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