ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

「国際ヨーガの日」に際して

2015年06月22日 | えっせー
 ☆ ヨーガ発生の地インドでのイベント
 「国際ヨーガの日」は6月22日で、インドのニューデリーでは、3万
5千人がヨーガを行うイベントをやっていたが、それは圧巻だった。
 さらに世界190カ国以上が、ヨーガのイベントをやったそうだが、ヨーガ
は今では世界中の行事になったと、私は感慨深かった。
 また懐かしいヨーガやヒンズーの聖地リシケシの映像が流れ、ビートルズ
が行って有名になった「シバナンダ、アシュラム」も映し出された。
 私はヨーガの指導をしてから40年以上過ぎたが、もしもダンス教師だけ
でいたら、多分今頃はこの世に存在していないと思うのも実感だ。
 2010年5月から、自分がインドでヨーガの修行したこと20回に
わたり書いたが、それらを手直ししながら、もう一度投稿したいと思った。

 ☆初めてのインドへ旅立つ朝の不思議な体験 1
 初めてめて私がインドへ行ったのはアシスタントが育ち、教室を留守
にしても良い体制になってからですが、それは1978年の12月のこと
でした。指導者として本場インドの道場で学んだり、見学することの必要性
を強く感じたからです。でも(生まれて初めて行く外国がインドなんて)と
思いながらも、催眠法を指導を受け、さられにヨーガ教室も経営していた先生
が企画した「インドヨーガ研修ツアー」に、内心嫌々参加したのです。
 ※ニューデリーの道場で
 

その日の早朝家族四人で食卓を囲み、初めてインドへ旅立つわたしを励ま
してくれました。その朝は今までときときどき家の中で、私は霊感がある
訳ではないのですが、いつも秘密で見ていた守護霊様?(それはユーミンの
大きなポスターの、黒く広い部分に見えた)を見たいと娘に言うと、その
大きなポスターを広げて張ってくれました。
 ※ベナレスガンジス河の沐浴風景
 
すると大変不思議なことに、そこにはいつもの細面の鼻が高い男性ではなく
丸顔でパーマをかけた女性だったのです。
私は大変驚き、それはもしかして、たった一度しか会えなかった、亡くなった
生母ではないかと思いました。その見え方は、丁度白黒写真のネガのよ
うな感じですが、決して鮮明ではありません。でも、私にはその顔がハッキリ
見えたのでが、その黒地のポスターを、指でなぞりながら、「ここは顔の輪郭で
頭はここ、目、鼻」などと説明しても、家族にはまったく見えないようでした。
 多分これは旅立ちの朝に、きっと実母がわたしを励ますために見えたのでは
ないかと思いました。たった一度だけでしたが、不思議な経験でした。
 ※ タージマハール前で記念撮影

※インドの街の様子

 

命の長さの選択

2015年06月22日 | えっせー
 5月に喉頭ガンで亡くなった兄の納骨式を一昨日した。
兄は83歳になってすぐに前立腺のガンが分かり、手術をしたが、それが
転移して喉頭ガンになった。喉が痛くて水も飲めない状態になって、病院
から「胃ろう」を勧められ、私は甥からそれについての相談を受けた。
 以前から「胃ろう」の手術を受けた人の大変さを聞いていたので、「それは
延命治療だし、後がとても大変らしいので、私は賛成はできない」と返事
をした。それから、以前友人から借りて読んで大変感銘し、早速買った

「穏やかな死に医療はいらない」満田緑平著 (朝日新書)を「これを読
んでみて」と、すぐに宅急便で送った。それを聞いて私は兄を病院に見舞
ったが、点滴注射をしているためか以外と元気で「82歳まではとても
元気だったんだけど、83歳になった途端に、色々なガンになった。喉が
痛くてもう水も飲めないんだ」と言うわりにはよくおしゃべりをして
まだ体も痩せてはいなかった。

 その後家族でいろいろ話し合ったようだが、結局「胃ろう」は行わずに
すぐにホスピスに入った。二度目に見舞った時には、すっかり痩せていて
意識も混濁していたようだが、目を開けて私達家族はしっかり分かったようだ。
 少し話をしたけれど、また再び目を閉じたが、私はこれが兄とのお別れだと
思った。「口からものが食べられなければ、生きている証しではないし、楽しく
はないはず」と私は思い、兄の延命処置に反対した。
 でも「これで良かったのだ」と思ったが、そんなことは何も知らなかった
甥夫婦も感謝してくれたようだ。

 兄は元の家族が全員亡くなって、他人から見ると大変壮絶に思えた人生
だったが、でも、再婚して息子二人生まれ、脳梗塞で倒れた妻とも円満で
その長男のやさしい妻、可愛いい盛りの孫達に囲まれて、平和に暮らして
いたようだ。また、亡くなった娘や息子の子供達(男二人、女二人)にも
見送られて旅立ったが、きっと満足できる人生だったと思った。
 自分で命の長さを選択した兄は、きっと幸せだったのだろう。
無論私もそんな岐路に立ったら、延命治療は一切しないで、自分の命の長さ
は自分で決めたいと、大分以前から家族に遺書も書いてある。

 ◆ご紹介した本は大変よい本ですので、興味のある方には、ぜひ推薦
  したいと思っています。


人気ブログランキングに参加しました

人気ブログランキングへ