☆ ヨーガニケタン・アシュラムに滞在して
バスでこれから観光旅行に行く仲間を見おくって、私達3人は
「ヨガ二ケタン」に移動しました。
※ 一緒に行ったヨーガ指導者達(チベット寺院で)
※ リシケシに残った3人
そこはかなり高い山の上でしたが、友達になった男の子たちが上
まで荷物を運んでくれました。そのアシュラムは荘厳で宗教色の強い
シバナンダ・アシュラムとはまったく感じが違い、とてもやさしい
雰囲気でした。ガンジス河が一望できる、山の上は素晴らしい環境で
私はそこに入った瞬間、心が洗われるような感動を受けました。
なだらかな雑木林の中に白い宿舎が点在し、メディテーション・ホールの
前には、美しい花が咲き乱れていました。東洋人は私達だけでしたが、私達は
そのコテージの一つに滞在しましたが、そこには粗末なベッドと、清潔な洗面
所、水洗トイレなどが設置されていました。
滞在している人の多くは、ヨーロッパ系の白人男性が多いようで、2か月
とか3カ月長期滞在しているようで、彼らは1週間しか滞在できない私達に
大変驚いていました。
※ 林の中に点在するコテージ
※キレイなお花が沢山咲いていました。
山の上にあるそのアシュラムは、とてもアットホームで、食事は日本の
縁側のような明るく穏やかな雰囲気で、前のアシュラムとはまったく違って
大変和やかでした。スプーンやホークや箸を使っても、自由でしたが、私達
が箸を使うのが珍しいらしく、一緒に食事する全員が、面白そうに見つめて
いました。ここではとてもリラックスして、楽しい気分で食事ができました。
※ 和やかな食事風景
☆ リシケシでの生活
修行は朝と夕方だけで、食事も二食でしたので、昼間はよく定期馬車に
乗って街に出て買い物をしたり、食事もしたりしました。
リシケシは聖地のため、アルコールや、動物の肉や魚などはまったく
ないそうで、タンパク質は豆類と乳製品だけでした。
でもとてものどかなのんびりした田舎町で、物乞いなどほとんどいません
でした。街には果物やヨーグルトや、クッキーなど、またお菓子も沢山種類
があり、神経質なわたしですが、その頃にはリシケシにすっかり馴れて、彼女
達と同じように、何でも食べられるようになっていました。
郵便局もありましたので、そこから、日本へスケジュールが変ったことに
ついての手紙を出しましたが、なかなか届かずに、私が帰国してから自分
でそれを受け取り笑ってしいました。
※対岸へは渡し船で行きましたが、何時もこんな満員ではありません。
※ 街へは馬車で行きました
お土産物や、茶店もたくさんあり、結構面白かったですが、昼間は春の
ように暖かく、菜の花が咲いていて、のどかでどこか日本ととてもよく似た
風景で、一瞬日本にいるよう錯覚さえ起きるほどでした。
私達は毎日のようにガンジス河に出かけ、川の流れの音を聞いたり、小鳥
のさえずりを聴いたり、対岸に渡り、アシュラムとか、公園などを探検
したりして楽しい時を過ごしました。
※キレイなガンジス河
バスでこれから観光旅行に行く仲間を見おくって、私達3人は
「ヨガ二ケタン」に移動しました。
※ 一緒に行ったヨーガ指導者達(チベット寺院で)
※ リシケシに残った3人
そこはかなり高い山の上でしたが、友達になった男の子たちが上
まで荷物を運んでくれました。そのアシュラムは荘厳で宗教色の強い
シバナンダ・アシュラムとはまったく感じが違い、とてもやさしい
雰囲気でした。ガンジス河が一望できる、山の上は素晴らしい環境で
私はそこに入った瞬間、心が洗われるような感動を受けました。
なだらかな雑木林の中に白い宿舎が点在し、メディテーション・ホールの
前には、美しい花が咲き乱れていました。東洋人は私達だけでしたが、私達は
そのコテージの一つに滞在しましたが、そこには粗末なベッドと、清潔な洗面
所、水洗トイレなどが設置されていました。
滞在している人の多くは、ヨーロッパ系の白人男性が多いようで、2か月
とか3カ月長期滞在しているようで、彼らは1週間しか滞在できない私達に
大変驚いていました。
※ 林の中に点在するコテージ
※キレイなお花が沢山咲いていました。
山の上にあるそのアシュラムは、とてもアットホームで、食事は日本の
縁側のような明るく穏やかな雰囲気で、前のアシュラムとはまったく違って
大変和やかでした。スプーンやホークや箸を使っても、自由でしたが、私達
が箸を使うのが珍しいらしく、一緒に食事する全員が、面白そうに見つめて
いました。ここではとてもリラックスして、楽しい気分で食事ができました。
※ 和やかな食事風景
☆ リシケシでの生活
修行は朝と夕方だけで、食事も二食でしたので、昼間はよく定期馬車に
乗って街に出て買い物をしたり、食事もしたりしました。
リシケシは聖地のため、アルコールや、動物の肉や魚などはまったく
ないそうで、タンパク質は豆類と乳製品だけでした。
でもとてものどかなのんびりした田舎町で、物乞いなどほとんどいません
でした。街には果物やヨーグルトや、クッキーなど、またお菓子も沢山種類
があり、神経質なわたしですが、その頃にはリシケシにすっかり馴れて、彼女
達と同じように、何でも食べられるようになっていました。
郵便局もありましたので、そこから、日本へスケジュールが変ったことに
ついての手紙を出しましたが、なかなか届かずに、私が帰国してから自分
でそれを受け取り笑ってしいました。
※対岸へは渡し船で行きましたが、何時もこんな満員ではありません。
※ 街へは馬車で行きました
お土産物や、茶店もたくさんあり、結構面白かったですが、昼間は春の
ように暖かく、菜の花が咲いていて、のどかでどこか日本ととてもよく似た
風景で、一瞬日本にいるよう錯覚さえ起きるほどでした。
私達は毎日のようにガンジス河に出かけ、川の流れの音を聞いたり、小鳥
のさえずりを聴いたり、対岸に渡り、アシュラムとか、公園などを探検
したりして楽しい時を過ごしました。
※キレイなガンジス河