ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

インドと私 5

2015年06月27日 | えっせー
 ☆ ヨーガニケタン・アシュラムに滞在して
 バスでこれから観光旅行に行く仲間を見おくって、私達3人は
「ヨガ二ケタン」に移動しました。
 ※ 一緒に行ったヨーガ指導者達(チベット寺院で)
   
 ※ リシケシに残った3人
 
 そこはかなり高い山の上でしたが、友達になった男の子たちが上
まで荷物を運んでくれました。そのアシュラムは荘厳で宗教色の強い
シバナンダ・アシュラムとはまったく感じが違い、とてもやさしい
雰囲気でした。ガンジス河が一望できる、山の上は素晴らしい環境で
私はそこに入った瞬間、心が洗われるような感動を受けました。
 なだらかな雑木林の中に白い宿舎が点在し、メディテーション・ホールの
前には、美しい花が咲き乱れていました。東洋人は私達だけでしたが、私達は
そのコテージの一つに滞在しましたが、そこには粗末なベッドと、清潔な洗面
所、水洗トイレなどが設置されていました。
 滞在している人の多くは、ヨーロッパ系の白人男性が多いようで、2か月
とか3カ月長期滞在しているようで、彼らは1週間しか滞在できない私達に
大変驚いていました。
 ※ 林の中に点在するコテージ
 
  ※キレイなお花が沢山咲いていました。
 
山の上にあるそのアシュラムは、とてもアットホームで、食事は日本の
縁側のような明るく穏やかな雰囲気で、前のアシュラムとはまったく違って
大変和やかでした。スプーンやホークや箸を使っても、自由でしたが、私達
が箸を使うのが珍しいらしく、一緒に食事する全員が、面白そうに見つめて
いました。ここではとてもリラックスして、楽しい気分で食事ができました。
 ※ 和やかな食事風景
 
 ☆ リシケシでの生活
 修行は朝と夕方だけで、食事も二食でしたので、昼間はよく定期馬車に
乗って街に出て買い物をしたり、食事もしたりしました。
 リシケシは聖地のため、アルコールや、動物の肉や魚などはまったく
ないそうで、タンパク質は豆類と乳製品だけでした。
 でもとてものどかなのんびりした田舎町で、物乞いなどほとんどいません
でした。街には果物やヨーグルトや、クッキーなど、またお菓子も沢山種類
があり、神経質なわたしですが、その頃にはリシケシにすっかり馴れて、彼女
達と同じように、何でも食べられるようになっていました。
 郵便局もありましたので、そこから、日本へスケジュールが変ったことに
ついての手紙を出しましたが、なかなか届かずに、私が帰国してから自分
でそれを受け取り笑ってしいました。
 ※対岸へは渡し船で行きましたが、何時もこんな満員ではありません。

 ※ 街へは馬車で行きました
 
 お土産物や、茶店もたくさんあり、結構面白かったですが、昼間は春の
ように暖かく、菜の花が咲いていて、のどかでどこか日本ととてもよく似た
風景で、一瞬日本にいるよう錯覚さえ起きるほどでした。
 私達は毎日のようにガンジス河に出かけ、川の流れの音を聞いたり、小鳥
のさえずりを聴いたり、対岸に渡り、アシュラムとか、公園などを探検
したりして楽しい時を過ごしました。 
 ※キレイなガンジス河
  

インドと私 4

2015年06月27日 | えっせー
 ☆シバナンダ・アシュラムでのヨーガの研修
 次の日からシバナンダ・アシュラムに通うことにしましたが修行は
毎朝5時半から始りますので、私達は朝4時に起き約40分かけ歩き
毎日通いました。早朝は寒くて真っ暗で、足下には馬や牛の糞が落ち
ているので、懐中電灯を持って、足下を照らしながら歩きました。
 でも星が降るように美しく、その美しさにしばらく立ち止まって見
とれました。アシュラムでの、アーサナ(ポーズ)と呼吸法は、一時間
半まったく休み無く行われましたが、早朝でまだ目覚めていない身体には
かなりハードでした。でも私が求めていた瞑想の時間は、まったくあり
ませんでした。7時からダイニングルームで食事が始りますが、鐘の音
を合図にあちらこちらの建物から、50人以上の人が集まって
きました。
 ※シバナンダの内部
 
 ダイニング・ルームでは大理石のフロアーに、薄い敷物の上にじかに
座って食事をします。野菜のカレーのようなもの、何が入っているかわか
らない茶色いライス、チャパティ(インド式紅茶)もありました。
 でも、私は何故か乞食になったような、ちょっと情けない気持でした。
決して不味いわけではないのですが、右手だけで食べるのには閉口しました。
※ダイニングルームでの食事
 
 アシュラムでは夕方5時半から8時までマントラ(呪文のようなもの)や
講義もありましたが、多分もしかして日本でいう、禅問答のようなものがで
はないかと感じましたが、それらはすべてヒンズー語でした。
  ☆ 瞑想の講座がなかった
 私が求めていた瞑想に関する講座はまったくないらしく、大変失望しました。
たとえ言葉が理解できなくても、その雰囲気や内容に触れることができれば
と思いましたが。またアシュラムに宿泊できなかったため、その往復に朝晩
大変時間をとられ、さらに求めていたものが得られず、私は欲求不満になり
ました。昼間は誰もいないガンジス川の河原で、一人でぼんやりしたり
思い切り大きな声を出して発声練習をしたりしました。
 留守にしているヨーガ教室や、ダンス・スタジオのことを考えたりし
どうしようもない感情がこみ上げてきて、いつの間にか涙を流していました。
 あのときの焦燥感や悲壮感は、私がかって味わったことがないほど深刻で
(瞑想を求めて、遠いリシケシまできたのに)と、焦りと、いらだちとか織り
なす激しい感情てした。
  
 ☆ガンジス河原でクイック・クイック・スロー
 その頃は日本人が少ないせいなのか、街を歩いていると男性達が、ニヤニヤ
しながらついてくるのには閉口しました。
 一人で河原にいても、必ず若い男性達に囲まれましたが、多分高校生位の
年齢かも知れません。一人でいた私の傍に3人の男性が来て、「どこから来た
の?」「どうしてここにいるの?」「今どこに泊っているの?」などと矢継ぎ
早やに聞くのです。インドの公用語は英語ですが、お互いに片言でも、結構
会話は通じます。私は「一人ずつ聞いて」と、3人を指差しながら「1」「2」
「3」と言うと3人は笑い転げました。日本人は若く見られるようで、中年の
私を20代だと思ったようです。何回か同じ場所で彼らに会い、私がダンス
教師だと言うと「教えて欲しい」と言われ、「では明日ね」と約束し、それから
テープを持っていって、彼らに2回マンボを教えました。
 ※3人の男の子にマンボを教えて
  
みんなとてもカンが良く楽しそうで、4人でよく笑いながら踊りました。
そんな一時は私の気持ちがとても癒され、その辛い気持が吹き飛び、もともと
楽観的なので「何とかなる」と、明るい期待感さえ湧いてきたのです。
 ☆観光旅行を全部パスした 
 リシケシでの滞在期間が少なくなる頃、知らない同志も仲良くなり、会話も
弾みました。
 ※ ツーリスト。バンガローでの食事
    
 ※ みんなでふざけて
    
 初めから気が合って、いつも行動を一緒にしていた若い女性二人に、私が
リシケシに来た目的や、今の焦燥感など、本当の気持ちを正直に打ち明けた
のです。すると、二人とも私と同じような気持ちで、求めているものが得られ
ないもどかしさが共通なのを知り、「何とかならないか」と三人で相談しました。
 また幸運なことに、現地の茶屋で知り合った日本人女性から情報を得て
他のアシュラムを訪れたのです。二人とも英語が堪能だったのも、大変ラッキー
でした。交渉した結果そこに三人で滞在でき、研修できることが決まり、どんな
にか嬉しかったことでしょう。三人で抱き合って喜びました。
 「観光は一切パスして、帰国するデリーで落ち合いたい」と、ツアーリーダー
に報告すると、極端に嫌な顔をしましたが、私達にはそんなことを考える余裕
はまったくなかったのです。

(何のためにこのリシケシまで来たの?)と言う気持ちが私の中では渦巻
いていましたから・・・・・・でも三人の気持ちが一致し、そこに留まることになった
ので、(このリシケシでわたしの求めたいたものが得られる)と感じ、心の中に
明るい希望が芽生えました。またそこで一生の師と仰ぐ先生にも巡り会え、求め
に求めていた瞑想が得られたのは、運命的とも思えるヨーガニケタン・アシュラム
との出会いでした。 


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