☆ 幼な心に感じたこと
「桑原豆歌手隊」に入ってからは、母に手を引かれレッスンに通ったが
お稽古に行く時は、いつもよりずっとおしゃれをし、大きなリボンをつけさ
せられた。先生のレッスン場は麻布にあり、新橋駅前から市電に乗ったが、
母がよく停留所を間違えるので、いつもわたしが母の手を引っ張っぱり
「ここよ」と、わたしが連れて行ったのも良く覚えている。
家では「00は声に悪い」と、食べられないものが随分あったが、お稽古
の日には、「声のために良いから」と、必ずわたしの好きな、チョコレートや
キャラメルなど買ってくれるので、それもとても楽しみだった。
その時代でも幼児だけの合唱団は有名だったらしく、新聞や雑誌や、海外
にも紹介されていた。ステージに出るときは、全員お揃いの白い服を着て
女の子は大きなリボンをつけ、男の子は確か赤いネクタイだった。
そんな幼子が並んで歩くので、どこに行っても人目を引き「可愛らしい」
と大勢に見られた。今でもハッキリ覚えているのは、日比谷公園の
野外音楽堂に出演した時に、わたし達を見ようと人垣ができたほどだ。
そんな状態を子供心に「嬉しいような」「恥ずかしいような」「誇らしい
ような」に感じたことも、今でもハッキリと覚えている。
「桑原豆歌手隊」に入ってからは、母に手を引かれレッスンに通ったが
お稽古に行く時は、いつもよりずっとおしゃれをし、大きなリボンをつけさ
せられた。先生のレッスン場は麻布にあり、新橋駅前から市電に乗ったが、
母がよく停留所を間違えるので、いつもわたしが母の手を引っ張っぱり
「ここよ」と、わたしが連れて行ったのも良く覚えている。
家では「00は声に悪い」と、食べられないものが随分あったが、お稽古
の日には、「声のために良いから」と、必ずわたしの好きな、チョコレートや
キャラメルなど買ってくれるので、それもとても楽しみだった。
その時代でも幼児だけの合唱団は有名だったらしく、新聞や雑誌や、海外
にも紹介されていた。ステージに出るときは、全員お揃いの白い服を着て
女の子は大きなリボンをつけ、男の子は確か赤いネクタイだった。
そんな幼子が並んで歩くので、どこに行っても人目を引き「可愛らしい」
と大勢に見られた。今でもハッキリ覚えているのは、日比谷公園の
野外音楽堂に出演した時に、わたし達を見ようと人垣ができたほどだ。
そんな状態を子供心に「嬉しいような」「恥ずかしいような」「誇らしい
ような」に感じたことも、今でもハッキリと覚えている。