☆ 昼間のガンガー
次の日先生にお世話になったお礼を丁寧に言って、わたし達は観光
をしました。そのときの運転兼ガイドは、中年のインドの人でしたが
大変日本語が上手でしたが、それもそのはずで、彼は日本の多摩美術大学
出身の芸術家でした。ズット若く美人のT子さんより、何故かわたしが
大変気に入ったようでとてもやさしく親切でした。
途中できれいな花が咲いていると、わざわざ車を止めて取ってわたし
だけにくれたり、買い物をしたときにはプレゼントしてくれたりなど
二人だけなのにあまりに対応が違い、そのためT子さんは「何故先生だけ
いつもそうなの」と不機嫌になったほどで、わたしは少し困りましたが。
その時は早朝ではないガンジス河を、改めてゆっくり見たいため
案内していただきましたが、対岸が見えないほどで、改めてガンジス河の
広大さを感じました。
ガンジス河沿いに日本語で「久美子の家」と、大きく書いた家があり
わたし達をその家に案内してくれました。 その久美子の家は旅行者の
ための宿泊施設でしたが、何と驚いたことにわたし達のガイドをしてく
れたのは、久美子さんのご主人だったのです。
その後も彼にはいろいろ案内してもらいましたが、その後どこに行ったか
ほとんど覚えていないのです。でも彼は日本語が上手でしたので、インドに
ついて、今まで知らなかった風習なども、かなり詳しく理解することができ
そんな意味ではインドを知るために大変有意義でした。
それからしばらくしてわたしがインドツアーを企画したとき、彼をガイド
にと指名したのですが、なぜか連絡がととれなく残念でした。
能里子
次の日先生にお世話になったお礼を丁寧に言って、わたし達は観光
をしました。そのときの運転兼ガイドは、中年のインドの人でしたが
大変日本語が上手でしたが、それもそのはずで、彼は日本の多摩美術大学
出身の芸術家でした。ズット若く美人のT子さんより、何故かわたしが
大変気に入ったようでとてもやさしく親切でした。
途中できれいな花が咲いていると、わざわざ車を止めて取ってわたし
だけにくれたり、買い物をしたときにはプレゼントしてくれたりなど
二人だけなのにあまりに対応が違い、そのためT子さんは「何故先生だけ
いつもそうなの」と不機嫌になったほどで、わたしは少し困りましたが。
その時は早朝ではないガンジス河を、改めてゆっくり見たいため
案内していただきましたが、対岸が見えないほどで、改めてガンジス河の
広大さを感じました。
ガンジス河沿いに日本語で「久美子の家」と、大きく書いた家があり
わたし達をその家に案内してくれました。 その久美子の家は旅行者の
ための宿泊施設でしたが、何と驚いたことにわたし達のガイドをしてく
れたのは、久美子さんのご主人だったのです。
その後も彼にはいろいろ案内してもらいましたが、その後どこに行ったか
ほとんど覚えていないのです。でも彼は日本語が上手でしたので、インドに
ついて、今まで知らなかった風習なども、かなり詳しく理解することができ
そんな意味ではインドを知るために大変有意義でした。
それからしばらくしてわたしがインドツアーを企画したとき、彼をガイド
にと指名したのですが、なぜか連絡がととれなく残念でした。
能里子