☆ 今回はインドを楽しみたい
その頃のわたしはもしかしたら、人生の中でもっとも忙しかったかも
しれませんが、梅が丘駅の北口前にヨーガ教室、南口前にダンススタジオ
また四谷にもヨーガ教室を開き、スタッフ二十六名を抱えていました。
毎日大変忙しく、さすがタフなわたしも疲れて、ゆっくり休みたい心境
になりました。そのため何度目かのインド行きは、一番弟子のT子さんと
二人で、命の洗濯のようなつもりで、思い切って二週間休み行きました。
その頃はT子さんとはかなり親しくはなっていましたが、わたしを大変
尊敬しているようなので、二週間も一緒に行動すると、ボロが出てわたし
に幻滅するのではないかと、実は大変不安でした。
T子さんもその間には、わたしにお仕えしなければならないのかと、実は
戦々恐々だったそうで、後でホンネで話し合ってから、お互いに大笑いした
のですが・・・・でも心身ともリフレッシュし、有意義でとても楽しい旅でした。
わたしは他人から見ると、大変シッカリして、気丈に見えるようですが
本当は臆病で淋しがり、我が侭で幼児性が強く、さらに方向オンチ、力がなく
トランク自由も動かせないほどで、彼女は大変驚いたそうです。
でも約半月間二人だけの旅は、大人になってからは、初めてだったそう
ですが、わたしもまったく同じでした。
T子さんの方が、わたしよりかなりシッカリしていて、年代(確か彼女
とは年齢差十九歳)のギャップが、まったくないのがよかったようです。
☆ デリーのアシュラムに滞在して
始めはデリーのアシュラムに、何泊かさせていただき、先生姉妹の
のご指導を受けました。デリーのアシュラムはあまり広くないのですが
亡くなったマハラジを奉った部屋があり、そこが先生達の昼間のお部屋で
したが、毎日いろいろな人が訪ねてきました。早朝は近所からお弟子さん
達が来て、庭で先生がヨーガを指導をしましたが、とても気持ちよく、
わたし達も毎朝それに参加しました。滞在していて先生達と食事も一緒で
したので、わたしはすっかり見抜かれたようで、わたしのしぐさをじっと
見ながら「ユーアー、エイジレス・べービー」と、笑いながらおっしやった
のです。(確かにそうだ!さすが先生はわたしをよく観察している)と
「先生、少しは我慢しなければダメよ」と、わたしが我が侭なので
T子さんからよくたしなめられたのも、きっと観察していたのでしょう。
わたしはやはりリシケシに行きたくなり、先生達にお断りして、二人で
リシケシに行きヨーガ・ニケタンアシュラムを訪ねました。
そこでホテルに泊まり、二日間滞在して、懐かしいガンジス河や
リシケシの町を散歩したりしましたが、やはりわたしの先生のいない
アシュラムはなぜか淋しく、虚しくて、またデリーのアシュラムへ戻り
ました。すると先生達はとても嬉しそうに迎えてくれ、T子さんの通訳
でわたしの気持ちを話すと、お二人は笑いながら、わたしをハグして
くれました。
能里子
その頃のわたしはもしかしたら、人生の中でもっとも忙しかったかも
しれませんが、梅が丘駅の北口前にヨーガ教室、南口前にダンススタジオ
また四谷にもヨーガ教室を開き、スタッフ二十六名を抱えていました。
毎日大変忙しく、さすがタフなわたしも疲れて、ゆっくり休みたい心境
になりました。そのため何度目かのインド行きは、一番弟子のT子さんと
二人で、命の洗濯のようなつもりで、思い切って二週間休み行きました。
その頃はT子さんとはかなり親しくはなっていましたが、わたしを大変
尊敬しているようなので、二週間も一緒に行動すると、ボロが出てわたし
に幻滅するのではないかと、実は大変不安でした。
T子さんもその間には、わたしにお仕えしなければならないのかと、実は
戦々恐々だったそうで、後でホンネで話し合ってから、お互いに大笑いした
のですが・・・・でも心身ともリフレッシュし、有意義でとても楽しい旅でした。
わたしは他人から見ると、大変シッカリして、気丈に見えるようですが
本当は臆病で淋しがり、我が侭で幼児性が強く、さらに方向オンチ、力がなく
トランク自由も動かせないほどで、彼女は大変驚いたそうです。
でも約半月間二人だけの旅は、大人になってからは、初めてだったそう
ですが、わたしもまったく同じでした。
T子さんの方が、わたしよりかなりシッカリしていて、年代(確か彼女
とは年齢差十九歳)のギャップが、まったくないのがよかったようです。
☆ デリーのアシュラムに滞在して
始めはデリーのアシュラムに、何泊かさせていただき、先生姉妹の
のご指導を受けました。デリーのアシュラムはあまり広くないのですが
亡くなったマハラジを奉った部屋があり、そこが先生達の昼間のお部屋で
したが、毎日いろいろな人が訪ねてきました。早朝は近所からお弟子さん
達が来て、庭で先生がヨーガを指導をしましたが、とても気持ちよく、
わたし達も毎朝それに参加しました。滞在していて先生達と食事も一緒で
したので、わたしはすっかり見抜かれたようで、わたしのしぐさをじっと
見ながら「ユーアー、エイジレス・べービー」と、笑いながらおっしやった
のです。(確かにそうだ!さすが先生はわたしをよく観察している)と
「先生、少しは我慢しなければダメよ」と、わたしが我が侭なので
T子さんからよくたしなめられたのも、きっと観察していたのでしょう。
わたしはやはりリシケシに行きたくなり、先生達にお断りして、二人で
リシケシに行きヨーガ・ニケタンアシュラムを訪ねました。
そこでホテルに泊まり、二日間滞在して、懐かしいガンジス河や
リシケシの町を散歩したりしましたが、やはりわたしの先生のいない
アシュラムはなぜか淋しく、虚しくて、またデリーのアシュラムへ戻り
ました。すると先生達はとても嬉しそうに迎えてくれ、T子さんの通訳
でわたしの気持ちを話すと、お二人は笑いながら、わたしをハグして
くれました。
能里子