ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

今まで生きてきた道 18回

2006年08月16日 | 健康

 ☆ 時代の流れで
                       06:816 
  何年前になるかは定かではありませんが、その頃から執筆依頼が
 いつの間にかだんだん増えて、わたしはスタジオのレッスンや、
 カウンセリング、またときどき入る講演依頼などの合間に、いつでも
 休みなく本を書いていました。
  その頃は手書きでしたが、だんだんワープロを使う人が増え
 てきたため、わたしも使うつもりで習ったのですが、メカオンチの
 わたしは「これはわたしには合わない」とすぐに止めました。
 
 ところがある大手の出版社から依頼があり、書くことが決まり
  ました。ところがそのときに編集者が持ってきた原稿用紙は
 ナントたった三冊でした。
  ふつうは紙袋にイッパイにその社名入りの原稿用紙を持ってくる
 のですが、そのとき編集者はとても申し訳けなさそうにこう言った
 のです。「もう我が社ではワープロの原稿が多くなったため、原稿
 用紙は作らなくなったので、不足分は、他店で買い求めて後でお届
 けしますから」と。わたしは少なからずショックを受けました。

  ☆ PCと格闘した頃 
  嫌いなことは一切やらないわたしですので、ワープロはすぐに
 諦めたのですが、これからは手書きの原稿はなくなるのかもしれない
 と感じました。そしてホームページも開きたいと思い、インターネット
 もできるパソコンを習おうと一念発起し、すぐに学校に入りました。
 ところがその学校では進むスピードが大変速く、とてもついてい
 けません。そのため諦めようとしたときに、「大丈夫気長にやれば必ず
 できるから、がんばって!」と励ましてくれたのが、現在大学教授に
 なった友人です。
 
  それから我が家に先生に主張してもらい個人教授を受けましたが、
   何しろメカオンチのわたしにしては物凄い努力をし、どうにか
  使いこなせるようになったのです。
   そしてPCをマスターしてから、こんなに便利なものを今まで使わ
  なくて損だったと後悔するほど、原稿を書くのが大変早くなりました。
   それにしても嫌いなことにはまったく根性がないわたしを、励まして
  くれた友人のお陰で、わたしは何とか習得できたのです。
 「持つべきものは友達だ」と、諦めの早いわたしを勇気づけて
 くれた友人に今でも本当に感謝しています。
  現在ではPCがない毎日など想像ができませんが、でも時代に
  遅れずついていくのは、わたし達高齢者にはとても大変なことですが、
 でも投げ捨てずに努力したお陰で、まだ物書きとして活動できるの
 は有難いことだと思っています。
    
 そして今も「あれだけの努力をすれば、必ず何事もできるのだ」
  と信じて、やさしい友人に教えられながら、来年ロシアで開催される
 国際心理学会でのプレゼンテーションのために、毎日ひたすら英語
 を勉強しているわたしです。
                           能里子



人気ブログランキングに参加しました

人気ブログランキングへ