アキバ系ギャンブラーの賭け

ギャンブルで儲けてアニメに貢ぐという崇高(?)な目的のため、ありとあらゆるギャンブルに手を出すギャンブラーの日記

(競馬)私の競馬史

2022-08-31 10:51:46 | 中央競馬
 突然ですが、私の競馬史についてまとめておきます。基本的に馬券に関することが多く、自慢話もありますが、トータルでは確実に負けていることをここに宣言しておきます。

私を含む、当時の一般人の競馬知識  武豊とオグリキャップくらいは名前を聞いたことがある。
1989年10月ごろ  セガのメダルゲーム「ワールドダービー」にハマり、本物の競馬にも少し興味を持つ
1989年12月24日 NHKの夜7時(多分)のニュースで、有馬記念の結果を知る。「オグリキャップ負けたんだ。イナリワンって馬が勝ったんだ」と思った記憶がある。
1990年4月8日 桜花賞当日。初めて、ラジオ(毎日放送)でGIレースの生放送を聴く。勝ったのは1番人気のアグネスフローラ。後のダービー馬アグネスフライト、皐月賞馬アグネスタキオンの母。
1990年4月15日 皐月賞当日。初めて、テレビ(NHK)でGIレースの生放送を視聴する。勝ったのは3番人気のハクタイセイ。2着アイネスフウジン、3着メジロライアン。
1990年12月23日 有馬記念当日。初めて、テレビで生観戦する有馬記念。オグリキャップのラストラン。ビデオにも録画していて、少なくとも100回は見直したと思う。
1992年3月28日 初めて競馬場(阪神)に行って馬券を買う。せっかくだからと指定席(2500円くらいしたと思う)を取ったが、当時既にガラス張りで一体感を感じられなかったことを残念に思った。第2レース4歳(現3歳)未出走戦(新馬戦と実質同義)で、競馬ブックの本命馬がいた1枠から、対抗馬がいた7枠と、穴狙いで×印(現在の競馬ブックでは△と同義)がついていた馬がいた2枠への500円ずつ枠連で流す(当時、馬連は既にあったが、枠連の方が安全かと思っていた)。馬券を買って席に戻ってから、枠連1-2のオッズが50倍以上だということを知る。結果は、本命印のマッチレスストーム(3番人気)が勝ち、2枠の×印カミノグリーンが2着。54.6倍で27300円の払い戻しを受けた(馬連は70.7倍で、そちらで買っていればもっと儲かっていた)。記念すべき初的中馬券が大当たりで2Rにして当日の勝ち確定。
1992年ごろ PC98用ゲーム「クラシックロード(ビクター)」をプレイ。実際の競馬とほぼ同じローテーションになっていたため、いつどんなレースが行われるかを概ね理解する。その後、ウイニングポスト(こちらもPC98版)にハマる。競馬ファンの増加に大きく貢献したゲーム「ダービースタリオン」はほとんどプレイしていない。個人的には、ゲームだから当たり前と言われればそれまでだが、すぐに調子が落ちる(調子にリズムのようなものがあり、レースの時に調子が上がるよう上手く調整する必要がある)のは大きなストレスだった。
1992年12月26日 有馬記念の前日、阪神競馬場で初めて重賞競走を観戦。ラジオたんぱ杯3歳ステークス。勝ったのは後に皐月賞馬となる5番人気のナリタタイシン。12Rに、偶然(初馬券的中となった)カミノグリーンが出走していたので馬券を買ったが最下位に敗れる。有馬記念の前売り馬券を買って帰宅。
1992年12月27日 家で有馬記念を観戦。15番人気のメジロパーマーが逃げ切り、2着も5番人気レガシーワールドで、馬連31,550円の大波乱。以前も書いた通り、父に頼まれた馬券を半ばふざけてメジロパーマーから5点流していたら当たってしまう。
1993年1月6日 有馬記念の馬券の換金する目的もあり、初めて京都競馬場を訪れる。この時も指定席を取ったが、当時は吹きさらしだった。真冬だったので寒かった記憶がある。10R初夢賞(今で言う2勝クラス)にまたもや偶然カミノグリーンが出走していたので、複勝500円と馬連でカミノグリーンから5頭へ100円ずつ流す馬券を買ったところ、14番人気のカミノグリーンは逃げ粘って2着。1着馬は7番人気ながら(記憶が確かなら)競馬ブック本紙で〇(対抗)だったため馬券を買っていた。馬連は33,330円、複勝も1490円つき、4万円を超える払い戻しを受ける。これが初の万馬券的中。そして、勝った馬の名前がキソジゴールド。この馬が、その後の私のダート好きに大きな影響を与えることとなる(元をたどればカミノグリーンのおかげだが)。
1993年ごろ 電話(パソコン)投票の権利が当たり、家でも馬券が買えるようになる。パソコンと電話(プッシュホン式)で投票可能。当時は電話投票の募集が年2回しかなく、4回くらい連続で外れる人もいたくらいだった。
1993年12月26日 有馬記念。以前も書いた通り、ビワハヤヒデから流し、トウカイテイオーも買っていたため、初めての有馬記念的中となる(前年の有馬記念は自分の馬券ではないので的中とは言えない)。
1994年2月5日 ウインズ高松がオープン。同時に、毎週土日の午後3時から1時間、競馬中継が地上波で放送されるようになり、NHKが放送するレースしか見ることができなかった状態から解放される。
1995年2月18日 フェブラリーステークス(当時G2)で、2番人気ライブリマウントと3番人気トーヨーリファールの馬連に、当時としてはかなり思い切って5千円投入。直線半ばでもう確実に当たったと確信できるレース(2着と3着の差が7馬身)で、テレビの前で飛び跳ねて喜んだ記憶がある(笑)。15.6倍で78,000円の払い戻しを受ける。
1995年12月21日 東京大賞典が初めて交流競走となった年。7連勝中だったライブリマウントが圧倒的1番人気で、2番人気は地元のアマゾンオペラ。しかし、初万馬券の馬でオープン入りしていたキソジゴールド(5番人気)が出走ということで、初めて大井競馬場で現地観戦。馬券も当然キソジゴールドから。当時このレースは2800mという長丁場だったので、この距離なら勝負になるのではと密かに期待していた。結果は予想通り人気の2頭が伸びを欠き、キソジゴールドは大外から追い込むも、先に抜け出したアドマイヤボサツが1着。キソジゴールドは2着に終わる。一応当たるが3万円中馬連500円しか買っておらず、払い戻しは6万4千円程度。当たっても実に複雑な気持ちだった。
1995年12月24日 有馬記念。1番人気ヒシアマゾンは追込み馬。2番人気ナリタブライアンは復帰2戦が不調で、色々悩んだ結果、スローペースの前残りになるのではないかと予想し、菊花賞を勝ったばかりなのに6番人気のマヤノトップガンから流す。結果、まんまと逃げきり。2着5番人気タイキブリザードも買っており、馬連47.7倍の好配当。当時自己最高の10万円程度の払い戻しを受ける。
1996年ごろ パーフェクTV(今のスカパー)に加入し、同時にグリーンチャンネルにも加入。朝イチから、WINSで見られるような映像が家で見られることに感動。
1997年1月12日 京都10R室町特別。岡山出身ということで応援していた古川吉洋騎手の14番人気タニノリズムから馬連総流し馬券を買ったところ、15番人気のダービーラブリネスがまんまと逃げきる。タニノリズムが接戦の末2着に食い込む。馬連89000円で、高額オッズ記録を大幅更新。
1997年4月29日 当時は交流重賞だった笠松オグリキャップ記念。キソジゴールドは、前年に当時2100mだった武蔵野ステークスで優勝するも、それ以降は冴えないレースが続き、芝のレースにも出走するなど迷走していた。既に9歳(現8歳)になっており、期待できなかったので応援に行くかどうか迷っていたが、当時はダートグレード競争が全部買える電話投票は存在せず、本場以外の地方競馬場では馬券を買えないことが普通だった(オグリキャップ記念の馬券は園田や姫路では買えず、実質的に現地に行くしかない状態だった)ため、渋々行くことに。当時の笠松は枠連(単複)しか発売しておらず、他の人気馬と同枠にならないことを祈っていたら、無事単枠に(10頭立てなのでうち6頭は単枠になる)。レースでは、1枠だったこともあり意外な逃げの作戦。まあ、いつも通り後方のまま終わるよりはいいと思い見ていたが、最後のコーナーあたりからは、おそらく他の人が引くくらい叫んでいた。そのまま逃げ切って大復活。2着は実績馬キョウトシチー。枠単オッズは50.5倍で5100円賭けており、25万円超えという高額払い戻しを受けられたが、とにかくキソジゴールドが勝ったことが嬉しくて、儲かったという感情は薄かった。
1997年11月16日 マイルチャンピオンシップ。3強対決と言われ、私も甲乙つけられず、なら内のグリーンベルトを逃げられそうなキョウエイマーチから買ってやれということで、キョウエイマーチから馬連で3強3頭へ。結果、勝ち馬には突き放されるもキョウエイマーチは2着に逃げ粘る。馬連2760円で、19万円を超える払い戻しを受け、JRAでの払い戻し額新記録更新。なお、勝ったのはこれが伝説の始まりとなったタイキシャトル。
1997年11月30日 マイルCSから僅か2週間後の阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)。ここも古川吉洋騎手が有力馬に乗るということで、7番人気のアインブライドから単勝と馬連で。アインブライドは内枠を生かしてインを突いて伸び快勝。2着は6番人気キュンティアで、単勝13.9倍と馬連60倍。合計30万円を超える超大当たり。払戻金額の新記録更新。
1999年5月1日 スペシャルウィークが勝った天皇賞春の前日の京都12R。8番人気のオブラマエストラから馬連総流し馬券を購入。オブラマエストラが2番手から抜け出し、相手は2番人気か、3番人気かと思っているところに強烈な末脚で追い込んできたのが、16番人気(最低人気)単勝215倍のビッグレター。馬連192,250円という大ホームラン(元手は1500円)。初の10万馬券的中で、現時点でも馬連的中オッズとしては最高記録。
2001年5月27日 日本ダービー。これまで1回もまともに当てることができないダービー。しかし、1番人気のジャングルポケットに絶対の信頼を置き馬券を購入。見事1着でゴール。2着は3番人気で、回収率は200%程度だったと記憶しているが、とにもかくにもダービー初的中。
2004年5月2日 天皇賞春。4歳4強が話題となるもあまりピンと来ず、4強の中で4番人気に甘んじるも堅実さが光るゼンノロブロイと、京都が大得意な5番人気のシルクフェイマスから馬券を買うが、総流し馬券として買ったのがこの2頭からの3連複。結果は、イングランディーレの大逃げがハマって大波乱となるも、2着にゼンノロブロイ、3着にシルクフェイマスが入りまさかの大当たり。配当は211,160円で自己最高記録。そして200円買っていたので払い戻し金も422,320円にのぼり新記録更新。当時3連単はまだ無かった。もし3連単があっても買えたかどうかは分からない。
2005年12月4日 阪神ジュベナイルフィリーズ。混戦で何が来るか分からず、名前で8番人気テイエムプリキュアの1着固定総流し馬券を買う。1番人気のアルーリングボイス絡みのみ少し追加購入。結果、テイエムプリキュアは後方から突き抜けて1着。2着も7番人気シークレットコード。3着も人気薄なら万々歳だったが、2番人気のフサイチパンドラ(後の、アーモンドアイの母)がちょいと伸びて3着に上がってしまう。3連単は31万290円で、オッズでは自己新記録だが、総流ししていただけに、もう少しついて欲しかったという気持ちが強かった。
2007年10月28日 天皇賞秋。1番人気はメイショウサムソン。2番人気はアドマイヤムーン。3番人気はダイワメジャー。ここはこの3頭が堅いと信じ、この3頭の3連単ボックスに資金の大半を投入。メイショウサムソンは完勝したものの、アドマイヤムーンとダイワメジャーは降着が出るほどの不利を受け6着、9着に敗れる。しかし、このレースが私にとっての「運命のレース」となる。
2007年11月18日 マイルチャンピオンシップ。ダイワメジャーは、このメンバーでは実績が1枚も2枚も抜けていたが、1番人気ながら単勝は3.8倍。しかし、天皇賞はあくまで不利が敗因で、ここは負けるわけがないと信じて3連単1着固定。相手は普通に2~5番人気を選んだ。結果は、ダイワメジャーは後ろを引き付けてそのまま粘り切る着差以上の余裕のレース。2着は4番人気スーパーホーネット。3着に5番人気スズカフェニックスが入り、配当は24050円。ここに1900円入れており、払い戻しは456,950円と新記録を更新。天皇賞秋の結果を正しく見極めた結果です。
2007年11月25日 ジャパンカップ。こちらも、不利を受けた5番人気のアドマイヤムーンを重視して買い、見事優勝を果たしたが、抜けた1番人気のメイショウサムソンが3着で、馬券は当てられず。
2007年12月23日 有馬記念。マヤノトップガンが勝った1995年以降全く当たらない有馬記念。本命は2番人気ポップロックとするも、マイルCSでお世話になったダイワメジャーも買うことに。3連単で手広く買う中で買ったのが、ダイワメジャーの妹、ダイワスカーレットとの2頭マルチ総流し馬券。結果は、9番人気のマツリダゴッホが勝ち、2着はダイワスカーレット。ダイワメジャーは何とか3着に粘りこむ。配当は80万880円。オッズも払い戻し総額も新記録更新。これを当てられたのも天皇賞秋のおかげ。
2008年5月11日 NHKマイルカップ。毎日杯で23万馬券を当ててくれたディープスカイ。この日もデータマイニングは1着予想。パチンコ中だったこともあり、2着を6番人気サトノブログレスと3番人気ブラックシェルに固定し、3着は手広く流す。結果、ディープスカイは快勝。2着はブラックシェル。3着はデータマイニング4番手評価の14番人気ダノンゴーゴーが入る。1168.8倍に700円入れており、払い戻しは81万8160円。払い戻し金額は新記録だが、このレースは全部で1万8千円程度しか買っておらず、回収率もGIでは記録的だった。
2008年11月2日 天皇賞秋。あの運命の天皇賞秋から1年。メンバーを見て思ったことは、早くもリベンジの機会が来たということ。東京では絶対的な信頼の1番人気ウオッカ、有馬記念の後好メンバーの大阪杯を難なく逃げ切った2番人気ダイワスカーレット、そしてNHKマイルカップの後ダービーも勝った3番人気のディープスカイ。もうこの3頭で間違いないということで、3連単3頭ボックスに資金の大半を投入。中でも、お世話になったこともあるがとにかく大阪杯のレースに圧倒されたダイワスカーレットを本命として資金を配分した。結果はご存じの通り。見事3強で決まってくれたのは良かったが、自分にとっては痛恨の2cm差となった。
2009年11月15日 エリザベス女王杯。以前も書いた通り、テイエムプリキュアを買う上で、京都大賞典のレース内容からクィーンスプマンテも買ったところ、2頭の大逃げがハマってワンツーフィニッシュ。3着は1番人気のブエナビスタ。3連単154万5760円。馬連も当たり、合計の払戻金は164万7790円となり、オッズ面も払戻金額も、今後おそらく更新できない大記録となった。
2012年。同年の皐月賞、ダービー、菊花賞を全て3連単で的中。皐月賞3連単12620円(勝ち馬ゴールドシップ)、ダービー3連単87380円(同ディープブリランテ)、菊花賞12450円(同ゴールドシップ)。当時の記事に全て写真貼ってます。

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