第34回日本大相撲トーナメント 於:両国国技館
2月7日(日) 主催:フジテレビジョン
隅田川(大川)に吹く風をきって、大銀杏(おおいちょう)を結い、若い衆をひきつれた関取が歩いていく。景色が一瞬、江戸になる。寒風のなかではためく力士幟り、櫓太鼓の前をとおりすぎるとそこは国技館。
思いもかけずチケットを入手でき、7日夕方、両国の国技館に行ってきました。席は少し遠かったですが、相撲の魅力を満喫しました。勧進元は、フジテレビジョンです。
朝青龍が引退し、TVなどではその話はもちきりです。朝青龍はこのトーナメントにも出場するはずでしたが欠場で、そのためもあるのか「満員御礼」というわけにはいきませんでした。7分の入りでしょうか。
それでもトーナメントは、面白かったです。高見盛の人気はあいかわらずです。本場所では地位が離れすぎてその対戦を見ることができない、白鵬と高見盛戦を観戦することができました。トーナメント戦の魅力は、ひいきの力士が強ければ、一日に何度もその力士を声援できることです。本場所では、そんなことは期待できません。
優勝は豪栄道でした。準決勝で白鵬を、決勝で琴欧州に勝っての栄冠ですから、立派なものです。日本人の関取としては第27回大会の武双山以来、7年ぶりとのことです。優勝インタビューでは、今年中に大関を狙うというようなことを語っていました。
帰りは、国技館近くのちゃんこ屋さんで一杯飲んで帰りました。ごっつあんです。
南木佳士『草すべり』文藝春秋、2008年
「鬼押出し」という場所が出てきます。一度、行ったことがあります。
著者は、その場所を次のように書いています、「浅間山から下山するとき、山すその道路がすぐにそこに見えていて簡単に下れるルートがあり、晴れて見通しのよい日はそうでもないが、霧が出てくると迷いやすく、天明三年の大噴火のときに流れ下った溶岩が冷えて固まり、割れて巨岩となり、迷路のようになっている」、と。
はっきりした記憶ではありませんが、確かこのあたりをレンタカーで走ったのです。車を降りて、観光しました。凄いところがあるものだ、との印象が脳裏にあります。
「浅間山という名の独立峰は存在せず、第一外輪山の黒斑山、第二外輪山の前掛山、それに火口の盛り上がりである釜山を合わせて全体を浅間山と称するらしい」(p.155)。そういうことなのでしたか。
作家であり医者であり、最近父を亡くし、自身も精神的に病み、ようやく立ち直って、健康のために浅間山界隈の登山を始め、そこで出会った現実の人たちとの対話と記憶のなかの自分とがいったりきたりする話が小説となっています。
諦念というか、あるがままの現実に抵抗することなく受け入れ、その感覚を大切にした話が多いです。
「草すべり」「旧盆」「バカ尾根」「穂高山」の4編。
開巻、東京の築地市場。
若尾文子さん扮する小田ゆき子は、ちゃきちゃきとした青果仲買店をしきる女性。その仲買店「小田新」の家族、そこで働く男たちの人間模様が描かれた作品です。
そして、大きな流れは、ゆき子と妹の早苗(叶順子)がそれぞれに思いをよせる雇い人、精一(藤巻潤)との恋の道ゆきです。
小田家の家族は少し複雑です。父親(信欣三)は家族のなかにはもういません。女性と家をでてしまって、別の暮らしを大川(隅田川)の向こうの佃島でしれいます。母親は持病をもっていて、3人の子を育て(ゆき子、早苗姉妹の2人と一郎という男の子)いましたが、仕事中に倒れ、あっけなく亡くなってしまいました。
そんななか気丈にふるまうゆき子。叔母さんに紹介されたお見合いもありましたが、雇い人の誠実な精一を信頼しています。しかし、妹の早苗も精一に強く惹かれていました。
夏の花火のお祭りの夜。ゆき子と精一は、自宅の2階の縁台でふたりきりになって花火を鑑賞していました。そこに早苗が帰ってきて、姉と精一のふたりを認め、逆上して家をでてしましいます。この後、早苗が行方不明になり、大変なことになります・・・。
ゆき子は妹の気持ちを察し、自分は一度お見合いをしたのですが、付き合いをことわった男性(宇津井健)と結婚しようと考えます。しかし、この想いも結局は、うまく行きません。
最後のシーン。昼間の屋台で、日本酒をコップいっぱいあおったゆき子。雑踏の中を小さく消えるように遠ざかっていきます。
いろいろ楽しいこと苦しいことのある下町の生活のなかで、まじめに明るく、健気にいきる女性の姿が描かれて、さわやかです。
河野健二『現代史の幕あけ-ヨーロッパ1848年-』岩波新書、1982年
冒頭、著者は次のように宣言しています、「現代史のドラマは1848年に始まる。これが本書の立場である」と(p.2)。
1848年にヨーロッパはほとんど全ての国と地域(北のアイルランドから南のシチリアまで、西のスペインから東のポーランドまで)が、紛争と反乱、革命と戦争に巻き込まれました。
フランスでは2月革命が勃発、この革命はルイ・フィリップの「7月王政」に対する反対運動であり、結実して革命臨時政府が打ち立てられました。
イギリスでは職人や労働者が「人民憲章」にまとめた要求を掲げ、運動をスタートさせました。
イタリアでは半島に王国が割拠し、統一政権が確立されるみとおしはなかったものの、この年の初めからミラノ、パレルモ、ナポリなどで都市の戦乱が続きました。
全ドイツでは立憲政治をもとめる運動が表面化しました。
ハプスブルク王朝支配下にあったオーストリア帝国では、自立、自治をもとめるハンガリー人、スラブ系民族の運動が発展、ウィーンは陥落しました。
しかし、ウィーン革命の結果に始まったハプスブルク大帝国の解体の動きは、その年の2月にパリの労働者の蜂起が軍隊によって鎮圧されると急速に衰え、ヨーロッパ規模の反動の逆襲が進むことになります。時代の進路は、革命から一転してナショナリズム、反動の方向に切り替わります。
1848年という激動の1年間の事情、この年をクライマックスとして展開された種々の社会思想を競合と交錯のドラマとして振り返り、そこでの問題を現代の問題として受け取る視点を設定しようという著者の試みの成果が本書です。
今では地に堕ちた「社会主義」の思想がこの頃は、生命力をもっていたことがわかります。時代をリードする思想、運動にはなりえなかったものの、労働者の支持が一部にあり、それなりの勢力を維持しました。
しかし、その「社会主義」は、ブランキ、ルイ・ブラン、マルクス、エンゲルス、プルードン、バクーニンでは全く異なった目的と内容とからなり、相互に牽制しながら、全体として後退せざるをえなかったようです。
本書を読んでいて時折、ドキュメンタリータッチの叙述という印象をもったのは、当時の社会の動きの目撃者の記録の引用が挿入されているからです。
オブライエン、オコナー、ラマルティーヌ、ブ、トクヴィル、バラツキー、ルイ・ボナパルト、マッツィーニなど、当時のヨーロッパの政治的季節に当事者だった人々の考え方、生き方、行動が怜悧でかつ情熱的な筆で描かれています。
斎藤葉[Yo Saito] ”La source(泉 ハープ小品集)”
斎藤葉さんの初の本格的クラシックアルバムです。わたしにとってもハープ演奏だけを格納したCDはこれ1枚しかありません。
斎藤さんの演奏は、堅実でありながら、抒情的で、心に訴えかけてきます。ハープのやさしい音色が波紋のように伝わってくると、わたしの心が共鳴します。
フランスのハープ作品が中心です。聴きやすいハープの名作小品集です。
ドビュッシー(1862-1918)はハープを使った<フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ><神聖な舞曲と世俗的な舞曲>がありますが、独奏曲はありません。<アラベスク>はもともとはピアノ曲ですが、ハープの独奏曲に編曲されたものです。ドビュッシーの20歳後半の作品です。
トゥルニエ(1879-1951)は、パリ音楽院で学び、ハープ科を首席で終えました。1912年から48年までパリ音楽院ハープ科の教授をつとめ、後進の指導にあたるととともに、優れた楽曲を書きました。<朝に>はそのひとつです。<6つのノエル>はレッスン用の作品です。
カプレ(1978-1925)は近代フランスの作曲家で、指揮者。ドビュッシーに協力し、助ける役割を果たす一方、霊感にとんだ管弦楽曲、室内楽曲、歌曲をつくりました。
アッセルマン(1845-1912)は父のジョゼフから演奏を学び、パリ音楽院教授に就任、門下からアンリット・トルニエ、カルロス・サルゼード、リリー・ラスキーヌなどの名匠が輩出しています。<泉>は表題どおりにさわやか泉の様子を表現した名曲です。
フォーレ(1845-1924)は1904年、1918年にフォーレならではの柔らかく、深い情緒あふれる協奏曲2編を発表しました。<即興曲>はそのひとつです。
ベシェッティ(1704-1766)はヴェネツィアで生まれ、没した作曲家です。1739年に出版された鍵盤楽器のための<ソナタ集>に含まれる3楽章をもつハ短調のソナタは、サルゼードによってハープ用に編曲されました。
ナトラは(1924-)はルーマニアのブカレストで生まれ、1961年からイスラエルに「移住して音楽活動を展開しています。<ハープのためのソナチネ>は1964年に出版されました。微妙な情感をたたえた佳品です。
1 Claude Debussy: Premiere Arabesque(ドビュッシー/アラベスク 第1番)
2 Marcel Tournier: Etude de Concert “Au Matin”(トゥルニエ/演奏会用練習曲「朝に」)
3 Marcel Tournier: Six Noels op.32(トゥルニエ/6つのノエル)
4 Andre Caplet: Divertissements Ⅰ-a la francaise(カプレ/ディヴェルティメント~フランス風)
5 Alphonse Hasselmans: La Source op.32(アッセルマン/泉)
6 Gabriel Faure: Impromptu op.86(フォーレ/即興曲 作品86)
7 Giovanni Battista Pescetti: Sonata(ペシェッティ/ソナタ)
8 Sergiu Natra: Sonatina(ナトラ/ソナチネ)
東野さんのミステリーは2冊目になります。
読み進めていても、犯人が最後まで分らない殺人事件です。
事件の概要は、産業機器メーカーに勤め、人工ロボットの開発をてがける末永拓也が関係をもっていた同じ職場の雨宮康子の妊娠がわかり、しかし彼女は子どもは堕ろさないということから始まります。
その末永は企画室長の仁科直樹に呼ばれ、橋本敦司とともに康子の殺害を企てることを提案されます。実は、直樹も橋本も康子と関係していたのでした。
殺害のための周到な計画が示され、それによるとAが大阪に靖子を呼び出し、殺害、死体を名古屋に搬送し、Bに死体を預けたあとAは新幹線で大阪にUターン、Bは名古屋いて死体を受取り、東名高速に入って厚木インターで降り、今度はこれをCが受取って東京まで運び、死体処理をするというものでした。A,B,Cに誰がなるのかトランプでのくじ引きになります。
アリバイを確保するための方策を盛り込んだ殺人。ところが事態は意外な展開に・・・。実際には直樹が殺され、大阪に呼び出されたはずの康子は平気な顔をしていつもどおり出勤しているという事態が起こります。
いったい、直樹を殺したのは誰なのか? そもそもどうして、計画の提案者が殺されてしまったのか? メインの筋はこの犯人探しなのですが、直樹の死体処理をした橋本も殺されるという謎、そして拓也が康子を殺害。
オーナーの娘である仁科星子と結婚し婿養子の座をねらう拓也は、いったいどういう人間なのか? 一連の事件で当然、拓也には警察の嫌疑がかかってきます。
読者は作者のその罠にひきづられていくのですが・・・。
犯人は意外な人間でした。わりと最初のほうから出てくる人間ですが、その人が犯人とはと驚かされました。暴走した人造ロボットが引き起こした事件が下敷きにありました。そしてタイトルのブルータスというのはロボットの名前です。
『反転-闇社会の守護神と呼ばれて-』幻冬舎、2007年
大阪地検特捜部、そして東京地検特捜部での経歴をもつ検事が、弁護士に転職。企業の顧問弁護士を務め、犯罪者の弁護を担当するな政界、経済界の要人、闇の組織の関係者とのつきあいが出来、石橋産業手形詐欺事件に巻き込まれ、実刑判決を受けます。本書はその当事者である著者の半生の記です。
本書によれば、著者は長崎県北松浦郡船越で生まれ(1943年)、貧しい少年時代を過ごします。貧困家庭ゆえの苦労、屈辱を味わいながらも苦学して岡山大学入学、在学中に司法試験に合格しました。
1971年検事任官以後、叩きあげの鬼検事としてさまざまな事件を手がけ(燃糸工連汚職、平和相互銀行不正融資事件)辣腕ぶりを発揮するのですが、三菱重工CD事件(転換社債の乱発)、苅田町長汚職事件で横槍が入り捜査中止を余儀なくされ、検事の仕事に見切りをつけたとき、母が脳梗塞で倒れ、これを直接の契機に検事として務めあげることを断念、検事業務の対極にある弁護士として再出発したとあります(1987年)。
時代はバブル最盛期の時期で、著者は弁護士といっても企業、闇(アウトロー)の組織が関わります経済事件の被告を擁護する立場であり、業務の傍ら法外な大金を得たり、金銭感覚がマヒするような事件に遭遇します。
挙句の果てに、石橋産業から約束手形をだまし取ったという容疑で逮捕され、東京高裁で実刑判決を受け、裁かれることになりました。(著者は実刑判決を受けました)
著者の半生の一部始終が語られ、不断接することのできない司法界の動き、この世界の人々の手練手管が手に取るようにわかりました。それにしても、司法界の裏表を熟知しているはずの著者がどうして犯罪に手をそめてしまったのでしょうか? 本書に書かれているように、検察の恨みをかったために、罠にはまってしまったということなのでしょうか? はたまた。金銭感覚を失うとともに、倫理観も麻痺してしまったのでしょうか?
朝日新聞1月23日付朝刊に、田中元弁護士が詐欺事件で大阪高裁(ニ審)で実刑判決を受けたことが報じられています。
BAR・金魚 新宿区新宿3-31-1 NREビルB1
tel.03-3354-0008
もう15年ほど前に開拓したBARです。現在でも健在です。JR新宿駅から5分ほど、地下鉄丸ノ内線の「新宿三丁目駅」でおり、A1の出口からですと歩いて1分です。
金魚を眺めリラックスして飲むお酒は????
狭い階段を降り入口から入ると、そこは別世界。『BAR金魚』です。
壁面に埋め込まれた大きな水槽には、金魚が涼しげに泳いでいます。金色の額縁がしつらえてあるので、まるで芸術作品を観るようです。
ズラリと並んだボトルに圧倒されます。マスターの話では全部でなんと500種類とか。ビンテージもののモルトウイスキーの他、お酒好きにはこたえられない風景です。
メニューはダイキリ、ギブレット、マティーニなどドライ系のスタンダードカクテルがメインです。静かにゆったりと大人の時を過ごしたい時にお薦めです。いいスポットです。
本書は「連塾」の3冊からなるトーク・ドキュメントのうちの一冊です。連塾というのは「連志連會」という法人が開催している塾で、立ち上げは2003年7月、この組織が著者に日本の話を依頼してスタートしました。
内容はこれも著者の解説では「第一講:日本という方法」では屋根の形と西田幾太郎と紀貫之とを相互同時に語り(わたしはこの講で「てりむくり」という様式の説明に学んだ)、「第二講:神話の結び目」では能舞台での椎名林檎の歌から始めて、日本神話のデュアル・スタンダードを扱い(わたしはこの講で物語の関係力としての「結び目」の説明が印象的だった)、「第三講:仏教にひそむ謎」ではアメリカで発表したコンピュータ・ソフトの紹介をしながら宮澤賢治は法華経にのめりこんでいった経緯、そして日本仏教の入口の紹介となっているとのことです(わたしはこの講で「華厳の思想」と格闘した)。
と、このように記述しても内容はいまひとつよくわからないかもしれません。要約はむずかしいのですが、少しでも整理に努めると、メインテーマは日本を主語にして語るのではなく、日本が持っている物事の見方、とらえ方を 「方法日本」という視点から編集しなおそうというものです。
方法日本にかかわるキーワード(方法のコンセプト)は 太字のゴシック体で表記されています。例えば、ソロイ、アワセ、キソイ、絶対矛盾的自己同一、 ムスビ、もどき、逆旅、無常、山川草木悉皆成仏、面影、花鳥風月、本地垂迹、顕密体制、数奇、有職故実、六道輪廻、一切皆苦、練供養・・・・などなど。このキーワードが100ほどあります。
日本が外来文化にどう対処し、どのように仏教を受け入れ、 またどのように神話を作り上げていったのかを語りながら 「方法日本」を具体的に示しています。歴史の中の「結び目」に関する論述も面白いし、ためになります。「記紀伝承による日本神話パンテオン構造」(pp.154-155)は、日本の神話の世界を図示したもので貴重です。
ところで、この「方法日本」を身につけるのは至難のワザです。正剛さんの博学ぶりと、編集能力の凄さに圧倒されます。そしてこの方法的なアプローチが習得できないと日本がわからないとなると、少々絶望的な気持ちになるのは、わたしひとりでしょうか。
若尾文子特集④
増村保造監督『爛(ただれ)』東京大映、白黒88分、1962年
於:ラピュタ阿佐ヶ谷
増村、若尾コンビの代表作のひとつです。
自動車の販売業に従事する浅井(田宮二郎)は、妻、柳子(藤原礼子)との間がうまくいっていません。それというのも浅井には増子という元バーのホステスであった愛人(若尾文子)いて、それを妻に知られて、三角関係になっています。増子に激しく嫉妬をもやす柳子。しかし、浅井の気持ちはすでに妻にはなく、家庭は破綻しています。
結局、浅井は弁護士をたてて妻と離婚し(柳子はその後、実家で狂死)、増子を籍に入れるのですが、そこに増子の兄の娘である姪の栄子(水谷良重)が転がりこんできます。福島に実家がある彼女は家族から農園の息子の嫁になるよう、見合い結婚が予定されていました。栄子はそれに反発。土いじりで一生を過ごすのは厭で、都会に暮らしたいと思っていたのです。
栄子が浅井と増子のところに転がりこんできたまではよいのですが、そこは小さなアパート。男ひとりと女ふたりが一緒に暮らすのでは、問題が起こらないはずはありません。栄子は浅井のことが気になり始めます。なんといっても、浅井を演じる田宮二郎は精悍で眼がぎらぎらして男らしく、いかにももてそうな男性ですから・・・。
増子の同僚(丹阿弥谷津子)は、三流歌手の青柳(船越英二)と貧しい流浪の家庭生活。それでも別れる気持ちはなく、男と女には一緒の生活がなくてはならないと考えています。他方老いた元将軍(永田靖)と一緒に暮らす芳子(弓恵子)は妊娠し、幸福に暮らしています。芳子の生活ぶりを見て、子供を産むことを決心した増子は、手術を受けるために入院します。
さて、この結末はということになるのですが、栄子との怪しい関係を感じた(病室でカラスの鳴き声に不穏な事態をかぎとった)増子と栄子との大喧嘩、乱闘シーンがあります。増子の動物的嗅覚、乱闘の壮絶さたるや、演技とは思えません。
増村監督らしい作品で、原作は徳田秋声、脚本は(?)と調べると新藤兼人さんでした。