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16日から旅に出ました。
3ヶ所のお墓参りと息ぬきを兼ねた乾物探しの旅。
お昼ごはんの予約にあわせて新幹線に乗車。
京都の料亭Mさん。
現在、京都在住の妙さんをさそって行きました。
お茶室に通されました。
栗、かます、小芋、茄子、枝豆、ぎんなん、みょうが、いちじく
他、それぞれ丁寧な仕事がうかがえる、魚介や野菜が満載。
配色も美しく、蓋をあけて、しばし、鑑賞をします。
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さて、今回の京都行きの目的は、実は「錦市場」です。
1往復しました。
滞在時間は3時間半。
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「好きそうな、可愛いものありますよ」とおしえてくれる妙さん。
乾物屋で可愛いものって、なに?
かつおのぬいぐるみでした。
商品の撮影は禁止されてますので、ぬいぐるみをパチリ!
フェルト製なのでかっちりしたつくり。
作者は、こちらのお店の大女将さんのお手製とのこと。
「センスいい方ですねぇ。お会いしたいわ。
お店にはいらっしゃらないのですか」
「はぁ、もう、店には・・・」
錦市場、いやー、堪能しました。
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錦から乗ったタクシーの運転手さん。
「錦行かはったんですか?
私は今、60ですが、子どものころからお母ちゃんとよう行き
ました。
だいぶ様変わりしましたわ。
わたしの子どものころの錦いうたら、
売っとるもんはほとんど乾物ばっかり。
乾物が主流の市場やったんです。
昆布、かつお節、いりこ、豆、お麩ぅ・・・・・・
それも今みたいに上品に小袋に分けたんやのうて、
山のように重ねてありましたわ。
八百屋かて、いま、大根いうても、何本置いてあるんか
数、数えられるでしょう。
昔は、白菜の山、大根の山、菜っ葉もぎょうさんで、ね。
なんでもかんでも、みな山盛りでしたわ。
毎年、暮れはぎょうさん人が出て、
正月の準備せんならんお母ちゃんらで歩けんくらい
にぎやかでした。
うちのお母ちゃんも、張り切って準備してました。
わたしは、いっつも荷物持ち。
お母ちゃんのお節料理、乾物と一緒にうまいこと炊いて、
あれこれこしらえてましたわ」。
「お母ちゃんの、おいしかった?」
「そら、うまかった」
「奥さんのお節は?」
「こしらえん、いうことはないねんけど・・・・・、
形だけは、そこそこ。
(家族の)みんなが食べんから言うて、ちょこっとこしらえてます。
食べんからて・・・そら、うまかったら、食いますよ(笑)
なんやろね、旨い、旨ないの分かれ目は、だしやろね」。
お母ちゃん、鍋に昆布、放り込んでましたし」
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さすが観光地・京都というべきか、この運転手さんは、話題
豊富な面白い人。
夏休みは、10日前後とって、世界を1人旅して歩いてる人。
どこの国に行っても市場へ行き、市場のそばのおっさん達が
集まる食堂や居酒屋で食事をして歩くのだそう。
「安うて旨うて、やかましいおかあちゃんはおらん、
自由で(笑)最高ですわ。
市場が好きなんは、子どものころの錦通いのせいや思い
ます。市場行くと落ち着くんですわ。来年はキューバ、ジャ
マイカ、ニューヨーク行こ思ぅてます」。
夜8時過ぎ、京都を離れました。
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翌日は、父の実家へ。
この部屋は机場(つくえば)。わたしにとって懐かしい部屋。
いま従兄弟のいる場所に、いつも祖父が座り、わたしは、
そのそばで筆で字を書いて遊んでました。
従兄弟はわたしに見せるために硯(すずり)をさがしていますが
祖父の時代、この部屋にはいつも墨の香りが漂っていました。
さて、祖父、祖母、父、叔父のお墓参りをします。
猛暑の中、汗タラタラで手を合わせます。
下の女性は、従兄弟の奥さんの喜美さん。
嫁いできたときからみていますが、頭がよくて、やさしくて、
控えめで、本当に感心します。
親戚間でのニックネームは、「世界遺産のお嫁さん」。
「うちの仏さまは、お花屋さんのお花より、お庭のお花の方が
喜ばれましょう」と、ささっと集めてわたしに。
夕方、1時間半、バスに乗って移動。
兄、弟の家族と合流。
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下は、母の実家です。
叔父(母の兄)が亡くなり、そのうち処分することになると
いうことで見納め。
もう、4年間空き家状態です。
わたしは、4歳まで、この家と上記の家を往ったり来たりして
育ちました。
写真は、兄。
西瓜を冷やしたりした井戸。
無人のため、鍵がかかっているので外からしのびます。
台所の写真を撮っておきたかったのですが・・・・。
土間、かまど、七輪、漬物鉢・・・・。
叔父がガスコンロを持ち込みましたが、
おいしくないからと、ガスを使わず、かまどと七輪だけで
料理を拵えていた祖母でした。
電話のない時代、予告もなく「おばさんの料理を食べたい」
と親戚の人がよく訪れていましたが、まったく騒がず、次々と
料理を仕立てていく祖母。
その手際のよさ、おいしさには定評がありました。
書生部屋の前の踏み石。
裏に廻ると、
裏には、ずっと長い間、戦前の、大きなアメリカ製の白い
ホーローのオーブンが置いてあったのですが処分したんですね。
がっかり。
戦前、クッキーなどを焼いたと、母が懐かしがっていました。
母の洋菓子つくりの原点はたぶんそのオーブン。
裏にまわります。
この奥に、ぜったいまだあるはず。
鉢が。
手水鉢(ちょうずばち)です。
小学校の低学年のころ、この鉢の地の色をわたしが「ええ色
じゃねぇ」とほめたのだそうで、祖母は、
「小さいころからおかしなものに、風雅なご趣味をお持ちで
ございました」と鼻で笑っていました。
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祖母の隣の家の土屋建夫さん。
兄の同級生。
偶然、中学時代を尾道で過ごし、同じクラスだったとか。
すごい奇遇です。
定年後、実家にUターン、悠々自適の農業をしています。
自然派のため、草ぼうぼうの中に作物が。
「土屋さ~~ん」「建ちゃーん」何度か叫んだら、
背丈ほどの草の中からあらわれました。
さて、全員でお墓へ。
先祖のお墓、、
みんなでお掃除。
お花は、建っちゃんから。
「おばぁちゃん、叔父さん、
みんなで来ましたよ」、