引頭佐知(いんどうさち)の料理ブログ

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連休は、お墓参りと息ぬきを。

2011年09月22日 | ときどき日記

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16日から旅に出ました。

3ヶ所のお墓参りと息ぬきを兼ねた乾物探しの旅。

お昼ごはんの予約にあわせて新幹線に乗車。

京都の料亭Mさん。

現在、京都在住の妙さんをさそって行きました。

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お茶室に通されました。

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栗、かます、小芋、茄子、枝豆、ぎんなん、みょうが、いちじく

他、それぞれ丁寧な仕事がうかがえる、魚介や野菜が満載。

配色も美しく、蓋をあけて、しばし、鑑賞をします。

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さて、今回の京都行きの目的は、実は「錦市場」です。

1往復しました。

滞在時間は3時間半。

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「好きそうな、可愛いものありますよ」とおしえてくれる妙さん。

乾物屋で可愛いものって、なに?

かつおのぬいぐるみでした。

商品の撮影は禁止されてますので、ぬいぐるみをパチリ!

フェルト製なのでかっちりしたつくり。

作者は、こちらのお店の大女将さんのお手製とのこと。

「センスいい方ですねぇ。お会いしたいわ。

お店にはいらっしゃらないのですか」

「はぁ、もう、店には・・・」

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錦市場、いやー、堪能しました。

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錦から乗ったタクシーの運転手さん。

「錦行かはったんですか?

私は今、60ですが、子どものころからお母ちゃんとよう行き

ました。

だいぶ様変わりしましたわ。

わたしの子どものころの錦いうたら、

売っとるもんはほとんど乾物ばっかり。

乾物が主流の市場やったんです。

昆布、かつお節、いりこ、豆、お麩ぅ・・・・・・

それも今みたいに上品に小袋に分けたんやのうて、

山のように重ねてありましたわ。

八百屋かて、いま、大根いうても、何本置いてあるんか

数、数えられるでしょう。

昔は、白菜の山、大根の山、菜っ葉もぎょうさんで、ね。

なんでもかんでも、みな山盛りでしたわ。

毎年、暮れはぎょうさん人が出て、

正月の準備せんならんお母ちゃんらで歩けんくらい

にぎやかでした。

うちのお母ちゃんも、張り切って準備してました。

わたしは、いっつも荷物持ち。

お母ちゃんのお節料理、乾物と一緒にうまいこと炊いて、

あれこれこしらえてましたわ」。

「お母ちゃんの、おいしかった?」

「そら、うまかった」

「奥さんのお節は?」

「こしらえん、いうことはないねんけど・・・・・、

形だけは、そこそこ。

(家族の)みんなが食べんから言うて、ちょこっとこしらえてます。

食べんからて・・・そら、うまかったら、食いますよ(笑)

なんやろね、旨い、旨ないの分かれ目は、だしやろね」。

お母ちゃん、鍋に昆布、放り込んでましたし」

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さすが観光地・京都というべきか、この運転手さんは、話題

豊富な面白い人。

夏休みは、10日前後とって、世界を1人旅して歩いてる人。

どこの国に行っても市場へ行き、市場のそばのおっさん達が

集まる食堂や居酒屋で食事をして歩くのだそう。

「安うて旨うて、やかましいおかあちゃんはおらん、

自由で(笑)最高ですわ。

市場が好きなんは、子どものころの錦通いのせいや思い

ます。市場行くと落ち着くんですわ。来年はキューバ、ジャ

マイカ、ニューヨーク行こ思ぅてます」。

夜8時過ぎ、京都を離れました。

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翌日は、父の実家へ。

この部屋は机場(つくえば)。わたしにとって懐かしい部屋。

いま従兄弟のいる場所に、いつも祖父が座り、わたしは、

そのそばで筆で字を書いて遊んでました。

従兄弟はわたしに見せるために硯(すずり)をさがしていますが

祖父の時代、この部屋にはいつも墨の香りが漂っていました。

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さて、祖父、祖母、父、叔父のお墓参りをします。

猛暑の中、汗タラタラで手を合わせます。

下の女性は、従兄弟の奥さんの喜美さん。

嫁いできたときからみていますが、頭がよくて、やさしくて、

控えめで、本当に感心します。

親戚間でのニックネームは、「世界遺産のお嫁さん」。

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「うちの仏さまは、お花屋さんのお花より、お庭のお花の方が

喜ばれましょう」と、ささっと集めてわたしに。

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夕方、1時間半、バスに乗って移動。

兄、弟の家族と合流。

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下は、母の実家です。

叔父(母の兄)が亡くなり、そのうち処分することになると

いうことで見納め。

もう、4年間空き家状態です。

わたしは、4歳まで、この家と上記の家を往ったり来たりして

育ちました。

写真は、兄。

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西瓜を冷やしたりした井戸。

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無人のため、鍵がかかっているので外からしのびます。

台所の写真を撮っておきたかったのですが・・・・。

土間、かまど、七輪、漬物鉢・・・・。

叔父がガスコンロを持ち込みましたが、

おいしくないからと、ガスを使わず、かまどと七輪だけで

料理を拵えていた祖母でした。

電話のない時代、予告もなく「おばさんの料理を食べたい」

と親戚の人がよく訪れていましたが、まったく騒がず、次々と

料理を仕立てていく祖母。

その手際のよさ、おいしさには定評がありました。

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書生部屋の前の踏み石。

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裏に廻ると、

裏には、ずっと長い間、戦前の、大きなアメリカ製の白い

ホーローのオーブンが置いてあったのですが処分したんですね。

がっかり。

戦前、クッキーなどを焼いたと、母が懐かしがっていました。

母の洋菓子つくりの原点はたぶんそのオーブン。

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裏にまわります。

この奥に、ぜったいまだあるはず。

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鉢が。

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手水鉢(ちょうずばち)です。

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小学校の低学年のころ、この鉢の地の色をわたしが「ええ色

じゃねぇ」とほめたのだそうで、祖母は、

「小さいころからおかしなものに、風雅なご趣味をお持ちで

ございました」と鼻で笑っていました。

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祖母の隣の家の土屋建夫さん。

兄の同級生。

偶然、中学時代を尾道で過ごし、同じクラスだったとか。

すごい奇遇です。

定年後、実家にUターン、悠々自適の農業をしています。

自然派のため、草ぼうぼうの中に作物が。

「土屋さ~~ん」「建ちゃーん」何度か叫んだら、

背丈ほどの草の中からあらわれました。

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さて、全員でお墓へ。

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先祖のお墓、、

みんなでお掃除。

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お花は、建っちゃんから。

「おばぁちゃん、叔父さん、

みんなで来ましたよ」、

コメント
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