軍事依存経済③ 事業規模「飛躍」掲げる
「防衛産業をめぐる環境は、この2年で大きく変化した」
経済産業省内で武器を扱う航空機武器宇宙産業課の飯田陽一課長(当時)が実感を語っています。軍需産業の業界団体「日本防衛装備工業会」のセミナー(2014年12月)で行った講演を、同会の会誌『月刊JADI』15年3月号が報じました。
「安倍総理の下で、安全保障関係の政策の見直しが随分進みました。防衛産業あるいは防衛産業政策そのものも今、大きな転換期にさしかかっている」
現在の「変化」が、軍需産業にとってどれほど「大きな」意味を持つのか。武器輸出三原則の変遷をたどると見えてきます。
■憲法の理念
武器輸出三原則は1967年に佐藤栄作政権が定めました。①共産圏②国連決議で武器輸出を禁じている国③国際紛争当事国―への武器輸出を禁止するという原則です。さらに76年、三木武夫政権が「三原則」対象地域以外への輸出も「慎む」と表明し、全面禁止の原則へと強化しました。国会も「日本国憲法の理念」に基づくこれらの原則が守られるよう「実効ある措置を講ずべきである」(81年3月31日、参院本会議)と決議。軍需産業にとって、買い手は日本政府に限られることになりました。
その後は米国の意向に沿った緩和が続きます。83年に中曽根康弘政権が米国への武器技術の提供を容認。2004年に小泉純一郎政権が弾道ミサイル防衛システムの共同開発に伴う米国への武器輸出を認めました。しかしこれらは例外措置であり、武器輸出三原則そのものには手を付けられませんでした。
武器輸出三原則の全体をゆがめる転換に踏み出したのは民主党・野田佳彦政権でした。11年、個別に例外措置をとる手法を改め、協力国との共同生産に伴う武器輸出については「包括的に例外化」して容認しました。米国主導で開発された戦闘機F35の導入を決めた7日後でした。
ただし共同生産の相手国が武器を第三国へ輸出する際には、日本の事前同意が必要という条件を付けました。これが日米共同生産の「制約」となりました。米国が好き勝手に武器輸出を進めることができないからです。
鉄条網が張り巡らされた三菱重工の小牧南工場=愛知県豊山町
■輸出容認へ
こうした制約を取り払ったのが、安倍晋三政権でした。13年にF35を武器輸出三原則の例外とし、14年4月に三原則そのものを撤廃しました。
安倍政権が新たに定めた「防衛装備移転三原則」は、原則を百八十度逆転させました。①「国際協力」に資する場合②協力国との共同生産などわが国の「安全保障」に資する場合―には輸出を認めるという武器輸出容認原則に転換したのです。
紛争当事国へは輸出を禁じるとしながら、定義を狭めました。政府の定義では紛争当事国は現在「存在しない」(14年版「防衛白書」)こととなり、イスラエルも除外されました。第三国への輸出にも抜け穴を設けました。日本の事前同意を条件としながら、相手国の管理体制の確認のみで容認することも可能と定めたのです。
こうして、米国との武器の共同生産を広範に進める道が開かれました。それだけではなく、「新しい原則の下で新たなメカニズムが動き始めている」と飯田氏は述べています。
米国のみならず、欧州諸国を含む先進国との間で武器の「共同生産に向けた具体的な案件について議論する」。「新興国」や「アジアの各国」との間でも「自衛隊の防衛装備についてどのような協力ができるのか」を議論する枠組みができたというのです。「諸外国から私ども政府あるいは企業への接触が非常に増えている」と明かしています。
三菱重工業の「防衛・宇宙ドメイン(分野)」は6月8日の事業戦略説明会で「飛躍的な事業規模拡大に向けた準備の完遂」を当面の目標に掲げました。軍需産業から見れば、世界中で市場を開拓して事業規模を「飛躍」させる、絶好機が到来したのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年8月22日付掲載
かつては武器輸出3原則があり制限されていたけど、実質的に機能していたのは①の共産圏のみ。
アメリカへの提供もされたが第3国へのブレーキがかかっていた。
安倍さんは、原則制限から原則OKへ180度転換。
日本の軍需産業の市場が大きく広がりました。
「防衛産業をめぐる環境は、この2年で大きく変化した」
経済産業省内で武器を扱う航空機武器宇宙産業課の飯田陽一課長(当時)が実感を語っています。軍需産業の業界団体「日本防衛装備工業会」のセミナー(2014年12月)で行った講演を、同会の会誌『月刊JADI』15年3月号が報じました。
「安倍総理の下で、安全保障関係の政策の見直しが随分進みました。防衛産業あるいは防衛産業政策そのものも今、大きな転換期にさしかかっている」
現在の「変化」が、軍需産業にとってどれほど「大きな」意味を持つのか。武器輸出三原則の変遷をたどると見えてきます。
■憲法の理念
武器輸出三原則は1967年に佐藤栄作政権が定めました。①共産圏②国連決議で武器輸出を禁じている国③国際紛争当事国―への武器輸出を禁止するという原則です。さらに76年、三木武夫政権が「三原則」対象地域以外への輸出も「慎む」と表明し、全面禁止の原則へと強化しました。国会も「日本国憲法の理念」に基づくこれらの原則が守られるよう「実効ある措置を講ずべきである」(81年3月31日、参院本会議)と決議。軍需産業にとって、買い手は日本政府に限られることになりました。
その後は米国の意向に沿った緩和が続きます。83年に中曽根康弘政権が米国への武器技術の提供を容認。2004年に小泉純一郎政権が弾道ミサイル防衛システムの共同開発に伴う米国への武器輸出を認めました。しかしこれらは例外措置であり、武器輸出三原則そのものには手を付けられませんでした。
武器輸出三原則の全体をゆがめる転換に踏み出したのは民主党・野田佳彦政権でした。11年、個別に例外措置をとる手法を改め、協力国との共同生産に伴う武器輸出については「包括的に例外化」して容認しました。米国主導で開発された戦闘機F35の導入を決めた7日後でした。
ただし共同生産の相手国が武器を第三国へ輸出する際には、日本の事前同意が必要という条件を付けました。これが日米共同生産の「制約」となりました。米国が好き勝手に武器輸出を進めることができないからです。
鉄条網が張り巡らされた三菱重工の小牧南工場=愛知県豊山町
■輸出容認へ
こうした制約を取り払ったのが、安倍晋三政権でした。13年にF35を武器輸出三原則の例外とし、14年4月に三原則そのものを撤廃しました。
安倍政権が新たに定めた「防衛装備移転三原則」は、原則を百八十度逆転させました。①「国際協力」に資する場合②協力国との共同生産などわが国の「安全保障」に資する場合―には輸出を認めるという武器輸出容認原則に転換したのです。
紛争当事国へは輸出を禁じるとしながら、定義を狭めました。政府の定義では紛争当事国は現在「存在しない」(14年版「防衛白書」)こととなり、イスラエルも除外されました。第三国への輸出にも抜け穴を設けました。日本の事前同意を条件としながら、相手国の管理体制の確認のみで容認することも可能と定めたのです。
こうして、米国との武器の共同生産を広範に進める道が開かれました。それだけではなく、「新しい原則の下で新たなメカニズムが動き始めている」と飯田氏は述べています。
米国のみならず、欧州諸国を含む先進国との間で武器の「共同生産に向けた具体的な案件について議論する」。「新興国」や「アジアの各国」との間でも「自衛隊の防衛装備についてどのような協力ができるのか」を議論する枠組みができたというのです。「諸外国から私ども政府あるいは企業への接触が非常に増えている」と明かしています。
三菱重工業の「防衛・宇宙ドメイン(分野)」は6月8日の事業戦略説明会で「飛躍的な事業規模拡大に向けた準備の完遂」を当面の目標に掲げました。軍需産業から見れば、世界中で市場を開拓して事業規模を「飛躍」させる、絶好機が到来したのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年8月22日付掲載
かつては武器輸出3原則があり制限されていたけど、実質的に機能していたのは①の共産圏のみ。
アメリカへの提供もされたが第3国へのブレーキがかかっていた。
安倍さんは、原則制限から原則OKへ180度転換。
日本の軍需産業の市場が大きく広がりました。