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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

第2部 安倍首相と逆流の系譜④ 祖父・岸「栄光」の実態

2015-01-22 14:29:33 | 平和・憲法・歴史問題について
第2次世界大戦終結70年 第2部 安倍首相と逆流の系譜④
祖父・岸「栄光」の実態


安倍晋三首相は、「祖父の場合は、先の大戦に至る前の、ある意味では日本が大変飛躍的な前進を遂げた〈栄光の時代〉が青春」だったといい、祖父から「少なからず影響を受けた」(『「保守革命」宣言』)と認めます。
母方の祖父・岸信介とはどんな政治家で、〈栄光の時代〉とは何だったのでしょうか。

北一輝らから影響
岸は1920年に農商務省(当時)に入省し、ドイツで学んだ統制経済の手法を日本に導入し、天皇中心の国家改造をめざす「革新官僚」として台頭し、軍部との結びつきを深めます。
思想的には学生時代に、天皇中心の「国家社会主義」受け、「彼(北一輝)の『国家改造案(原理大綱)』が秘密出版されたとき、僕は夜を徹して筆写した」(原彬久編『岸信介証言録』)ほどでした。
日中全面戦争が始まる1年前(36年)に日本のかいらい国家「満州国」に渡り、産業部次長(大臣の次席、大臣は実権のない「満州人」)になり国家統制経済の実験場として経済を指導します。「満州国」を事実上支配する関東軍参謀総長の板垣征四郎(A級戦犯で死刑)や、その後継の東条英機(後に首相、同じく死刑)など多様な「満州人脈」をつくります。
新興財閥の日産(日本産業)の鮎川義介や、「満州」で諜報(ちょうほう)謀略活動をしてのちに「満州映画協会」理事長となる甘粕正彦元憲兵大尉などもその人脈です。岸はこれを利用し、政策を実現していくと同時に、莫大なお金を動かします。



1941年10月に成立した東条内閣(前列左から2人目が東条首相、2列目左から2人目が岸信介)。出典:ウィキメディア・コモンズ

アヘン売買疑惑も
岸の部下だった古海忠之主計処長(当時)は「要するに特務(諜報謀略活動)だな。この甘粕のために岸さんが一千万円(現在の金額で85億円)つくってやったことがある」(岩見隆夫『新版・昭和の妖怪/岸信介』)といいます。莫大な資金の陰にはアヘン売買の疑惑がありました。古海は「アヘンは私と里美(=謀略者の一人)がすべて取り仕切っていた」(同)と証言しています。
岸は「動機が悪くても結果がよければいいんだと思う。…満州を振り返ってみると、下手ではあるかもしれんが、俺の描いた作品が満州にずっと残る」(同『証言録』)と侵略地での統制経済を自慢します。
岸は、41年10月に商工大臣(東条内閣)に就任。12月に日本はアジア・太平洋戦争を起こします。42年3月の会議で戦争遂行のためには、「先ず産業経済のあらゆる分野における真の総力戦態勢の確立強化が緊要である」と演説。その後、対米戦の軍用機増産のためにできた軍需省の次官となるなど戦争を推進していきました。
安倍首相がいう〈栄光の時代〉は、日本が侵略戦争に突き進んだ時代であり、その戦争推進の中心人物の一人が岸だったのです。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年1月20日付掲載


岸信介の〈栄光の時代〉なんて、日本が侵略戦争に突き進んだ時代のことであり、岸氏は軍需産業を握ってきた、戦争犯罪者のまぎれもない一人だったのだ。
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