集団的自衛権Q&A④ 米国の要求が出発点
Q 集団的自衛権行使の動きが強まったきっかけは。
A 直接の出発点は、海外での日本の軍事的役割の拡大を期待する米国の要求でした。
集団的自衛権の行使をめぐる議論が活発になったきっかけは、1990年8月のイラクのクウェート侵攻と、翌年の湾岸戦争でした。
戦費の負担に当時、米国は日本に輸送などの軍事的な任務分担を要求しましたが、これに応えるための海外派兵法案(国連平和協力法案)が廃案となり、130億ドルの戦費負担に代わりました。一方、連載2回目で見たように、親米諸国が「集団的自衛権の行使」で派兵しました。

インド洋で米ミサイル巡洋艦アンツィオ(右)に給油する海自補給艦「ましゅう」=2006年11月(米海軍ホームページから)
これを契機に、日本の支配層の間で、“集団的自衛権を行使しなければ国際社会から孤立する”との声が相次ぎます。
他方、米国でも、アマコスト元駐日米大使が、日米の「集団的自衛権の解釈を一致させるのに、今がいいときである」(97年4月15日の米上院公聴会)と公言。2000年10月に発表された「第1次アーミテージ報告」は「日本が集団的自衛権の行使を禁止していることは、同盟への協力を進める上での制約となっている」と明言し、公然と日本に集団的自衛権の行使を要求。加えて、「米英間の特別な関係が、日米同盟のモデル」として、米国とともに海外で肩を並べて戦争する同盟をめざすことを求めました。
地球規模派兵
これをきっかけに、日本はインド洋(01~07年、08~10年)、イラク(04~08年)へと地球規模の派兵をおこなうようになります。
しかし、これらの派兵法は憲法9条があるため「(活動は)武力の行使にあたるものであってはならない」と明記し、「後方地域」や「非戦闘地域」での支援活動にとどまっていました。
この歯止めを取り払おうとしたのが、安倍晋三氏(現首相)でした。「国民は、海外での紛争に米国と肩を並べて武力行使するという意識には至っていない。日米協力の法的な障害、憲法解釈の障害を取り除かなければならない」(05年11月、都内での会合)と、戦闘行動にまで参加しようという狙いをあけすけに述べています。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年8月20日付掲載
20数年前の湾岸戦争の時は、中東地域に自衛隊の艦船が出ていくなんて考えられませんでしたね。アメリカから「ショー・ザ・フラッグ」って言われましたけど、出したのは戦費だけでした。それでも、憲法違反になるんではないかと議論になったものでした。
それから比べると、インド洋、イラクへの派兵となし崩し的に進められたものです。
でも、イラクへの派兵の場合も、「非戦闘地域」で水の供給をしているだけって建前がありました。
Q 集団的自衛権行使の動きが強まったきっかけは。
A 直接の出発点は、海外での日本の軍事的役割の拡大を期待する米国の要求でした。
集団的自衛権の行使をめぐる議論が活発になったきっかけは、1990年8月のイラクのクウェート侵攻と、翌年の湾岸戦争でした。
戦費の負担に当時、米国は日本に輸送などの軍事的な任務分担を要求しましたが、これに応えるための海外派兵法案(国連平和協力法案)が廃案となり、130億ドルの戦費負担に代わりました。一方、連載2回目で見たように、親米諸国が「集団的自衛権の行使」で派兵しました。

インド洋で米ミサイル巡洋艦アンツィオ(右)に給油する海自補給艦「ましゅう」=2006年11月(米海軍ホームページから)
これを契機に、日本の支配層の間で、“集団的自衛権を行使しなければ国際社会から孤立する”との声が相次ぎます。
他方、米国でも、アマコスト元駐日米大使が、日米の「集団的自衛権の解釈を一致させるのに、今がいいときである」(97年4月15日の米上院公聴会)と公言。2000年10月に発表された「第1次アーミテージ報告」は「日本が集団的自衛権の行使を禁止していることは、同盟への協力を進める上での制約となっている」と明言し、公然と日本に集団的自衛権の行使を要求。加えて、「米英間の特別な関係が、日米同盟のモデル」として、米国とともに海外で肩を並べて戦争する同盟をめざすことを求めました。
地球規模派兵
これをきっかけに、日本はインド洋(01~07年、08~10年)、イラク(04~08年)へと地球規模の派兵をおこなうようになります。
しかし、これらの派兵法は憲法9条があるため「(活動は)武力の行使にあたるものであってはならない」と明記し、「後方地域」や「非戦闘地域」での支援活動にとどまっていました。
この歯止めを取り払おうとしたのが、安倍晋三氏(現首相)でした。「国民は、海外での紛争に米国と肩を並べて武力行使するという意識には至っていない。日米協力の法的な障害、憲法解釈の障害を取り除かなければならない」(05年11月、都内での会合)と、戦闘行動にまで参加しようという狙いをあけすけに述べています。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年8月20日付掲載
20数年前の湾岸戦争の時は、中東地域に自衛隊の艦船が出ていくなんて考えられませんでしたね。アメリカから「ショー・ザ・フラッグ」って言われましたけど、出したのは戦費だけでした。それでも、憲法違反になるんではないかと議論になったものでした。
それから比べると、インド洋、イラクへの派兵となし崩し的に進められたものです。
でも、イラクへの派兵の場合も、「非戦闘地域」で水の供給をしているだけって建前がありました。