貴美華が巡る奥の細道

芭蕉の「奥の細道」を巡り終え、新たな旅を計画中、間日常の出来事を十七文字で遊びます。

道遊の割戸

2006年06月24日 | Weblog
      道遊の 割戸となりし 金の山

芭蕉の生まれた時代は金山の最盛期は過ぎていたようですが、「奥の細道」を旅した1689年頃は地中からの湧き水との戦いで、新型排水器具を導入、その後江戸、大阪などから幕末までの100年間に約2000人の無宿人が送られたそうです。

      彼岸入る 帰れぬ島か 佐渡送り

技術は最先端、金山洞窟跡の展示物で知り、ロボット人形で感じます。 金山はかならず立ち寄るとこですが、相川~東京間の距離を掘ったのです、山の頂から海の中まで、湧き水の処理が大変だったでしょうね。
     やわらぎや 親方が着る 百足柄
           
(洞窟の中なので暗いのです、腕のせいかもしれません。)
「やわらぎ」は山の神の心を和らげ、鉱脈がやわらかくなり手掘が容易で安全な様にとの、祈りだそうですが、白い紙の面を付けて樽を叩いて唄います。

      金銀を 運ぶ佐渡路に 華の宿

芭蕉が寄った、出雲崎は金銀の陸揚げ港として賑っていたとおもいます、今日は・・「良寛と夕日の丘公園」があるみたい。 
良寛は「奥の細道」から70年後、佐渡出身の母から出雲崎で誕生しました。
良寛は芭蕉の影響、受けてますよね。
              出雲崎へ次回いってみます。