仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

インフルエンザに至る日々

2006-02-06 00:06:48 | 生きる犬韜
1月の第4週~2月の第1週は、研究会と講演、その準備であっちへ行ったりこっちへ行ったり。挙げ句の果てに、インフルエンザ?で倒れてしまいました。いま、ようやく微熱状態になったところです。柔な自分が愛おしい。ずっとブログも更新していなかったので、箇条書き程度にまとめておくことにします。

『三宝絵』研究会の翌日、1月25日は、栄区豊田地区センターでの「楽しい日本史の会」講義。お正月は特別編ということで、『家伝』講読はお休みし、昨年論文を書いた崇仏論争述作の問題を語りました。専門の人に喋る場合は1時間余でも可能なのですが、いろいろ枝葉を付けているうちに2時間でも終わらず。ラストは次回に持ち越しとなりました。

27日は、まずお昼から中野区立歴史民俗資料館で「あけぼの会」の講演。こちらも歴史研究の市民サークルで、すでに10年にも及ぶお付き合い。歴博の先生方をはじめとして、古代史の錚々たる研究者が毎月講義を担当。私もその末席に加えていただいているというわけで、院生時代より「育てていただいてきた」という印象の強い場です。こちらでは、常にその年の最新のテーマについてお話しすることにしているので、今年は「鎌足像の構築と中国的言説」。難解な話ですが、皆さん大変喜んでくださいました。易の実践もすればよかったかな。
この日の夜は、立教大学でケガレ研の1月例会。報告は門馬幸夫さんで、「田中雅一編『暴力の文化人類学』を読む」。多様な論考を手際よくまとめ、問題点を指摘してくださいましたが、〈暴力〉を表象すること、叙述することの難しさをあらためて確認。この言葉で括ってしまった時点で、近代的な価値判断が含まれてしまいますからね。しかし、大越愛子さんの指摘する、性暴力的主体の形成の問題は結構厄介。生態的事実(と括った時点で文化となってしまうけれども)が文化となる、意味化される始原に性暴力への方向づけが行われるなら、それはどのような形で相対化しうるのか。ジェンダー/セクシュアリティ概念の再検討の必要性も痛感。
その後の飲み会は、新年会と、メンバー全員がお世話になっている森話社の10周年記念(1995年創立。今年は11年目)のお祝いを兼ねて行われました。妻のアイディアに従い、1995年のワインとミキモトのワイングラスを調達してプレゼント。社長の大石さんは、出版業界の厳しい現実のなかで、良質の研究書を美しい装丁で刊行し続ける希有な人。メンバーの誰かが迷惑をかけ、潰してしまうことのないようにしましょうね。

28日は、早稲田大学で「あたらしい古代史の会」の例会。報告は、宮永廣美さんの「和珥部氏系図について」と勝浦令子さんの「七、八世紀将来中国医書の道教系産穢認識とその影響」。勉強になりました。とくに勝浦さんの報告は、神祇に偏りがちなケガレの発生論を再検討させる、大きな打撃力を持つもの(ケガレ研でこそ発表していただきたい)。私も前に書いた論文で、卜部の行う祓も中国起源である可能性に触れましたが、「すなわち八世紀には、神祇信仰による祓の対象となる穢悪認識と共に、このような雑多な渡来系の穢悪認識が、少なくとも畿内を中心に影響していた可能性は極めて高い」との見解には大いに共感。勝浦さんの試みは、それを『千金方』『小品方』などの医書、『斎戒ロク』『四十四方経』などの道教経典から、具体的に明らかにしているところが凄い。

2月1日。午前中は檀家さん回りで、午後からW大に成績表を提出するため上京。帰りに妻と待ち合わせし、横浜で映画『THE 有頂天ホテル』を観ようとしましたが、ちょうど映画の日のため混雑してチケットをとれず。みなとみらいで食事だけして帰宅する途中、地震によりJRがストップ。電車に閉じ込められて散々な一日でした。

2日、夕方に横浜へ出て『THE 有頂天ホテル』を鑑賞。昨日とは打って変わって、とっても空いていました。映画の方は、芸達者が大勢出ていて笑えはしたものの、あとには何も残らない感じでした。三谷幸喜は忙しすぎるせいか、書くものが浅薄かつ類型的になっている気がします。以前は笑いのなかにも、心に響く何か、哀しさのようなものがあったのになあ。それとも、私の感受性の方が鈍くなっているのでしょうか?

4日、朝からなんとなく調子が悪く、風邪を引いたような感じ。妻は前日から妹の家に泊まっており、お昼に明大前で待ち合わせて食事。味覚が悪くなっているのか、あまりおいしく感じられません。その後、2人で古代文学会の1月例会に出席しました。
報告は、増尾伸一郎さんの「『藤氏家伝』の成立と『懐風藻』」。近江朝の文芸・学問の隆盛、壬申の乱による衰滅からの復興を謳う『懐風藻』は、実は藤原南家への批判の書であり、長屋王の変や光明立后などの記事を一切欠き、文芸・学問の復興・奨励における功績、近江の詳細な記述に大半を割く「武智麻呂伝」は、同書への反駁を意図したものと位置づける果敢な内容。3年前に一度伺って感銘を受け、今回は光栄にも司会を仰せつかりました。常にエッジの尖っている「古代文学会」メンバーとのあいだで、奈良朝の歴史認識をめぐる〈表象の闘争〉について、刺激的な議論が展開されました。しかし、増尾さんはついにドクターストップがかかって、365日飲み続けていたお酒を諦めざるをえなくなったとのこと。10年以上お世話になって、居酒屋でグレープフルーツ・ジュースを飲む増尾さんの姿を初めて拝見しました。

さて、帰りの電車のなかから寒気を感じていた私は、その日のうちに39度の高熱でインフルエンザ?を発症。翌日の日曜は何もせずに休み、妻の献身的な看護のおかげで(結婚とはありがたいものです)、なんとか回復をいたしました。というわけで簡単な記述でしたが、皆さん、お身体にはお気を付けください(写真は、土曜に新宿のLOFTで撮ったバレンタイン神社? 鳥居のみで、本殿や拝殿はもちろん、ご神体もないようでしたが……)。
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