仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

早稲田古代史研究会

2005-11-15 12:04:16 | 議論の豹韜
久しぶりの投稿です。
なぜ今まで書けなかったかというと、12日土曜日に行われた、早稲田古代史研究会での報告のためでした。これまでにも何度か触れてきましたが、かなりスケジュールのきつい状態でしたので、研究者の耳目に耐えうる内容にするのがものすごい大変だったのです。

タイトルは、「鎌足像の構築と中国的言説」。
大化改新の立て役者である中臣鎌足が、史/伝という言説形式においてどのように叙述されているか。先学の指摘のとおり、そこには数多くの漢籍に基づく表現がみられるのですが、それは単にレトリックとしてのみ用いられているのではない。例えば『家伝』には、その成立自体に『周易』坤卦に由来する〈積善余慶〉言説との関係がうかがえますが、それは『芸文類聚』や『文選』にもある慣用句の援用ではなく、『周易』における占辞に関する一定の理解を背景としている。「大織冠伝」自体に含まれる『周易』の字句も同様で、また、鎌足自体の言動のあり方も易断に沿う形で整備されている形跡がある。中国的文脈では、卜占は史の発生と分かちがたく結びついており、卜官=史官の活躍する姿が『左伝』や『国語』などに確認できる。古代日本へは、隋唐の官僚的史官が制度として輸入されるほか、上記の卜官=史官がイメージとして流れ込んでいる。それらの比較検討をとおして、古代的歴史叙述、古代的歴史観のあり方を考えようという目論見です。同じ目的で、中国的な英雄/軍師のリフレインが鎌足像の構築にどう機能しているかも検討。結びでは、前近代には、近代歴史学が分断した過去を主体的に生きなおす歴史観が躍動しており、それはリクールなどのいう〈代理表出〉、失われ隠蔽された過去を救済するというポストモダンの歴史観と、どこかで結びついているのだとブチアゲました。

久々に純粋な歴史学の研究会で報告しましたので、どう受け取られるか心配だったのですが、意外にも好評で安心しました。確かに、中臣や卜部、藤原の捉え方が研究史と断絶しているので、そのあたりには質問が集中しましたが、ギャップはむしろ意図的なもの。皆さん、おおむねこちらの考えは理解してくださったようです。拙い話に最後までお付き合いいただき、感謝感激。
尊敬する小林茂文さんが駆けつけてくださったことも、大変光栄なサプライズでした。小林さんの『叢書 史層を掘る』掲載論文との出逢いがなければ、日本史はここまで広げられるのだ!という確信も、現在の方法論的スタンスも培われなかったでしょう。多くの研究会でご一緒している三品泰子さんも、お忙しいなかを参加してくださり、あの場においては、三品さん以外に発することはできないであろう質問をしてくださいました。心より御礼を申し上げます。

それにしても、もうひとりの発表者だった稲葉蓉子さんの緻密な報告をうかがっていて、自分がいかに日本歴史学の中心から逸れてきてしまったかを再認識しました(いやあ、律令引いていなくて申し訳ありません)。議論の途中、「熟達の問題はもちろんありますが、ぼくも易はたてられますよ」といったときの、会場のどよめきも印象的。文学や宗教学だったら、みんなが実践するかどうかはともかく、「やってみたい」とは思っているでしょう。そういう発想に驚いてしまうところが、文献史学なんですかね。
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