ずいぶんと更新に間が空いてしまったが、それは仕方のないこと。なぜなら、横浜の自坊から三鷹の新居へ引っ越しを敢行したからである。その間、ゼミの追コン(23日)だの、中国から帰国した水口幹記君の歓迎会(24日)だの、自坊の彼岸会(25日)だの、卒業式(26日)だのいろいろイベントはあったが、ようやく一息ついたところだ。転居作業に関しては、実に4トントラック2台分もの荷物が出て(8割が本)、よくもまあこんなに書物を集めたものだと我ながら呆れてしまった。結局、すべての荷物を運び終えることはできなかったが(あとは夏休みだね)、家族や友人の協力で何とか形を付けることはできた。しかし、これからIKEAの本棚を作り(机・椅子・書類棚を組み立てるだけで大変だった)、荷を解いて書物を整理してゆくことを考えると、本当に生活・研究環境が整うのはいつになるか知れない。4月以後、月刊でシンポや原稿が待っているので、必要なものから整理してゆくしかないだろう(写真は書庫兼書斎の地下室。PCまわりだけは復旧させた。モニターばかりで何の研究室か分からない状態である)。
さて、冒頭に少しだけ書いたが、今年も卒業生を送り出した。彼らはぼくが初めて1年生から担当した学生だったので、それなりに思い入れがある。全体としてはものわかりのよい、素直な子たちであったが、セクト主義で、小さな集団を幾つも作りほとんど他のグループと交流しない。一見何の特徴もないようだが、ひとりひとりの顔をよくよくみてみると、かなり頑固で個性がはっきりしている。ぼくのゼミ生などその典型で、指導には手を焼いたが、客観的に「眺めて」いると非常に面白い子供たちだった。会社への適応という点からすると、そのマイペースぶりは一度壊しておくべきだったかも知れないが、彼らもそのあたりは承知のうえで学生生活を謳歌していたのだろう。案外しぶとく働いていけそうな気がする。ただ、大学院へ進学してくるI君を除いて、ゼミ旅行などへは一度も参加しなかった面々なので(研究室にはよく遊びに来ていたけれど)、あまり深い話ができなかったのが残念なところである。ま、今後もし想い出すことがあったら、研究室へ遊びに来ておじさんをかまってやってください。
さて、冒頭に少しだけ書いたが、今年も卒業生を送り出した。彼らはぼくが初めて1年生から担当した学生だったので、それなりに思い入れがある。全体としてはものわかりのよい、素直な子たちであったが、セクト主義で、小さな集団を幾つも作りほとんど他のグループと交流しない。一見何の特徴もないようだが、ひとりひとりの顔をよくよくみてみると、かなり頑固で個性がはっきりしている。ぼくのゼミ生などその典型で、指導には手を焼いたが、客観的に「眺めて」いると非常に面白い子供たちだった。会社への適応という点からすると、そのマイペースぶりは一度壊しておくべきだったかも知れないが、彼らもそのあたりは承知のうえで学生生活を謳歌していたのだろう。案外しぶとく働いていけそうな気がする。ただ、大学院へ進学してくるI君を除いて、ゼミ旅行などへは一度も参加しなかった面々なので(研究室にはよく遊びに来ていたけれど)、あまり深い話ができなかったのが残念なところである。ま、今後もし想い出すことがあったら、研究室へ遊びに来ておじさんをかまってやってください。
でも、実は本棚はまだひとつも作っていないので、近日中に使用感を報告します。
もっとも、転居・異動と歴○○会の報告が重なったのが、かなり重荷でしたが。
こちらも初めて受けもった一年生が、四年生になって卒業して行きました。
大学院への進学一人、「こいつは大学院行ってほしい」のが三人ぐらいいましたから、きっと豊作だったんでしょう。
ありがたいと思っております。
お互い忙しいですね。
うちはもう4月1日が入学式なので、終わったと思ったらスタートです。昨日も在校生ガイダンスがあったので、2年生が履修の相談に来ていました。すでに柳田や折口を読み漁っている強者もいて、頼もしい限りです。
しかし、東と西で離れていて、本当に世代で共通するものってあるんですかね。今年の1年生はこんな個性だとか、去年の卒業生はああだったとか…。kariさんのところは「豊作」とのことですが、ウチでも「今回の卒業生は優秀だった」と評判でした。
小集団を作って、あまり交流しないというのはその通りで、そのまた一つ下の学年だと、今度は積極的に殻を破っていく学生が多いように思います。「異なる学年と学年の間で、大規模な呑み会をしよう」なんていう企画が、自発的に出てくるんですよ。
個人的には頼もしいですね。