く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<相撲館「けはや座」> 展示や照明を更新しリニューアルオープン

2018年01月21日 | メモ

【69連勝の大横綱双葉山のコーナーを新設】

 奈良県葛城市にある相撲館「けはや座」が20日リニューアルオープンした。同市は相撲の始祖、当麻蹶速(たいまのけはや)の出身地といわれ、桜井市などとともに〝相撲発祥の地〟を宣言している。「けはや座」の名前もその蹶速に因むもので、1990年にオープンした。今回のリニューアルでは約1万2000点に上る相撲関連資料の収蔵・展示品を見直し、目玉として新たに大横綱双葉山のコーナーを新設した。

 そのコーナーに展示されているのは双葉山が使っていた明け荷や節目の番付表、双葉山の勇姿が表紙を飾る相撲雑誌など。明け荷には支援者たちと明け荷のそばでくつろぐ双葉山のモノクロ写真が添えられている。1939年発行の「野球界」増刊号「春場所 相撲讀物号」の表紙には土佐犬(?)を引き連れた双葉山の写真。「大阪国技館」落成記念の大阪場所での双葉山の土俵入りを伝える37年の新聞社のニュース写真なども並んでいる。

 

 番付表は双葉山が新十両になった1931年5月の横綱不在場所の番付、春秋園事件で大半の力士が脱退した32年1月の〝幻の番付〟、連勝を40まで伸ばし新横綱に昇進した38年1月の番付(上の写真㊨=一部を拡大)など計8枚。その中には戦争の激化に伴い増えた応召・入営力士の名前を欄外に列挙した41年1月の〝応召番付〟もある。応召力士の名前は翌42年1月場所から機密漏洩防止のため軍から発表の中止を求められ、それは45年の終戦まで続いたという。西張出横綱として双葉山最後の場所となった45年11月の番付表はそれ以前のものに比べ紙面が一回り小さい。相撲館担当の市職員、小池弘悌さんは「紙不足という当時の社会状況が番付表にも反映されています。大きさだけでなく紙質も劣っていました」と解説してくれた。

   

 同館には他に北の湖や寺尾、奈良県出身の鶴ケ濱、力櫻、大真鶴らの化粧回し、かつて吉田司家から授与されていた横綱免許状、歴代横綱の手形、相撲玩具類(下の写真㊧)など、相撲にまつわる多彩な品々が展示されている。その一角には「幕内最高優勝 祝稀勢の里関おめでとう」という横断幕が掲げられ、本場所と同じ仕様の土俵脇には稀勢の里の等身大パネルも。稀勢の里が属する田子ノ浦部屋はこの「けはや座」で合同合宿するなど葛城市との縁が深くファンも多い。それだけに稀勢の里には3月春場所での奮起をぜひ期待したい。

 

 この日はリニューアル初日ということもあって、市のマスコットキャラクター「蓮花(れんか)ちゃん」もやって来た。そこで記念に、と1枚撮らせてもらった。頂いたシール裏側のプロフィル欄に、特技は「出会った人を元気にすること」、好きな男の子は「せんとくん」、そして好きな力士には「たいまのけはや」とあった。心がほっこり温まったところで「けはや座」を後にした。


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