く~にゃん雑記帳

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<興福寺> 東金堂の西側から門と回廊の遺構

2021年10月10日 | 考古・歴史

【平家焼き討ちの跡とみられる焼土も!】

 奈良文化財研究所が発掘調査中の興福寺(奈良市)の国宝東金堂の西側正面から、平家の南都焼き討ち(1180年)後に再建されたとみられる門と回廊の遺構が出土し、10月9日に現地説明会が開かれた。回廊の基壇のそばからは焼き討ちに伴うものとみられる焼土や平安~鎌倉時代初期の土器なども確認された。

 今回の調査区域は東金堂の西約20mの260㎡(南北20m・東西13m)。東金堂は奈良時代の創建以降、五重塔とともに過去5回大火に遭っており、現在の建物は室町時代の1415年(応永22年)に再建されたもの。これまでの周辺の発掘調査で、東金堂院は北と西が礎石建ちの回廊、東と南が築地塀で囲まれていたとみられていた。今回の調査では西の門とそれから南北に伸びる回廊について、それぞれの基壇と建物の規模・構造を確認することができた。

 門の基壇は南北約10.8m、東西約8.0mで、建物は礎石の抜き取り穴などから桁行が約8.8m、梁行が約4.7mの切妻造りの八脚門だったとみられる。この建物規模は平安時代に記された『興福寺流記』の伝える奈良時代の内容と符合する。また門の東西方向の中心軸も東金堂とそろっており、創建当時の姿を踏襲して復興されていたことが伺われる。回廊の基壇は幅が約 6.2mで、建物は梁行1間の単廊だったことが分かった。

 現地説明会には秋晴れの土曜日とあって多くの見学者が詰め掛けた。新型コロナのため入り口では係員による検温と手の消毒。午前中には入場制限が行われ長蛇の列ができていた。隣接する五重塔は来年から約120年ぶりの大修理に入る。塔全体が素屋根ですっぽり覆われて、屋根瓦の葺き替え工事などが行われる予定だ。この日からは工事前の塔内部の特別公開も始まった。普段閉じられている初層の扉が開かれ、四方に安置された三尊像計12体を拝観できる(公開は前期が11月23日まで、後期は来年3月1~31日)。その見学は平日に改めて出直すことにして東金堂のすぐ北側にある国宝館へ。そこで高さが5mあまりある大迫力の千手観音菩薩像や十大弟子、阿修羅像などの八部衆を久しぶりに拝観させていただいた。

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