く~にゃん雑記帳

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<造幣局・桜の通り抜け> 約650mの間に134品種・338本

2019年04月12日 | 花の四季

【〝今年の桜〟は赤い花が枝先に集まった「紅手毬」】

 浪速の春を彩る造幣局恒例の「桜の通り抜け」が9日スタート、連日多くの花見客でにぎわっている。南から北への一方通行の構内に植えられた桜は八重桜を中心に134種338本。11日訪ねるとまだ蕾や2~3分咲きのものも少なくなかったが、〝今年の桜〟に選ばれた「紅手毬」や満開の「笹部桜」などの周りには写真に収めようと花見客の輪ができていた。

 造幣局の通り抜けは明治初期に藤堂藩の蔵屋敷から移植され、1883年(明治16年)に当時の局長の発案で始まった。戦時中に一時中断したが1947年に再開され、その2年後からは夜間公開の夜桜も始まった。最も多い品種は「関山」の62本で、次いで「普賢象」や「松月」の10本余り。ただ大半の品種は1~3本だけで、中には「大手毬」など他ではめったに目にすることができない品種も。久しぶりに来て、名品・珍品の桜が実に多いことに改めて感心させられた。

 

 〝今年の桜〟の「紅手毬」(上の写真㊧)は枝先に多くの花が密集して紅色の手毬状になることからその名が付いた。構内で販売されている今年の記念貨幣セットの図柄にも使われている。「笹部桜」(写真㊨)は水上勉の小説『桜守』のモデルとなった〝桜博士〟笹部新太郎氏(1887~1978)の名前に因む桜で、今が盛りと淡い紅色の花をびっしり付けていた。白花の「蘭蘭」は東京・上野動物園のパンダ蘭蘭の死を悼んで、1980年のこどもの日に北海道松前町の子どもたちによって命名されたという。

  

 「太白(たいはく)」(上の写真㊧)は一重の大きな白花。かつて日本から英国に渡り、日本ではその後絶滅していたが、1930年代に英国の桜研究家コリングウッド・イングラム氏から接ぎ穂が日本に寄贈されて復活したそうだ。北門出口近くに「大阪に花の里あり通り抜け」という句碑が立つ。建立されたのは半世紀ほど前の1964年で、句の作者は大阪で活躍した川柳家の本田渓花坊氏。その句碑を見守るように「千原桜」(写真㊨)という満開の白い花が覆っていた。『平家物語』の祇王・祇女に因む淡紅色の「祇王寺祇女桜」や花色が淡紅色から白色に変わる大輪の「永源寺」などもちょうど見ごろを迎えていた。今年の通り抜けは15日まで。 

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